「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第328号 「国の借金 見るべきは歴史」

国の借金 見るべきは歴史

国の借金 見るべきは歴史

国の借金 見るべきは歴史

政府支出を悪と決めつけること勿れ

 国の借金!この言葉、概念に埋もれているものがある。政府が支出したお金の累積が記録された結果が国の借金の数字ではあるが、この数字の裏には歴史がある。目の前にある道路や橋等のような公共物にサービス、医療、教育や科学なども含め、大きな恩恵は「何にも代えがたい資産」として残っているのだ。
 国(政府)の累積赤字だけを見て驚いてしまうことは仕方がないことだが、前述した視点がごっそり欠落している。この累積赤字には電通パソナのように、中抜きのようなものも含まれるため、これは法的観点から罰せられるべきだろう。
 累積赤字で見るべきは、それによ ってもたらされてきた、これまで日本国民が受けてきた恩恵の歴史であって、これを省いて短絡的に「国の借金」と批判することは誤りである。したがって、政府支出を悪と決めつけてかかる姿勢をまずは排するべきだ。既に耳にタコかもしれないが、我が国は管理通貨制度である。税を財源にする必要がない権利を獲得しているのだ。これこそ誇るべきであり、各種インフラを享受できている恩恵は、累積赤字のおかげである。経済の凋落や政商が跋扈しているのは、この恩恵を忘れた者が多くいるからに他ならない。政府の支出が悪なのではなく、それによってもたらされることに思いを致せないことこそ悪であり、現世代、ひいては将来世代のツケである。

 

政府支出は 国民の富なり

 メディアでは「国の借金」はセンセーショナルだけに、視聴率稼ぎで必ず取り上げられるが、先ほど述べた視点で語られることはない。すぐに「放漫財政」等と言い、実態を把握することもせず、毎年同じことを垂れ流している。政治家にしろ選挙運動の際、大衆受けの為に「利用」されている。なぜ利用するのだろうか。選挙の際に効果的なのは、「国の借金で大変であるが、〇〇には公的資金を用いて負担を軽減するため頑張ります」と言えるからだ。要するに方便として利用しているのである。もしそれが実現すれば手柄にも出来るため、この理屈を利用しない手はないのである。管理通貨制度を知る者からすると、なんともおぞましく映るだろう。
 さて、「政府支出は 国民の富なり」としたのは、英国の経済学者、故ウェイン・ゴドリーが指し示すものが基礎になる。次の通り。

 

 ある経済部門(政府/民間/海外)の金融純資産は、その他の部門の金融純資産の合計と一致する。

 

 これは「ストック・フロー一貫モデル」と呼ばれ、簿記や会計を学んでいる人にとって理解できるものではないか。ここから、次のことが言える。

 

 政府が財政赤字(黒字)となる時、民間部門と海外部門の収支の合算は必ず黒字(赤字)になる。

 

 このモデルが示す通り政府が赤字を出すと政府以外の部門が黒字になる。この記事の上段でも書いているが、まさに我々の「恩恵」である。いわゆる国の借金と呼ばれる政府の累積赤字は、非政府部門の黒字なのだ。政府が赤字を削るということは、国民から税金を徴収してそれに充てるため、生活の質を落とすことになる。これを数十年も続けてきたのが我が国だ。しかも、管理通貨制度であってだ。

 

 



経済同好会新聞 第327号 「国の借金 国民負担にあらず」

国の借金 国民負担にあらず

国の借金 国民負担にあらず

国の借金 国民負担にあらず

国の借金で何も起きていない

 我々が教わってきたことは、国が借金を積み重ねて行くといつか破綻すること。そして、これは将来世代が払うツケになることだ。このような話は昔からあったようだが、これまで述べてきたように管理通貨制度である我が国は破綻することはない。なぜならば、日本政府は通貨の発行者だからである。
 我が国の与野党の第一党を見ても財政規律の声が多く、経済政策は異にするところはあるが、財政破綻しない我が国においてこの両者は五十歩百歩だ。いづれの第一党がこれでは、日本経済が凋落したのもむべなるかな。ひとえに、管理通貨制度であることへの認識不足からだ。
 おもしろい話として、「国の借金を消すには、戦争してただの紙切れになってチャラにするしかないのかな」というもの。それだけ国の借金対する認識は、不安と一緒にこびりついている。加えて、将来世代のツケだと刷り込まれてしまえば、贖罪意識から政府に対して憤慨する者もいるだろう。更に、国の借金に対して大批判している人達が、一向に海外へ逃亡しない不思議さ。その心理には「国の借金によって何も起こっていない」ことを何十年もかけて体験しているからだろう。お化けが出るぞ出るぞと言われ、恐れながら身構えていても一向にやって来ない、その内に飽きてしまいどうでも良くなる。そうかと言い、毎年のようにニュースで国の借金一人当たり〇百万円と聞くと不安に襲われる。だから知るべきなのだ。我が国は管理通貨制度であり、破綻することはない。国の借金は国民が背負う借金ではないことを。

 

バラマキ改めタネマキ

 国会では予算案ですったもんだと議論しているが、あっちは削りこっちは支出する「トレードオフ」が常態化している。本来はあっちもこっちも大事であれば、財政拡大すればいい。このようなことを言うと必ず出て来るのが、「バラマキがー!放漫財政がー!」という物言いをする人達が現れる。繰り返し述べているように我が国は管理通貨制度、財政破綻もしなければ予算制約もない。ただし、財政拡大した分は、市場が吸収できれば問題はない。吸収するということは、供給力を毀損しない、つまり実物資源が制約になるということだ。
 株をやる人が知るべきは、我が国は英・米と同じくする管理通貨制度あり、中央銀行の存在についてだ。よく金利を問題にする投資家は、外国の事例を引き合いに出して心配しているが、日本銀行金利を調整していることを理解すべきだ。通貨主権国において、金融市場が債務危機に陥るとする議論は我が国には当てはまらないことを知っておけば、これまでの金利の推移も容易に理解できるだろう。ノストラダムではないが、不安を煽る者のいう事を鵜呑みにしていはいけない。彼らは管理通貨制度のことを知らず考察をしているのだから。この一点で物の見方が転倒するのだ。
 さて、バラマキという言葉には酷く問題があるマイナスイメージがつきまとうからだ。管理通貨制度における政府の支出は、タネマキ(種まき)と呼ぶにふさわしい。政府が種をまき、その種を得た国民が水をやり育てる。市場を育て、国家を育てるが如し。政府は国家全体を育てるため、お金というタネをまくという具合だ。国民は水のやり方は心得ている。後は政府次第だ。

 

 

tasan様
セーブザチルドレンの対象国


 

 

経済同好会新聞 第326号 「国家の永続は国民にあり」

国家の永続は国民にあり

国家の永続は国民にあり

国家の永続は国民にあり

盲点化された労働者への待遇

 我が国は管理通貨制度であることは、これまで何度も述べてきた。国民は税金を納めているが、生活のために労働をしながらお金を稼いでいるとも言える。政府が発行するお金で、我々国民は国家を形成しているとも言えるのだ。つまり、国家形成のため、政府は尽力すべき動機があることを意味する。どういうことか。
 国民が生活や税金を納めるために労働していることは事実であり、政府はこの労働に対する保証を約束する必要があるのではないかということ。このような観点は、米国の経済学者である故ハイマン・ミンスキーが述べていたものになる。政府は国民に納税義務を課しているため、必然的に納税のために国民は労働を求める動機にもなっている。政府が国民の労働を保証することは筋が通っているだろう。これまでの失業対策とは異なり、政府が労働者に雇用を保証する(公務員として雇用)。。これは管理通貨制度である我が国、同じくする英・米だからこそ可能な政策だ。加えて、これはワーキングプアをなくすることにもなる。現在のような派遣企業に登録して働く非正規雇用では、将来不安が大きい。何かあれば失業の憂き目に遭うのも非正規労働者が先だ。これをなくすることは、経済の好循環には欠かせないものなる。
 ここで言う雇用の保証は、必ずしも労働を強いるためのものではないことは予め。来る不況に政府が応えられるようにしておき、失業による労働者の生活不安や負担をなくする、引いては日本経済へのダメージを最小限にするものだ。

 

盲点化された弱者への待遇

 我が国では困窮者は生活保護を受けられる制度がある。これで万全と思いきや、実態は冷酷な対応がなされる事例が後を絶たない。預金残高が0にならないと生活保護を受けられない等、二千円の残高でも許されない役所があった。最初から門前払いのところもあれば、市議やNPOに連絡してようやく受理された話はいくらでもある。そもそも、我が国は自己責任論が強い風潮から、生活保護を恥じて受けようとしない人達もいる。更に、扶養照会で家族に知られることで躊躇う人達もいる。市町村においては税財源であるため、生活保護を簡単に受理したくない面もあろう。これらが自殺の原因になっていることは論をまたない。
 生活保護の不正受給者の問題は意外に一握りしか存在せず、一方で生活保護補足率は世界でも最低の部類なのだ。弱者に厳しい国なのである。
 これも何度も口酸っぱく述べてきたが、消費税は経済の自動安定装置を破壊するものであり、応能負担に反し、弱者にと って非常に厳しい税である。故意にやっていると言われても仕方がないだろう。管理通貨制度である我が国において、なぜ、弱者から徴税するのか。そもそも、非管理通貨制度であっても、税制は累進課税が妥当なのであって、応能負担が原則のはずだ。わざわざこれを破壊し、弱者に税負担をさせる一方で、「富む者を富ませた」のは、政策立案者の恣意が働いていることは透けて見えているではないか。
 政治家もさることながら、我々国民はこの諺を思い出すべきだ。

 

衣食足りて礼節を知る

 

 大前提にこれを置く限り、政策は弱者を産まないものになる。他人事であってはならぬ。

 

 



経済同好会新聞 第325号 「経済の三流国家日本」

経済の三流国家日本

経済の三流国家日本

経済の三流国家日本

ごり押ししか能のない経済政策

 経済不況の際は減税、ないし、免税することを求められるが、我が国は正反対の増税に次ぐ増税をやった類まれな経済音痴。国民もこの基本中の基本を忘れ、いわゆる「国の借金」を信じるあまり、やらなくても良い財政再建に賛同する。政治家はこの民意を尊重するが、これは同時に衰退を容認することに他ならない。
 我が国で目立つのは、「責任を取らない」ところ。極度に非を認めることを恐れ、相手を馬鹿にする「優位性」欲しさに、詭弁だけは上手くなる人達が政治家、著名人や一般人にも一定数いる。昔の人達は言い訳を良しとせず、頭を下げることで名誉回復をはかっていた。どれほど口が達者でも、結果を出さないことは恥だと知っていたのだ。一方、我が国の経済はどうか。数十年も停滞させ、謝罪したのは故橋本龍太郎元総理大臣のみ。結果を伴わない政治、口先ばかりの政治家に贈る言葉

 

一般に、言い訳のうまいやつは、それ以外は何をやってもだめだ
ベンジャミン・フランクリン

 

 驚くべきことに、我が国の政策に影響を与える経済・財政学者も経済停滞させた張本人だ。彼らは謝るどころか、必死になって自らの椅子にしがみつきながら誤った言論を撒き散らしている。このような人達に贈る言葉

 

しがみつくより手放す方が、はるかに力を必要とする。
J・C・ワッツ

 

間違えた減税

 消費税は増税法人税は減税。減税は減税でも、法人税の減税は相当悪手だった。経済の停滞から脱せずいることが何よりもの証左であり、政治家も経団連も全く反省の色なし。恩恵を受けたのは一握りの高額所得者であり、富める者が富めば、その富が下へ向かって滴り落ちるようになり、経済全体が良くなるとする「トリクルダウン」は今をもって起きていない。嘘だったのだ。この事実は与党にとって相当なショックであるはずだが、自公明は変わらなかった。
 全人口の中の大半を占める低・中所得者にお金を回すことが最優先であり、そのためには消費税は廃止、法人税増税が王道である。付け加えれば、税制は各国の「お家事情」があり、真似るものではない。
 管理通貨制度における国々では、政府の財政政策が経済の好循環に寄与しているかどうかが重要なのだ。税金を財源としないことからも、税負担で国民が困窮することは本来はない。そもそも、我が国は何重にも間違えており、それは次の通りである。

 

・消費税増税による消費の抑制・法人税減税による所得分配の偏り
・労働者派遣法による低賃金化

 

 これら誤った政策の上で、更には社会保険のような保険料の負担が中間層の購買力を奪い、低所得者を困窮させ続けている。日本経済が浮上しないのは、このような三流国家並みの政策をすすめるからである。
 資本家に忖度、外部に依存する行為。政商が政策立案に関与し腐敗していく様も三流国家そのものの振る舞いである。誤りを認めず責任をとらないため、我が国は没落の一途だ。経済の三流国家に成り下がった日本。政治も三流である。

 

 


 

tasan様
夫婦が理想の子供数を持たない理由


経済同好会新聞 第324号 「不可思議な財政論②」

不可思議な財政論②

不可思議な財政論②

不可思議な財政論②

経済の本体は財政にあらず

 学力社会と言われて久しいが、この学力を生かせない環境を作ってきたのはこの数十年の政治。財政を気にするあまり、人間社会の営みである実体経済を蔑にしてきたツケである。国家予算を税収内で賄おうとする行為だ。何度も述べてきたように我が国は管理通貨制度、税収と支出を均衡させる必要はない。重視すべきは実体のある経済であって、財政の均衡ではないのだ。税収をかき集めるための手段として、弱者からも課税することを是としてきた我が国は非常に冷酷である。
 実体のある経済に重きを置けば、財政は必然的に累積赤字を出すことになるだろう。時には好景気によって税収が政府支出より上回ることもあり、本来はこのような状態を維持しておくことに腐心するのが、財政政策に関わる者達の腕の見せ所ではないのか。結論ありきで財源を税収としている以上、脳の使われ方はネガティブなものにしかならない。つまり、貧困層や災害による被災者からも課税する発想になってしまうのも、やむを得ない事情だと自己説得がはじまるのである。これは非常に恐ろしいことだ。メディアが垂れ流す「放漫財政」という言葉も、政府の支出に歯止めをかけることに一役も二役も買っているのだから、相当に罪深い。彼らのジャーナリズムは経済方面には発揮されないようだ。

 

じり貧な思考

 財政よりも実体経済に重きを置くようになれば、非正規労働者を正規社員にすること、そして更には失業のない状態にしておくことが肝要になる。同時に物価の安定も必要だ。この数十年の財政の考え方では、財政を均衡することが目的化しているため、退嬰的にならざるを得なかったろう。実体経済が比較的バランスが取れていた時代、その恩恵を受けた世代の政治家や経団連代表がこぞって、財政規律が必要だと主張しており、我が国を衰退に導いてきたのである。政策に影響を与えてきた政策工房に然りだ。
 我が国の不可思議さは、数十年も放漫財政が!国の借金が!と言いながら財政政策をおろそかにしている間、貧困・格差拡大を許してしまうところ。現在進行形の話だ。このように財政規律を是とした結果、我が国は衰退してしまった。先進国とは名ばかり、もはや「昔取った杵柄」を自慢することで、体裁を取り繕う三流国家に成り下がってしまったのである。
 管理通貨制度である国 々は財政のバランスではなく、経済のバランスを取ることに力を入れることで国民全体、ひいては国家の安定に寄与する。
 これまでのように、政府が支出した分は税金で取り戻すような発想をしていては、経済のバランスは有り得ない。百歩譲 って、財政のバランスを考慮したとしよう。これも有り得ないのである。なぜか。この数十年で我が国自らが証明しているではないか。あっちを削り、こっちには出す、こんなことを繰り返してきたため、インフラの劣化を招き、地方も衰退している。教育・科学にしろ同様だ。
 我が国の顔が知れた政治家のほとんどが、消費税増税で仕事をしている気になっているが、実情は真逆。国民も企業も疲弊したのである。決して財政が火の車だからではない。繰り返し述べているが、管理通貨制度において、お金の発行者である日本政府が財政で問題になることはない。したがって、財政が赤字か黒字かは重要ではなく、実体経済が重要なのだ。(了)

 

 

ツェリ子様
水道民営化は外資への贈り物
これだけ恐ろしい水道民営化まとめ


 

経済同好会新聞 第323号 「不可思議な財政論①」

不可思議な財政論①

不可思議な財政論①

不可思議な財政論①

放漫財政で経済停滞の不思議

 前号までの連載では、我が国は管理通貨制度であって家計と財政は異なることを述べてきた。今でこそ幾ばくかの政治家は理解しているが、一般人も含めれば十数年前とは比較にならないほど増えた。
 我々の家計と国家財政を同じものとして考える癖は、ある意味ではそのように教えられてきたためやむを得ないところがある。これは大昔の人々が現代の生活環境を理解できないことと等しく、現世代に生きる我々にとっては、至って普通のことだ。管理通貨制度が常識として認識されるまでの間、その過程には財政破綻論や、いわゆる国の借金のような概念との綱引きは続くのであろう。
 さて、財政破綻論と等しくする議論が放漫財政。経済学を嗜んだ者であれば、放漫財政はインフレとして統計に表れることを知っている。ところが、この数十年でインフレは低い水準と停滞を示している。これの意味するところは、決して放漫財政ではないということだ。過剰なインフレは過剰な物価上昇になることを考えれば、放漫財政の根拠になるだろう。しかし、この数十年内で全くそのような現象は起きていない。したがって、放漫財政とするには相当無理がある。政府支出の積み重ねだけを見て放漫財政と断じ、それが財政破綻につながる理屈を展開しているのだ。ここで思い出したいのは、我が国は管理通貨制度であること。この観点からは、何が真実であるか惑わされずに見えてくるのだ。

 

要点は何か

 我が国は管理通貨制度であるところ。故に、財政を均衡させる必要はない。要(かなめ)は国民経済であり、経済のバランスを取ることに重きを置くことだ。財政のバランスではない。
 こども食堂が全国に数千か所もあり、非正規労働者が多くいる我が国おいて、放漫財政であることは決してないのである。財政のバランスを取ろうとするあまり、経済のバランスが著しく崩れてしまったのだ。そう、貧困格差拡大である。この本末転倒ぶりは糺さねばならない。 前提の誤りは結果として、必ず現実に反映される。財政健全化と言いながら衰退してしまった事実を直視せず、人口が減少したからだと居直っていては、「衰退が原因で人口が減少した事実」からは遠ざかる。衰退の原因に消費税増税や、法人税減税が要因になっていることも指摘しておかねばならないだろう。(参考・当新聞第279号)。
 経済をバランスさせるには、税制改革によって改悪された税制を元に戻すこと。雇用面は構造改革によって改悪された労働者派遣法を昭和のように 戻すことだ。
 さて、雇用については失業率が以前と比較して下がったと言う人達もいるが、低賃金で働く人達が増えたことには言及しない。例えば、大学や大学院を卒業しても、アルバイトや非正規で労働をしている等、潜在的な生産能力を引き出せない環境になっている。これは先ほど述べた構造改革による人災だ。決して努力不足からではない。驚くべきことに、これらを総じて自己責任で片付ける人達がいるところ。 財政政策で出来ることは非常に多く、それをして来なかったツケは、まんまと改革者らに政治を明け渡してしまった。このような状況が維持されれば、必ず誰かが低賃金で働くことになる。つまり、放漫財政ではなく、支出が少ないからに他ならない。

(次号につづく)

 

 


 

山本太郎
自民党よりも、より悪質なのが維新


経済同好会新聞 第322号 「家計と財政は異なる③」

家計と財政は異なる③

家計と財政は異なる③

家計と財政は異なる③

管理通貨制度における予算制約

 前回は、国の借金は国民が背負う代物ではないこと、その理由に我が国は管理通貨制度であることを述べた。そうなると、これまで言われてきたことは一体なんだったのだろうかと思うだろう。災害の復興やこのコロナ禍で財源の議論をすることが、いかに愚かしいことか理解できるというもの。
 我が国は管理通貨制度、あるいは、通貨主権があることや財政破綻しないことを知る政治家はいる。声に出して言わない政治家も含めれば、年々増えているだろう。官僚も一般人に然り。政治家が政治で出来ることが多くなる、即ち、国民の安全や安定的生活に寄与することが可能なのだ。これまでのように、予算はあっちへ出すがこっちは削るといったようなことをせずとも、全てに支出できるようになる。
 ここまで見て行くと、政府には予算制約がないのではと思えるだろう。実際に金本位制(税財源)の時代は税収の範囲内という制約はあったが、管理通貨制度には制約がなく、財政を運営する上で自由度が飛躍的に高くなっている。ただし、無尽蔵にお金を発行することで混乱が起きてはいけない。例えば、消費者である需要が供給を大幅に上回るようなこと、物が行き渡らなくなる現象は避けなければならない。更に、資源を浪費し過ぎてしまうことにも注意を払わなければならず、このような実物資源が予算の制約になる。

 

改革で衰退したニッポン

 管理通貨制度であることは理解できた。ところが、我が国は進んで財政を均衡させようとする。財政規律だ。この他にも、プライマリーバランス基礎的財政収支)の黒字化を試みており、これらは全て財政法が絡んでいる。小泉政権期に設けたプライマリーバランス黒字化目標以前は、財政法があろうと税収以上に予算を出していた。バブル崩壊以前の好景気はそのおかげだ。現在も税収以上の支出がなされているが、経済は停滞したままだ。なぜか。法人税減税と消費税増税が関係してくるからだ。
 ここから見えて来ることは、国会で予算を決定する際、税収以上に支出することは政治の判断で可能だということ。法人税率や消費税いかんで、バブル崩壊以前の景気が良かった頃の日本を取り戻せるところだ。
 我が国は管理通貨制度である以上、財政法の縛りやプライマリーバランス黒字化目標は破棄すべき代物であることは自明である。財政規律を律儀に守った結果どうなった。これに加えて税制を改悪した結果、富む者は富み、低所得層が増えてしまったのである。  財政規律で予算を制限し、法人税率等の税制改革でお金の流れを株主に配当される仕組みになっているため、改革だ!改革だ!と言う政治家や政党は、意図してか意図せずか定かではないが、日本を衰退に導いていると言っても過言ではない。  管理通貨制度を理解すると、政府はお金の発行者であって、国民はお金の利用者であることは容易に腑に落ち、いわゆる国の借金がデマに溢れていることも理解できる。
 管理通貨制度は、人も文化も資源も技術も、外資やビジネスに依存することなく、政府はこれらを守る術があることを意味している。したがって、「民営化」や「改革」と言う政治家や政党は、国家も国民もを守らないと言っているに等しい。財政健全化に然りである。
(了)