経済同好会新聞 第112号「エリート面した政治家」
エリート面した政治家
失われた三十年、財務省の意図した通り
社会には短期的、中期的と長期的があり、この組み合わせが同時に行われることがよくある。例えば、科学や教育は長期的な見方をしないと、短期間で学習の成果が身に付いたり、研究の成果は出ない。短期間で成果が出る人は稀であり、いつもそうとは限らない。
日本の歪みは「無駄を削る」考えから、短期型成果を求めるようになったことがそもそもの誤りで、余裕のない社会構造を後押しするようになった。なんでもかんでも短絡的に、あれも無駄、これも無駄と断罪したツケと財務省の省是である緊縮財政が一体となり、日本を衰退させてきた。
財務省の特徴
政府の支出を抑制すること。無駄と思われる予算を削る。予算を付け替える。課税により借款する。
この特徴は財務官僚の出世に関わっており、これが人命よりも財政規律を優先すると言われる所以だ。
財務省の緊縮財政至上主義の問題の本質といってもいいかも知れません。それは「短期主義」です。
ご存じの通り、財務省の官僚は「省是」である緊縮財政に貢献すると、出世の階段を昇ります。消費税増税、公共事業削減、社会保障抑制、地方交付税減額、防衛費削減などなど、とにかく緊縮財政のために「汗をかく」ことで、上司に「評価」される構造になっているのです(本当にそうなんです)。
そして、緊縮への「貢献」は、短期で大丈夫です。
「今年、増税に貢献した」
「今年、公共事業を減らした」
これで、その年の「評価」はクリアーとなります。
(三橋貴明ブログ)
財務省は出世のために短期的に成果を上げる。しかも、この成果は国家ごと衰退させる緊縮財政であり、国民のことは一切眼中にない。
無駄の削減は財務省の常套手段であり、無駄の削減を掲げる政党は財務省と同じ発想であり、これもまた国家衰退を後押しする。
人間は生まれてから育てられるように、国家全体も長期的に「育む」こととして見なければ、社会構造が歪んでしまうのは当然だろう。構造改革だ、イノベーション等と付和雷同したことで、逆に衰退が加速したではないか。
石橋を叩いて歩くことをしなくなった政治は、すぐ改革に逃げ、改革派である竹中平蔵パソナ会長のような政商の自己利益最大化に利用される。戦争以外に、これほど国家を毀損した事例はないだろう。
余裕や無駄は日本の強みであり底力の源泉ではないのか。余裕を削られた社会前提で物事を進めようとしているのが、この数十年のことであり、本来は削られた分をきちんと埋めて整備してから再スタートをすべきだろう。
原因を詰めていけば、財務省が緊縮財政の根幹にあり、存在自体が社会に機能不全を与える思想をしているため、廃止すべきだ。 未だ、緊縮財政と規制緩和で土台を破壊し続けている日本は、安全保障違反で政権はとうに交代していないとおかしい。
人命より財政規律を選択する政治家、財務省や学者はどう転んでも異常でしかなく、国民・国家毀損で拘束すべき案件だ。 彼らがしている事は国家破壊でしかないのだから。