「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第130号「おぞましく傲慢な政治家」

おぞましく傲慢な政治家

おぞましく傲慢な政治家

おぞましく傲慢な政治家

未だ続く、均衡財政主義の弊害

 緊縮財政の歴史はなにも今はじまったことではなく、戦後一貫してのことだ。これは、平和憲法と取沙汰される我が国とは密接不可分であり、戦後間もなくは社会党共産党をはじめとする左派が、積極財政を許さなかった。足枷は戦争を二度と起こさないこと、これに由来しており、国債発行は即戦争につながるという安直なものから来ている。今でこそ、そんなことはないと理解できるが、戦争直後の爪痕は深く心理をえぐったに違いない。むしろ、平和であれば貧困の方が戦争するよりマシだとさえ、当時は思っていたのではないか。
 ところが、ここへ来て、共産党国債発行を許す事態がこのコロナ禍で起きている。逆に、自民与党は財政健全化に縛られ、国難であろうと発行した額は企業も国民も救える規模ではなかった。未だ予算を組むこともなく、困窮している病院、企業や国民を救うわけでもなく、企業淘汰すると言われる改革を断行しようとしており、国難の上に災難を立て続けに覆い被せる勢いだ。

 

思想?合成の誤謬(ごびゅう)?

 積極的な国債発行は戦争につながるものとして、左翼が反対してきたことはこれまで通りとしても、保守的立場にあった自民党新自由主義の到来でグローバル化に舵を切ったことで、政府がお金を出すよりも、公部門を民営化することを視野に入れるようになり、つまり、左翼も保守も揃って国債発行の重要性を軽視する状況に陥ってしまった。これが顕在化し出したのは、小泉政権以降の改革派の躍進だろう。貧困と格差拡大はこの頃から加速し、ほとんどの政党で財政均衡論が常態化してしまった。。財政均衡ありきというよりは、偏った平和観による左翼思想、かつての保守の姿は新自由主義にとって代わられ
政府のお金を出さない病の道筋が今日まで続いていると言
った方がより正確か。
 右も左も国債発行に否定的であれば、必然的に国民の多くが自助・共助に頼る他はなく、じり貧になる他ないではないか。
 消費税、歳出削減、コロナ禍、改革と、完全に国民は置き去りだ。戦後70年の呪縛と新自由主義による国債発行の縛りは、国民にとってある種の盲点と言っても良いだろう。国債発行、つまり、通貨主権を持ちながらそれを履行しない愚は、彼らにとっては大真面目、或いは合成の誤謬に基づいているため、積極財政への転換は急務と言えよう。
 合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。

 

コラム

 去年の統計によると、出生数の減少は51万2千人で鳥取県の人口分に相当し戦後最悪。お金がなく結婚出来ない若者が増えていることを意味している。
 昔の政府が十分な国債発行をして来なければ、この世に存在していない政治家もいたかもしれず、恩恵に預かってきた政治家が国債発行を渋る等と、おこがましく傲慢である。
 自分は恩恵に預かるが、その他はダメだ。暗にこう言っているのである。お前はどこのジャイアンなのかと言いたくなるだろう。
 このような二重基準をそれと理解できなくさせるのもまた、思想や合成の誤謬である。

 

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