「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第177号「求められる経世済民」

求められる経世済民

求められる経世済民

求められる経世済民

とんでもない災難な年に生き、歴史を刻む

 経済に触れ、知れば知るほどこの数十年の日本は無駄に「毀損と衰退」をしてきたと知る。中でも、自国通貨建て、かつ、変動相場制を知ったこと、税収に関係なく政府は支出できることで、「多くを救える」手段があると知ったことは大きい。また、多くが豊かになり発展していけることが可能ということもそうだろう。
 国の借金のデマは、右へ倣えの性質を持った国民性に深く浸透し、また、お金に対する偏見と固定観念が「汚いもの・多くを求めてはならない」と忌避すべきものとして自制心が働く。これに加え、税金は財源という洗脳は、かつての日教組にも似たものを感じる。目的を達成させるためには嘘も方便と当初はそれで良かったが、次第にそれに慣れ、大きな嘘をついてでも成し遂げようとする。「やり過ぎ」なのだ。
 この世は何事でも偏ればバランスを取るように出来ており、短期・中期・長期のいずれかでバランスが取られていく。現在は偏りを元に戻そうと、「反緊縮」「経世済民」をうたった人達が声をあげ、少しずつ広まりを見せている。
 よく考えれば当然のことだが、苦しんでいる人がいれば助けることは「持ちつ持たれつ」の世であれば当然のこと。それを自己責任で一刀両断する政治家や名の知れた者達が言うことで正当化され、弱者はより弱い立場を甘受する他なくなる。
 ハーマン・メルヴィルはそれら理不尽に対してこう言ったのだ。

 

いい住まいを持ち、寒さや飢えを知らない者が憶測で貧しい者の人間性を批判する程、馬鹿げたことはない

 

 安全圏にいながら弱者に対する当事者意識を持たない者たちが、さも正当性のあるように自己責任論をぶつける様は、自ら世間知らずだと告白しているようなもの。彼らの短絡さは、自分ではどう解決してやれば分からない、思考停止に陥ってしまうことで、選択肢として自己責任論という現実逃避に走ってしまう。見たくないものには蓋、それが自己責任論の多用なのだ。

 政治家をもってして、自国民を「借金が膨らんだから」と救わないことを当然とした時点で、彼らもまた現実逃避者なのだ。政治家の肩書を外せば、彼らはただの一般人。そのように見てやれば、どれだけ彼らに正当性がある・ないかが一瞬にして理解できるというもの。
 平時では継続・継承的な基礎固めをし、常に安全と余裕を作っておく。有事では優先すべきことに全力を注ぎ、限りなく憂いを断つよう腐心する。現代では平時も有事も「緊縮財政」を念頭に入れているため、全て中途半端。その上で全力で取り組む等と言おうと、結果が出ないのはこの数十年が証明している。
 政治は結果とは安倍前総理。結果は日本経済の衰退が継続中だ。


休刊のお知らせ

 令和元年12月21日に発刊した当新聞は、おかげさまで1周年を迎えることが出来ました。これからも末永くご愛読いたけましたら幸いに存じます。
 お正月休みに伴い休刊させていただきます。
 12月30日(水)から1月4日(月)まで。翌日から再開させていただきます。今年は大変お世話になりました。また今後とも、来年もよろしくお願い致します。
経世済民同好会