経済同好会新聞 第185号「財政規律に振り回される国民」
財政規律に振り回される国民
差がついた対応、日本政府の曖昧路線
昨年1月16日に新型コロナウイルス国内初の感染が発表されてから1年が過ぎた。世界のコロナ対応は指導者によって大きく差が出ており、公衆衛生に優れた日本の当初は感染者は少なく済んでいた。ところが、補償なき自粛要請により国民は「やむを得ず働く」しかなく、感染者は次第に増えていった。
自粛に従うと経済的に困窮し、働けば感染のリスクを負う。こんな当然のことを当時の安倍政権も現在の菅内閣も自覚していなかったのか、とにかく対応が遅く、財政出動で国民を救うことを怠ってきた。禍根を早々に消すことに舵を切らなかった日本政府とは違い、台湾政府は早い段階でコロナ収束を実現してきた。
ヨーロッパやアメリカの感染は爆発的に広がり、死者も日本と比較して段違いの多さだが、指導者によって「集団免疫」を採用していたり、マスクを推奨しなかったためのツケだろう。一旦広がってしまうとなかなか収束してくれないのが、新型コロナウイルスの恐ろしさだ。未だに完全な対処法はなく、治療を受けて対処療法をするしかないのが実状だ。
セオリーは検査・追跡・隔離・検疫で感染者をこれ以上出さないことが、今とれる地味であり的確な手段なのだ。台湾の成功はこれを徹底しており、優秀な若い人材を率先して取り入れたこと、情報をオープンにしていることや間違いがあれば即刻謝罪をして信頼回復に努めているところも成功した鍵だろう。
愕然、「内容」より「誰」
自粛警察のような短絡的な行動は、まさに著名人という権威を鵜呑み・忖度した結果である。自粛できない背景には「営業しないと潰れる」という状況があるからで、好き好んでこんなコロナ禍で営業する人はいない。政府の無為無策が指摘されるのは、このような無理解から生じるのだ。
どのような事柄であろうと、原理原則というものがある。著名人がこの原理原則から外れ、「もっともらしいこと」を言っていれば批判されて然るべきだ。ところが、内容を精査せずに著名人の言うことを鵜呑みにし、正しいことを言っている者を批判し攻撃する。
経済方面でも誤った論文を基に財政破綻論を展開する経済学者がいたり、医療方面でも同様のことが起きている。それを鵜呑みにした結果が貧困と衰退であり、感染拡大を止められない一因となっている。
基準は安全
安全を指針にすると、何が足りないかが見えて来る。こうだ。
①自粛をすることは安全を確保するが、その一方で経済的損失で生活や生命が脅かされる。
②経済活動は生活や生命の維持に貢献するが、その一方でコロナ感染リスクに脅かされる。
この両者の安全を満たすためには、自粛と補償をセットにすることで可能だ。政府はこの原理原則を守らないため、当新聞では安全保障の放棄であり、憲法違反だと何度も訴えているのである。
政府の役割は、国民をいかなることからも守ることであり、財政規律でも利権でもない。
わざわざ財政規律という制約を設け、国民を救わないのであれば、それは殺人に等しい。