「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第221号 大予言「財政危機」

大予言「財政危機」

大予言「財政危機」

大予言「財政危機」

腐敗した時代、劣化する日本

 「1999年7月、空から恐怖の大王が降ってくる」としたのは、ノストラダムスの大予言。当然、当時は何も起きていない。検証された結果、翻訳者の恣意的であり間違いだという。実はこれと同様のことが経済界隈で起き続けている。どういうことだろうか。
 ハイパーインフレが2020年に起きると予想していた、日本維新の会所属の某経済評論家。そして、財政破綻詐欺師と言っても過言ではない某慶応の経済学者。この両者は最近そのように言い始めたのではなく、随分前から予測しては外して来たのだ。ところが、現実は彼らの言動の全てを拒否した。しかし、彼らの言動は増税させるに余りあるように受け取られた来たことも事実であり、虚偽によって消費税は増税されてきたと言っても過言ではない。
 このコロナ禍でさえ、国民や企業の救済よりも財政規律が大事だと言って憚らないのは、彼らの「大予言」を鵜呑みにしている経済学者、政治家がいるからだ。国の借金は将来世代のツケ回しという言動も、発端は誤った経済学にある。財務省はこれ幸いと出世条件の財政規律に走るという具合。人命より、そっちの方が大事か?と思える人は至って常識人だ。

 

笑えない現実

 ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンに右へ倣えをした日本の主流派経済学者。クルーグマン金融危機の際に持論を変化させてきた経緯があり、その変化は徐々に現実に沿うものとなっていった。ところが、日本の主流派経済学者は変化せずに保身まっしぐら。一度言ったことを撤回することを恥だと思っているのか、それが原因で日本の衰退と国民の毀損を招いている。災害が来ようと財政再建がー!コロナが来ようと財政規律がー!と言って救わない。そう、未だもって「大予言」を盲信しているのだ。
 例えば、道に迷ったとしよう。引き返した方が目的地に早く着くのではと助言しようと、「いや、ここを進めば間違いない!」とずっと周辺をうろうろして同行者に迷惑をかける。ばつが悪くなると、もう少しで着くから問題ないといって誤魔化す。終いには、同行者のせいにしだすのだ。こんな愚行を数十年も繰り返しているため、日本経済の停滞と凋落を招いてきた。

 

道徳のはき違い

 財政規律が正しいというのであれば、国家を衰退させてまでそれを守ることは道徳的に正しいのだろうか。財政規律を重んじるあまり、増税という国民に重く負担を押し付けてしまうことは、非道徳的ではないのか。
 痛みの分かち合いも同様に、大前提を疑ってかからなければ、こんな数十年も取り残されたように日本経済が停滞することは有り得ない。考えを放棄した結果が現実なのだ。守るべきものを守らず、財政規律によって人命が失われることを容認しているも同然である。これほど許しがたいことはあるだろうか。 そして、労働者を詐取するパソナのような派遣企業を容認していることも、ビジネス至上主義をのさばらせることになっている。労働者を低賃金で雇用することが当たり前の社会は極めて危険だ。