「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第246号 「傲慢不遜IOC」

傲慢不遜IOC

傲慢不遜IOC

傲慢不遜IOC

日本国民の犠牲は織り込み済み

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は22日、国際ホッケー連盟のオンライン総会での声明で、7月23日に開幕する東京五輪について、予定通り開催されると宣言した。「東京がようやく間近に迫った今、最後のカウントダウンが始まった。この困難な時期に、私たちはリカバリー、団結、多様性について、強いメッセージを送る必要があります。東京はトンネルの終わりに光を放つだろう」と主張し、「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない。アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」と、語った。
(デイリースポーツ)
 IOCバッハ会長は、犠牲が出ることを予測している故の発言だろう。安全地帯にいながら、日本国民の犠牲が伴うことを平気で口にしたことは許されざることだ。日本においても、「痛みを分かち合い」等と言う一部財政学者や、竹中平蔵パソナ会長が背後にいる維新政党も同様だ。犠牲を出しても構わないとする者に限って、自らは安全圏にいる。手本を示さず、第三者にやれと指示するのみである。
 このような輩には、人命軽視がありありと透けて見えているのだ。頭隠して尻隠さずである。ここまで近代化して科学が進歩しようと、「犠牲」ありきの選択を決定する恐ろしさ。利権ありきでなければ、ここまで醜悪な一面を見せることはなかっただろう。
 今は有事、平時に変わってからの開催でも遅くないではないか。利権に預かった者達以外、世界中の誰が咎めるというのだ。

 

国内政治も犠牲は織り込み済み

 ちなみに、先日まで、財務省は与党政治家に、
「まだ、昨年度組んだ予算に35兆円の使い残しがあるため、補正予算を組まなくても大丈夫です」
 と、説明して回っていましたが、今後は「27兆円」が使われるのでしょう。
三橋貴明ブログ)
 IOCバッハ会長の「犠牲」は、日本政治もこれを大前提としている。日本は数十年も犠牲を強いられてしまった人達、負担を強いられている多くの人達が存在している。財政健全化と構造改革だ。
 消費税やその他税金も、生活水準以上に徴税されている層もあり、重い負担となっている。経済的事由で自殺者が出てしまうのも、政府による人災である。
 救えたはずの倒産した企業やお店に予算を使い切らずに残す。補正予算すら組まないこのやる気のなさ、人命軽視の最たるものだ。
 竹中平蔵パソナ会長には破格の給付をするが、国民にはしない。自粛要請はするが補償しない。我が国の政府は国民目線を持たず、安全保障のスタートラインにも立てていない。早急にスタートラインに立てる政治家に変わってもらわなければ、いつまで経っても大前提に犠牲を織り込まれた政策が続いてしまう。
 生活水準を落とさざるを得ないかつて中間層だ った人達、貧困層に片足を突っ込んでいる人達が増え、富裕層はますます富む不合理さ。政治がおかしい証左だ。
 不祥事が起きようと法に裁かれない一部政治家や上級国民と呼ばれる人達。これほど理不尽なことは教育上害悪であり、不道徳である。格差拡大を招く経済政策や、その立案者に然りだ。やりたい放題である。