「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第272号 「近江商人から見る経済」

近江商人から見る経済

近江商人から見る経済

近江商人から見る経済

自利利他を成すことにこそ努めよ

 かつて、渋沢栄一はこのように述べている。


 一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業
が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。


 労働者を低賃金でこき使っておきながら、利益を出してふんぞり返るような経営者がいれば、それは渋沢栄一の言う言葉とは真逆の行為をしているということだ。この言葉は現代人のビジネス感覚を鋭く問うものである。
 短期で成果を上げようとする昨今の風潮は、ビジネスだけではなく政治にも及ぶ。財務省が長期計画を嫌い、予算をケチろうとすることがそうだ。国家の営みは中長期視点がなければ、簡単に国が傾く。米国は中長期計画の重要さを認識し方向転換している最中ではあるが、日本は失われた25年を経験しても全く動く様子がない。中抜きにはせっせと予算を組むが、国民の大多数に恩恵を行き渡らせるための予算は組まない。むしろ、予算を余らせ国民をしばき続けているではないか。先人の良い所を見習わず、外国資本の悪いところや、誤った経済学を見習う始末だ。

 

三方よし

 遡ること室町時代近江商人蓮如上人から仏法を聞いていたことはご存知だろうか。三方よしとは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」が込められている。この姿勢は蓮如上人の「自利利他」の教えが理念になったものなのだ。自らの悟りのために修行し努力すること(功徳)、他の人の救済のために尽くすこと、これを両立させた状態が自利利他である。ただ売りっぱなしの儲けではなく、買い手を満足させ、世間の評価も高くなることに重きを置いたのである。簡単なことではないが、近江商人は実践したのだ。
 現代のような労働者を安く雇用し、下請けを叩き、それで利益を出そうと不幸になる人の方が多くては本末転倒である。例え、上場企業であろうと、実体がこうでは正しい商売をしているとは到底言い難い。先人の知恵を蔑にすれば、途端に誰かが不幸になるのだ。ワーキングプアの増加やこども食堂におとな食堂の存在がそれを物語っているではないか。日本の良さをぶっ壊してきたのが、新自由主義のような思想なのであって、典型は小泉、安倍、菅政権や維新の会である。
 近江商人の理念は、現代人のビジネスへのあり方を示唆するものであり学ぶところが大きい。
 やれ株主優遇やら、カジノやらと、実体経済が疲弊している最中であろうと、自己利益のことしか考えない、むしろ他者の犠牲の上でやるビジネスは害悪である。
 驚くべきことは、国家のインフラを担う水道や農業で儲けを出そうという発想を持つ為政者や知識人(エセ)がいるところ。安全保障の要であるインフラで儲けもへったくれもない。公で守るべきものをビジネスの損得勘定を適用させるのは大馬鹿者がすることだ。金の亡者とは、このような発想をする者達のためにあるのだ。
 近江商人のような理念と実践あらば、誰かを犠牲にする発想はない。痛みの分かち合い等と、言語道断である。