「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第277号 「論理なき日本政府」

論理なき日本政府

論理なき日本政府

論理なき日本政府

初心忘れべからず

 コロナ感染リスクがある中でのオリンピック開催には、中止や延期の声も多かったが、つい先日オリンピック開会式を迎え競技もはじまっている。オリンピックは平和の祭典というのは建前であって、パソナ電通の中抜きが取沙汰された時点で、白けてしまった人達もいるだろう。アスリートの集大成を競うことは事実であったとしても、このコロナ禍でやるのは犠牲者が出ることをIOCやJOCは容認していることに他ならず、その姿勢は到底許されることではない。
 まず、人間は生きていないと活動できず、生きていようと病気では活動できない。ナイチンゲールはこう述べていた。

 

 健康とは何か?健康とは良い状態をさすだけでなく、われわれが持てる力を充分に活用できている状態をさす

 

 これは健康面や精神面でも健やかな状態を指している。スポーツ選手で言えばコンディションが整っている状態と言えよう。外国のオリンピ ック選手の中にはコロナ感染により、やむ無く棄権している選手が出ている。酷暑で倒れる選手も出ており、コンディションを整える以前の話がこの東京オリンピックなのだ。わざわざ湿度も高く暑い時期を選ぶのは、とてもアスリートたちに配慮していると言えないではないか。元々、子供達を動員し観戦させようとしていたのだから、ただただ頭がおかしいとしか表現のしようがない。あるいは、見てくれのためなら子供だって利用するスケベ根性すら見えているのだ。
 なんのためのオリンピックなのか、犠牲者を出してまで「おもてなし」するのかを問い詰めたいのである。

 

見えない収束

 医療従事者はコロナ禍で既に、1年と半年ほど神経をすり減らしながら治療にあたっている。そのおかげで助かる人達もいるが、コロナが収束するまではずっと辛く厳しい状況にあることは理解しなければならない。命や病気から救う医療従事者が病気になってしま っては元も子もないではないか。
緊縮財政で予算を削減してきたツケは、医療崩壊を容易に招く事態になっており、保健所の削減も相当響いている。
 ロックダウンと補償をセットを迅速に行えばまだしも、自粛要請に頼った国民丸投げで感染の収束が見えて来ない。その間、犠牲や負担は全て医療従事者や感染した当事者や家族に回る。やたらと無能という言葉を使いたくはないが、日本政府は無能であり明白な人災だ。
政府の人災は災害対策をケチることでも生みだしている。毎年起こる水害に対して国土強靭化に予算を費やして来なかったことは、人命に対する希薄さや国家観のなさが根幹にあるからだ。そのため、中抜きはさせても安全保障にはさほど予算を割かない。教育や科学の分野にしろ衰退の一途である。
 経済もこの数十年は停滞とデフレを繰り返しており、解決に乗り出すこともしない。選挙時に大風呂敷を広げてはいるが、実現は全くなされていないのだ。自公明や維新は口先だけのパフォーマンス政党と言われるのはそのためである。小池都政に然り。
 日本を良くしようと思い政治家になったのであれば、初心を思い出せば良いのである。利権に与るための政治家であるならば、現実も納得である。