「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第282号 「エリートの劣等感」

エリートの劣等感

エリートの劣等感

エリートの劣等感

足元ふらふら、米国になびく日本

 公用語というものがある。世界は戦争の歴史といっても過言ではなく植民地支配から同じ国の中でも異な った言語を話すこともあるのだ。植民地支配から独立しても、長らく続いた習慣として異なった言語は残っているという次第。日本の公用語は日本語だが、第二次世界大戦終結から現在に至るまで、幸いにして日本国民は日本語を用いている。
 ところが、戦略特区では英語を公用語にする話が出ていたのだ。楽天が自社で英語のみ使用する時期があ ったのも偶然ではないだろう。これはグローバル化の弊害と見るべきか、戦略特区のグローバリストへの忖度と見るべきなのか、当然この両者は成立しうる。言語はその国の大昔から脈々と根付いた「継承」の賜物であり、文化そのものであり身体の一部と言っても良いだろう。それを異なった言語に乗り換えようと試みるのは、前提にグローバル化があったとしても、国賊の浅知恵という他ない。この姿勢は、母国に対する自信のなさ、引いては、自分に自信のない者が他者に劣等感をぶつけるのと同じく、それを覆い隠すように「英語は世界の言語だ!これからのビジネスは英語だ!」と革新的な発想や態度で説得しようとするのではないのか。彼らは他と一線を画す出来た人間を演出するのに必死なのだ。フランスのラ・ロシュフコーはこう述べていた。

 

我々は、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるため四苦八苦している

 

 

母国語の強さ

 日本語を話す我々は、春夏秋冬のそれぞれ特有の美しさを生まれてから無条件で嗜むことができる。俳句等でも大昔から謳われているように、日本の様式美は存在しているのだ。言語もその土台にあることを忘れてはならない。日本語で教育を受け、大人になってからでも仕事で学ぶことが多くある。国内における交流手段として母国語を扱うというのは、生活に支障が出ないことを意味するのだ。
 戦略特区が試みた、特区は英語のみ使用するということであれば、今までスムーズに出来たことが途端に出来なくなる。障害でしかない。特区に踏み入れた途端、英語で話すことが求められ、書いてあるものも全て英語。急に別の次元に迷い込むようだ。怪我をしたら災害が起こればどうなるのだ。母国語があるのであればわざわざ別の言語を設定する必要がないではないか。彼らの頭には、根本的に価値観がビジネスで占められており、国家観は二の次、三の次だ。
 母国語はその国の言語であり、学んで継承されていくものである。母国の文化を自ら破壊するような発想ができるのも、 英語に価値があるとする劣等感からである。加えて、外国人が日本でビジネスをやりたければ、日本語を学んで来たらいい。観光に然り。日本人が外国に行けば、通訳をつけるか、その国の言語を多少なりとも知識に入れていくように。
 日本語には、表現に繊細さと多様さがある。「しっとり」の単語ひとつで、複数の表現がなされるが、これを外国語に翻訳するのは難しい。肌のしっとり感、しっとりとしたお菓子、しっとり感のある女性、このように、言葉ひとつで込められる優れた表現が出来る特徴がある。この文化は自国にいると分からないが、先人達の経験と継承の賜物だ。インフラ技術に然りである。

 

 


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