「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第302号 「合成の誤謬」再び

「合成の誤謬」再び

合成の誤謬」再び

合成の誤謬」再び

政府はお節介上手が望ましい理由

 当新聞において「合成の誤謬」は何度か出て来る言葉だが、改めて重要な視点であるため今回も記事にしたい。


 合成の誤謬とはミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。


 この合成の誤謬ケインズがテーマにしたもので、ケインズの理論においては重要度が高い。例えば、経済不況の時の企業は将来不安から投資を抑制し、人件費を上げないか削減の対象とする。この姿勢が正しいかどうかは別として、倒産を免れようとする企業にとっては合理的である。しかし、この状況が続くことはデフレの深刻化は必然であり、投資が出来ない企業の力だけではどうにもならない。それどころか、企業倒産や失業者が増え続けるため、デフレ脱却が必要になるのだ。
 このように企業は合成の誤謬において、リスクを冒してまで投資をしなくなるため、経済はどんどん悪化していくしかなくなる。お察しの通り、これは企業のみならず、経営者も労働者も会社から出れば消費者であり、消費者も企業同様に節約傾向になるのである。しかし、リスクを冒してまで投資できる存在がある。なにか。それは政府である。合成の誤謬に陥っている時は、政府が積極財政(減税含む)を行うことでデフレから脱却する。
 驚くべきことに、この数十年の日本は、経済停滞を良いことに「デフレではない状況」と詭弁を弄し、また、いわゆる国の借金で将来不安を煽り積極財政を怠ってきた。その上で増税をしているのだ。この期に及んで、このコロナ禍においても減税すらしていない。経済が停滞している、あるはデフレの時は政府がテコ入れすることは基本であり、「お節介上手」でないと経済の建て直しは不可能だ。これはコロナ対策も同様、台湾やニュージーランドは政府が上手くお節介を焼いて、正しい方向に導いている。我が国は自助・努力と言い、放置に過ぎるのだ。

 

混同による罪

 財務省は国家財政を家計に例えており、これがそもそも合成の誤謬を促している。日本は管理通貨制であり、自国通貨建てである日本円は、我々の税を徴収する前に通貨(お金)発行を毎年行っている。これの意味するところは、国家財政は家計と違い、お金を発行する主体であることだ。お金の発行主がお金を発行できない家計と同じはずがないではないか。そもそもの概念が全く異なるのだから。
 財務省は国家財政と家計を意図的に混同させ、政府に予算を使わせないように仕向けているのである。政治家も財務省に乗っかり、混同したまま政治を行っている。どちらも罪でしかない。
 国民生活を恒久的に守るためには、国家財政がものをいうのであり、国民の自助・共助で国家の安定をはかろうとするのは、全く国家観なき者の思考である。ケインズは景気に左右されず、国民の生活は安定的であることを目指しており、故に、所得再分配がなされる税制や社会インフラ等は公的機関が管理しながら、安定した供給を行うことを構想していたのである。ここにナントカ主義やビジネス屋の入る余地はない。車やバイクにサスペンション等のような安定装置があるように、税制にも自動で安定化させる仕組みがある。今はそのサスペンションが外された状態だ。

 

 


法人税と給与所得の関係