「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第303号 「過ちと感情の推移」

「過ちと感情の推移」

「過ちと感情の推移」

過ちと感情の推移

騙され続けるのはなぜか

 人が数ある中の選択肢の内、なぜか同じものを選び続ける傾向がある。これは自分自身の価値観において、経験から無意識にリスクを回避している他、決めかねている時は従来のものを選んだ方が失敗しないことを知っているからだ。これらは日常的に行われており、生活に支障がきたすことはほとんどない。ところが、自分の価値感と近しい選択肢を第三者から提供された時や、ストレスをため込んだ状態でそれが解消される、かつ、溜飲を下げられるものを提供された際の反応はどうのようなものか。他者とは違う優越感を得て、かつ、正義感が働くようになる。ここに自己の価値観が形成されていき、次第に膨れ上がっていく。
 例えば、愛国心を煽る評論家やインフルエンサー(世間に与える影響力が大きい行動を行う人物)は、庶民のストレスと溜飲を下げる言葉を発することで、いわゆるネトウヨ化(ネット右翼)するように導いている。更に、インフルエンサーが何者かを批判した際、ネトウヨ化した庶民は溜飲を下げ、ストレス解消としてインフルエンサー同様にその何者かを批判する。性格次第では先鋭化したり、インフルエンサーの常識を逸脱した問題発言でも、問題として取り扱えないほどに盲目化する。これは思考停止による現実逃避であるが、彼らの脳内では瞬時に目を背けることが無自覚の内に行われている。これは何もネトウヨと言われる人達のみならずである。
 そしてコロナ。人は不安を抱えると、その不安を解消したい欲求が生じる。「コロナは風邪」と言われれば、不安を解消したい人にとっては嬉しい選択肢を与えられたことになるだろう。自分の価値感と同じもの、あるいは近しいものの選択肢には割と無意識に飛びついてしまうのが人の性質である。このように見てみれば、コロナを軽視している人達の心情が浮き彫りになるのではないか。一方でコロナを警戒する人達は子供の頃から教わった衛生観念に沿い、真面目に遂行していることになる。

 

人間は不確実性の塊である

 経済は不確実性であるが、その最たるものとしては人間や自然災害がある。コロナも不確実性であり、その最たるものとしてはやはり人間と目の見えないウイルスである。主流派経済学者は不確実性を加味しないモデルありきで算出するが、不確実性は算出できる代物ではなく、故に警戒や余裕を持たせることが肝要になるのだ。慎重にならざるを得ない、つまり、安全を優先することが大前提に掲げることが望ましくなる。コロナ禍においては、台湾やニュージーランドが徹底してきたのがこれだ。
 経済の不確実性をうたう者が、コロナになると途端にこれが分からなくなるとは驚くべきことである。まずは警戒、徐々に警戒を解いていくことは素人でも分かりそうなものである。なぜ、「Covid」と名前がつけられているかを理解すれば、風邪とは別物であることは分かるだろう。前提で躓けば、過程も間違える。人間はそのまま不確実性であることを意識の俎上に上っていないことは、不慣れた者
がやる過ちである。
 税制の安定化は、不確実性から国民を守るためでもあり、インフルエンサーが消費税は安定財源だ!と言ったからといい、脊椎反射でそれに倣うのは愚の骨頂である。また、税制の安定化は不確実性から国民を守るためでもあり、インフルエンサーが消費税は安定財源だ!コロナは風邪だ!と言ったからといい、脊椎反射でそれに倣うのは愚の骨頂である。保守とは真逆の姿勢がこれらなのだ。