「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第309号 「資本主義 対 資本主義」

資本主義 対 資本主義

資本主義 対 資本主義

資本主義 対 資本主義

格差是正は多くを潤す

 我が国はこの数十年で賃金が下がり、ワーキンブアが増え、菅政権は災禍の最中にあってもオリンピックを開催してしまうほど腐敗してしまった。安倍政権では消費税を二度も上げ、TPPはやらないと言いながら政権をとった途端に推進した。ロシアには北方領土を明け渡し、領土を献上する前代未聞の国賊ぶりを発揮。消費税を財源に社会福祉を充実させることは嘘であったりと、やることなすこと酷いあり様だ。外交の安倍とは作られた偶像に過ぎず、当の本人は竹中平蔵氏を愛国者と言うほどの見る目のなさ。瑞穂の国の資本主義とはなんだったのか。それは資本家優遇の新自由主義的資本主義だったのである。現実は貧困格差拡大がそれらを示しており、資本主義の悪い面が顕著に出ている。
 一方でかつての我が国は、資本主義に修正を加えながら進めていった修正資本主義である。我が国では、所得再分配がなされる税制、各種インフラへの投資、社会保障制度の充実や国民皆保険制度で比較的恩恵のある国家だった。過去形なのは、前述したように新自由主義的資本主義によって破壊されてきたからである。故に、現状は資本主義国でありながらも、対立関係にあるのだ。次のような具合だ。

 新自由主義的資本主義 vs 修正資本主義

 

利己的な資本主義は馴染まない

 かつて、マハトマ・ガンジーは次ように述べていた。

 

 万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは、けっしてその人のためにはならない。

 

 また、渋沢栄一はこう述べていた。


 一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。

 

 どちらも、多くを利することは自らも利すると説いているのだ。蓮如上人から仏法を学び、それを活かした近江商人の「三方よし」に然りである。この数十年の我が国は、利己的かつ、弱者からも負担させる理不尽な税制に変え、万人の福利を蔑にしてきた。
 竹中平蔵パソナ会長や電通には中抜きさせ、これに対して大手メディアは追及することもない。事実、パソナ電通も何のお咎めもないではないか。ガンジー渋沢栄一とは真逆な方向に政治を行ってきた新自由主義的資本主義がこの数十年なのだ。需要を促せと言いながら、その需要を毀損させる消費税をやめようとしない。むしろ、税制の改悪で弱者負担が大きくなり、富む者は更に富むようになった。
 この数十年、我が国の経済政策における政治家の態度は、エドマンド・バークが言ったこの言葉に尽きるだろう。

 

 偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。

 

 大風呂敷を広げながら何もしない。むしろ、やったことは資本家を富ませ、負担を中・低所得層に付け替えた。言い換えると、新自由主義的資本主義とは「株主至上主義=賃金ピンハネ主義」に他ならないのである。格差が拡大するのだ。

 

 

tasan様
政党の政策比較ver.8


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