国の借金 見るべきは歴史
政府支出を悪と決めつけること勿れ
国の借金!この言葉、概念に埋もれているものがある。政府が支出したお金の累積が記録された結果が国の借金の数字ではあるが、この数字の裏には歴史がある。目の前にある道路や橋等のような公共物にサービス、医療、教育や科学なども含め、大きな恩恵は「何にも代えがたい資産」として残っているのだ。
国(政府)の累積赤字だけを見て驚いてしまうことは仕方がないことだが、前述した視点がごっそり欠落している。この累積赤字には電通やパソナのように、中抜きのようなものも含まれるため、これは法的観点から罰せられるべきだろう。
累積赤字で見るべきは、それによ ってもたらされてきた、これまで日本国民が受けてきた恩恵の歴史であって、これを省いて短絡的に「国の借金」と批判することは誤りである。したがって、政府支出を悪と決めつけてかかる姿勢をまずは排するべきだ。既に耳にタコかもしれないが、我が国は管理通貨制度である。税を財源にする必要がない権利を獲得しているのだ。これこそ誇るべきであり、各種インフラを享受できている恩恵は、累積赤字のおかげである。経済の凋落や政商が跋扈しているのは、この恩恵を忘れた者が多くいるからに他ならない。政府の支出が悪なのではなく、それによってもたらされることに思いを致せないことこそ悪であり、現世代、ひいては将来世代のツケである。
政府支出は 国民の富なり
メディアでは「国の借金」はセンセーショナルだけに、視聴率稼ぎで必ず取り上げられるが、先ほど述べた視点で語られることはない。すぐに「放漫財政」等と言い、実態を把握することもせず、毎年同じことを垂れ流している。政治家にしろ選挙運動の際、大衆受けの為に「利用」されている。なぜ利用するのだろうか。選挙の際に効果的なのは、「国の借金で大変であるが、〇〇には公的資金を用いて負担を軽減するため頑張ります」と言えるからだ。要するに方便として利用しているのである。もしそれが実現すれば手柄にも出来るため、この理屈を利用しない手はないのである。管理通貨制度を知る者からすると、なんともおぞましく映るだろう。
さて、「政府支出は 国民の富なり」としたのは、英国の経済学者、故ウェイン・ゴドリーが指し示すものが基礎になる。次の通り。
ある経済部門(政府/民間/海外)の金融純資産は、その他の部門の金融純資産の合計と一致する。
これは「ストック・フロー一貫モデル」と呼ばれ、簿記や会計を学んでいる人にとって理解できるものではないか。ここから、次のことが言える。
政府が財政赤字(黒字)となる時、民間部門と海外部門の収支の合算は必ず黒字(赤字)になる。
このモデルが示す通り政府が赤字を出すと政府以外の部門が黒字になる。この記事の上段でも書いているが、まさに我々の「恩恵」である。いわゆる国の借金と呼ばれる政府の累積赤字は、非政府部門の黒字なのだ。政府が赤字を削るということは、国民から税金を徴収してそれに充てるため、生活の質を落とすことになる。これを数十年も続けてきたのが我が国だ。しかも、管理通貨制度であってだ。