見える没落 車で例える国家
ハンドルを握るのは我々有権者だ
前号は経済の自動安定化装置について車に例えた記事であったが、今号は国家について車で例えてみよう。我が国には各政党が存在し、政権を担うのは与党だ。車のハンドルを握るのは内閣という具合だ。 ハンドルさばき次第では、事故が起きたり、崖に向かってまっしぐらということもありえる。この数十年の経済停滞や、貧困・格差拡大、科学等の各方面の凋落ぶりを見れば、あながち的外れではないだろう。消費税5%時には自殺者を多く出し、自己責任の強い風潮である我が国おいてはさもありなんだ。これはまるで、ハンドルを握る者がチンパンジーの如き。有権者である国民はこの状況をなんとかせねばならない。フランスの第十八代大統領シャルル・ド・ゴールはこう述べている。
政治とはあまりにも重大な事柄であるため、政治家に任せておくことはできない。
車にはカーナビをつける人も多いが、これは政策に例えることが出来る。内閣はハンドルを握りながら政策を進めていくが、この政策立案というカーナビシステムが「パソナ」や「政策工房」だとしたらいかがだろうか。目的地のゴールがいつも行き止まりとするのは言い過ぎであろうか。否、経済の停滞を招いているため、これも的外れではないだろう。派遣企業であるパソナがエンジンオイルやガソリン補給を請け負っていると想像すると、身の毛もよだつだろう。だが実態は、正規社員から非正規社員に付け替えることを提案してきた竹中平蔵パソナ会長のそれは、労働法改悪によるマッチポンプぶりからは同質のものではないか。身の毛もよだつとは言い過ぎではなく、既にこの理不尽は、庶民や公務員に襲い掛かったのである。
サスペンションの具合はいかが
車のサスペンションは、生活保護、社会福祉や社会保障が機能していることに例えることが出来る。このサスペンションが機能せず悪路を走り続ける憂き目に遭った人達にとって、乗り心地は最悪に違いない。
仮に、日本国民が優れていたとしよう。しかし、カーナビが常に目的地に到達しないポンコツであれば、優れた国民の能力も台無しである。ワーキングプアというカーナビをつけられ、更にはサスペンションも機能しないとなると、努力不足や自己責任では説明がつかないではないか。
前号でも例えた、漏れたガソリン(お金)は、カーナビの改竄に使用されているとも言えるのである。政策が壊れているからに等しいのだ。
「車検は国家戦略特区が承ります」と来られた日には、我が国の生々しい状況が映し出されているのではないか。車検に出すと構造を変えられ、給油ホースが外された状態で戻ってくるのだ。所得が上がらない、それどころか下がって来たではないか。
このように例えることも出来る。新しいカーナビをサービスにつける気前の良さに感心していると、なんと提供者は国家戦略特区。品名は「パソナビ」。これは恐ろしいことだ。政策工房、パソナ、国家戦略特区、全て竹中平蔵氏が関わっている。国民も心ある政治家も真剣に考えなければならない。ハンドルを握るのは、我々有権者でなければならない。
(次号へ)