「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第367号 「呪縛から逃れられない日本」

呪縛から逃れられない日本

呪縛から逃れられない日本

呪縛から逃れられない日本

将来世代のツケは永久に終わらない

 国の借金と同時によく言われる言葉が「将来世代のツケ」。政府が支出すると「国債は将来世代へのツケの先送りだ!」と政治家が言う我が国は、これこそが将来世代のツケになることを全く理解していない。将来世代は現世代を引き継ぐという視点からは、現世代の貧困と格差拡大は、「既に」生まれてきた将来世代の子らに影響を与えている。
 格差拡大を許し続けている我が国は、負のループに陥っているのであり、その上で国債残高を減らそうとする行為自体がそのループの元凶である。

 もう一つの視点から見てみよう。不健康な集団を努力や根性で頑張れとどれだけ鼓舞しようと、体力がなければ頑張りようもない。ある者が運よく健康になれたとしても稀な事例であり、これをもって全体に当てはめることは出来ない。むしろ、悪化するかギリギリ維持することが関の山だ。我が国はこのようなことを数十年もやっており、さんざんな結果である。政治思想が稚拙なため、国民は常に危険に晒されるのだ。全く顧みることないこの数十年は、経済にも国防にも表れている。

 

国防と侵攻は別物

 つい最近、ウクライナとロシアの戦闘でショックを受けた人達もいるだろう。我が国で頭を悩ませるもう一つのタネは、軍事のことだ。国防としての軍事力を保持することの重要性を認識したのではないか。ところが、我が国では国債は戦争への道と言い、「国債」という言葉が前述した経済でも、国防でも足枷になっている。
 我が国は治安の良い国であることは自他ともに認めるが、そうであっても鍵をかけなければ犯罪者は侵入してくる。そのための警察であり防犯が存在している。これを弱体化したらどうなるかは論をまたないだろう。これは国防とて同じであり、「攻めてくるな!」「こっちは平和な国家なんだ!」と訴えても無意味だ。攻められないようにしておくことが重要であり、戦争とは別問題である。孫子曰く、

 

 子曰く、およそ善の善なる者は、其(敵)の来たらざるを恃(たの)むこと無く、我に以て待つあるを恃むなり。其(敵)の攻めざるを恃む事無く、我に攻むる所あるべからざるを恃むなり

 

 この意味は、戦わずして勝つ者は、自から相手に攻められぬよう、常に万全の態勢で警戒する者であるということだ。平和の維持は他国とのパワーバランスを維持しておくことであり、念仏だけを唱えて備えを怠れば、水面下で侵略を画策されてしまうのである。戦争は突如起こるのではなく、その国の足元を見られているのだ。
 パワーバランスは交渉力とも無関係ではない。これが平和を維持する上でも、自国の権益を守る上でも非常に重要なのである。冷戦後、米国は日本を守る意味を失っており、そのため、我が国に保護貿易をやめるよう圧力をかけてきたのだ。名のある日本企業が外資に買われるまで落ちぶれ、これは「国債の呪縛」と言っても過言ではない。対米従属も相まって、政治が国を守ることを蔑にするまで落ちぶれたのである。このツケは現世代が払わされており、出生数の激減からも、将来世代がどうのと論じるレベルではないのだ。まずは負のスパイラルから脱却しなければ、ただただ、国民は身を切らされるだけだ。