「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第373号 「育まれない国家社会」

育まれない国家社会

育まれない国家社会

育まれない国家社会

感性は理性では生まれない

 人間がアイデアを出す、あるいは、ひらめきのようなものを得るというのはどういった時なのだろうか。世界の中でも日本という国があり、その中でも都道府県があり、それぞれ市町村がある。各々の文化や慣習は伝統を生みだし継承されていき、洗練されていくものだ。感性の下地は「淡泊な理性」から生まれ出ようもなく、複合的要因によって感性は育まれていく。
 全世界が同じ秩序の下、理性でもって社会を回していくことを善とする者はいるだろうが、果たしてそうなのだろうか。理性主義者の偏りは、合理的に過ぎるところだろう。故に、伝統や文化は非効率として切り捨てることを平気でやり出すのだ。身を切る改革を前面に出す大阪維新の会等はそうであるが、テレビパフォーマンスのみ目立っているだけで、思想は極めて新自由主義的で淡泊だ。刹那的ともいうべきか。
 日本文化の恩恵を受けてきた者が新自由主義に「なびく」姿は、恩知らずとも言うべきではないか。恩知らずは人を裏切り、他者やシステムが邪魔となれば排除しようとする。これの意味するところは、このような人間に地元や国家への愛着があろうはずもないところ。規制緩和だ!岩盤規制が!という輩も同類だ。わざわざ公的資産である国家(国民)の権益を外資や民間企業に明け渡そうとするのは、将来世代のことを度外視している証左である。この振る舞いはグローバリストのそれであり、恩をあだで返す行為だ。
 もし、とうの昔に伝統や文化を捨てていたならば、恐らくは日本のアニメや漫画はここまで育っていなかっただろう。これまでの文化の継承があったからこそ、絵的センスは外国のそれとは違い、日本独特なタッチがあるのだ。これは何もアニメや漫画に限らずであり、食文化等にしろ様々な恩恵を昔から受けついでいる。

 

恩恵のバトンタッチ

 映画界に影響を与えた、日本を代表する故黒澤明監督は次のように述べていた。

 

 コツコツと、少しでも完璧なものを作ろうと、来る日も来る日も工夫に工夫を重ねて、何代も受け継いできた技がある。そんな職人たちにとって、もの作りが人生なんだ。継承する人もなく、材料も手に入らない。こういうことを助けるのが国だろう、それが文化を守るってことだ。

 

 ここで分かることは、技術の継承だ。育みとはお金と時間がかかるものであって、これを短期成果や採算性を求めるようになると、非効率だと言って切り捨ててしまう。市場原理主義がこれだ。
 伝統や文化を尊ぶ姿勢とは、「国家を守る」姿勢と同義である。科学や教育にお金をかけず蔑にする政治は、国家観なき者であり独り善がりだ。やれグローバルだ市場原理だと口先だけで大風呂敷を広げるが、この数十年衰退しているじゃないか。本来は昔から受けついできた恩恵は、永続的に将来世代に渡すものであって、独自の解釈でこれを止めてはならない。
 勉学が出来ても、恩知らずとあれば簡単に国を傾かせられる。とにかく技術の進歩はある程度遂げてきた我が国だが、政治にいたっては歴史に学ばず進歩しない。そのため、現在進行形で苦しむ庶民がいるのだ。このような状況で将来世代に恩恵を継承することは望みようもない。歴史を顧みようとしない者は、将来世代のことも考えまい。