「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第411号 「ご破算で願いましては」

ご破算で願いましては

ご破算で願いましては

ご破算で願いましては

打算的、否、算盤的なエリート思想

 我が国には算盤(そろばん)の読み上げ算におき、新たに計算を始める合図として用いられる言葉に「ご破算で願いましては」がある。この合図で算盤の珠をリセットし、次の計算に備えるのだ。
 さて、我が国にはリセット癖があるのではないかと別の記事で述べているが、明治維新(明治改革)以降の我が国の政治はいかにも「ご破算で願いましては」的である。問題が起きようと「なかったことにしたい」、あるいは「新たに改革をやろう」等のような気分新たにやる気が起こるように言葉を使う。これらは現実逃避者の「こうであって欲しい願望」であって、過去をなかったことにしてしまう。
 明治維新では我が国はどうあるべきか筋を通すことなく改革を進めた経緯がある。ここが元凶になっており、以降の我が国はことあるごとに筋を通すことなく物事を進めて行くようになった。本音と建前がはっきりしない、むしろ、建前が人々に広まることで政治が突き進んでいく。顧みないため、毎度同じ所でつまづき転倒する。第二次世界大戦も鬼畜米英と言い、今では対米従属で日本国という名前だけがついた国に成り下がっている。当時のエリートや政治家も筋が通っていないことは認識していただろう。
 戦後は経済的豊かさを手に入れ、これをもって筋を通して来なかったことと相殺だとしていたということであればやはり顧みない結果がこの数十年の長期停滞や災害に対して緊縮財政を敷くような愚かな政策をしてしまうことにつながっている。バランス感覚がないのだ。国家全体の塩梅をどう取って良いのか分からなくなっている。個別には塩梅を取ることをしても、全体になると急に目を背けてしまう。ナントカ改革に縋り、国民を見ず、そうして国民の自己責任だとしておけば、更に現実逃避をしながら「何かをやった気になれる」のだから。

 

やった気になる恐ろしさ

 明治維新も含め、それ以降の我が国はことあるごとに問題をなかったことにしてきた。問題を解決せずその上で何かをやろうと、しばらくは上手く行っていても解決しなかった問題は必ず形を変えて目の前に現れる。ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ曰く、

 

 人はしばしば、運命を避けようとした道で、その運命と出会う

 

 行き詰りを見せるたびに、「ご破算で願いましては」とやるのである。リセット癖が染みついているのだ。この恐ろしさは、リセットをすること自体が何かやった気になれるというところ。それは錯覚であり、問題は何も解決されていない。
  最近ではカルトが話題になっているが、解決して来なかった結果なのだ。この問題を問題ではないとする者まで現れ、いよいよ「ご破算で願いましては」の弊害が悪癖として顕著に顔を出してくるのである。
 大小の問題あれど、これを解決せずにスタートすると、しばらく進んでもまた問題が起こり「よし、新たに改革だ」と言いながらスタートに戻って延々と繰り返す。その度にやった気になるのであるから、ツケは全て将来世代に丸投げしているに等しいのだ。将来世代もこの時代に倣えばまた過ちは繰り返される。ゲーテ曰く、

 

 何をやっているか知らないことほど恐ろしいことはない