「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第418号 「寡占化に向かう日本」

寡占化に向かう日本

寡占化に向かう日本

寡占化に向かう日本

危険 市場が支配される兆候

 旧統一教会問題は深刻な様相を呈しているが、まだまだ深刻なことがある。それは市場の寡占化だ。寡占とは、少数による市場支配のこと。M&Aは企業合併を促し、資本が一つになり支配的になる側面がある。この場合、雇用や価格が独占されることで所得再分配に弊害が出てしまうため、規制をかけてきた経緯がある。ところが、構造改革以降、竹中平蔵は「既得権益が!」とプロパガンダ規制緩和させる方向で舵取りをしてきたため、せっかくの規制が壊された形となる。これは自由貿易にも当てはまり、強い者に規制をかけなければ、独占的になり支配されてしまうのは論をまたないだろう。
 いくら市場競争とはいえ、寡占化を防ぐことは政治が主導してやらなければならないが、経団連や株価を見て政治をやっている自民党には国民のことはどうでも良いのであり、早々に自民党を「清浄化」してやらねば日本はどんどん劣化していく。これは国民の不幸を招き続けることを意味する。
 我が国は資本主義を修正しながら成り立たせてきたのであり、構造改革者達は元の資本主義、つまり、資本主義が成り立たなくなる方向に進んでいるのだ。彼らにそのようなつもりはなくとも、そうなっているのが実情である。なぜならば、政府が支出したお金を大胆に中抜きすることが横行したり、ワーキングプアが増えても放置していることからも、資本主義が成立しなくなりつつあるではないか。せっかく築き上げてきた修正資本主義をこの時代の大馬鹿者が原因で台無しにしているのだ。

 

欲望の資本主義

 新自由主義における資本主義の恐ろしいところは、規制がなくなれば寡占化しやすくなるところ。これは世界が学んでいるはずであり、それ故に規制をかけてきたのだ。我が国が修正資本主義の道を歩んだのも、それら知見があったらかに他ならない。ちなみに、縁故主義的な資本主義も、自由主義の状況下で加速していったことを考えると、やはり一定の規制強化は必要なのだ。
 市場競争だから規制は緩和されて然るべきであり、自由にやっても良い等と言う者は、その弊害について絶対に語らない。このような歴史から何も学ばない欲望を満たす彼らによって国民は苦しめられ、政治は腐敗し国家は没落していくのだ。ビスマルク曰く、

 

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

 

 更に曰く、

 

 愚者は自己の過ちから学ぶ。賢者は他者の過ちから学ぶ。

 

 前者は長期スパンである歴史から学ぶことであり、後者は短期スパンである他者から学ぶこと。どちらも、人間は転ぶ前に学ぶことが出来ることを示唆している。欲望ある者はそれら全てを度外視し、言葉巧みに欲望を叶えようとし、他者にも国家にも多大な迷惑と損害を与えるのだ。
 我が国は構造改革だとか、規制緩和だとか言う者達によって、市場の寡占化が進められていることを認識しなければならない。消費税増税法人税減税もそれらと連動しており、富む者は富み、その反対側で低賃金労働者が増えていく。歴史に学べば、これらは明らかに搾取以外の何者でもない。ヴォルテール曰く、

 

 歴史は世界的犯罪の学習である。