「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第446号 「藁人形論法は日常的か」

藁人形論法は日常的か

藁人形論法は日常的か

藁人形論法は日常的か

有無も言わさぬやり口に警鐘

 今回は経済とは関係ない話だが、社会に渦巻く病理について述べてみよう。まず、目につくことがいわゆる藁人形論法。意味は、

 

 相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す。

 

 この論法が非常によく目につくのだ。会話においても相手の話が終わる前から主張を先走って読み取ってしまい、「そんなこと言ってない、最後まで人の話を聞きなさい」と窘められたことはあるだろう。このような事象が知識人と呼ばれる人から見られる。例えば、会社内において上司が部下を理不尽に、親が子に理不尽に叱りつけて有無も言わさない具合だ。
 一見して教養があるように見られ者でも、自分の都合が悪くなるとこれをやり出す。これが人を委縮させ、理不尽なことが起きても何も言わなくなる人を誕生させる。こうなるとストレスを抱えるようになり、相手を見ただけでストレスが蓄積されていく。彼らはこれを良しとしているのか、全く人の心を掴んでいない。これは対話からの逃避であり、無自覚にやっているから厄介なのだ。これが一つめ。
 二つめは、無条件に肩書きある者に支持が集まる現象。他には、メディアに出ただけで人気になり、メディアに出たこと自体がその者の人格まで担保されていると錯覚するからだろうか、鵜呑みにする人が多い。このような現象に加えて、一つめで述べたことが重なるとどうなるのかは我が国を見ていれば自明であろう。大きい怪物から小さい怪物を誕生させるのである。
 こうなると庶民の声は聞き入れてもらえず、実質的にトップダウンで物事が進むようになる。自民党政治のみならず、一般人の間でも起きているのだ。このような理不尽は、自分でのし上がるか、矜持を捨て取り入るか、付和雷同する一員に妥協して加わるかの嫌な選択肢が出来上がり、それをする人達が出て来る。

 

人を腐らせる者

 理不尽なことを強制された人、あるいは、沈黙させられた人は必ず腐る。その反動がアンチ化や精神疾患に至るまで様々だ。理性に求めるだけではダメだ!と立派なことを言う者がその理性に呑まれ、藁人形論法で相手を黙らせようと試みる。これはその者の習慣や思考の仕方の癖が反映されており、学問とは別のところでこうな ってしまうのだ。何かを無理に押し通そうとするとその者の本性が垣間見える。自民党政治を見ていれば、反面教師として学ぶことが多いのも、理不尽が横行しているからに他ならない。
 トップダウンの危うさは、ボトムがどのようになっているか理解せずに進めてしまうところ。自民党政治を反面教師として目の当たりにしておきながら、一般人の間でもこれをやり出す。病理は共通しているが、真っただ中にいる者は井の中の蛙、あるいは三猿のごとき振る舞いでボトムを完全無視するのだ。対話をすっ飛ばし、自分だけで決定して進めたい願望の表れであり、これはその者の弱さである。他者への気遣いは話を聞いてやること、これは紛れもない事実だろう。そっとしておく状況や、黙って話を全部聞いてやる状況を感じ取れない者は人格者ではない。頭が良いがこれがない者は独善的だ。

 

ツェリ子様
教員の労働凄惨性