「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第458号 「やり過ぎた大馬鹿者」

やり過ぎた大馬鹿者

やり過ぎた大馬鹿者

やり過ぎた大馬鹿者

社会をぶっ壊した自民党の罪

 国民生活に土足で入り込んでくることを平気でやる構造改革。これまでの市場では儲からないという発想で、国民生活の土台を市場化することで商売できるよう規制緩和する。やってはならないことをやり出すのだ。国民生活の土台とは、生活に関わることに必要なこと。水道民営化は土台を不安定にするものであり、教育、医療や農業の市場化も土台を破壊する行為だ。
 このような発想になるのは、政府が国家に投資して来なかったことで起きている。無駄の削減だ等と効率性を求めたところで、国民生活は効率化するものではない。そこは不可侵としなければ、じり貧で詰んでしまう人々が出てしまうのだ。なぜ、ワーキングプアこども食堂が増えているかを考えれば分かるだろう。やってはならないことをやった結果だ。それが構造改革であって、自民党がやってきたこと。連立政権である公明党も同罪だ。
 効率化や競争原理を国民の社会生活に導入したならば、器用な者しか生き残れない。これについていけない人々は自己責任や努力不足という言葉で片付けられてしまう。これは驚くべきことであり、日本没落が進行している証左だ。

 

倒錯した考え

 経済が落ち込めば税負担を減らすことは基本だ。そうなると税収は減るが、国民は助かる。国民の税負担を減らすことで使えるお金が増えるため、経済が上向く。だが、我が国はずっと税負担を増やして税収を増やす強制的徴税をやめようとしない。
 このような倒錯した考えは他にもある。それは市場経済を重要視するあまり、社会の安定を無視しているところ。何重にも間違えているため、高齢者も主婦も市場に駆り出されてしまったのだ。ここに外国人技能実習生も加わわっており、日本の凋落ぶりがいかに表れているか理解できるのではないか。
 安定財源という発想も倒錯しており、本来は社会の安定により自然税収増を見込むとしなければならないのだ。市場経済を盛り上げたければ、まずは国民生活の土台を安定的にする方が良いに決まっているではないか。市場は社会を侵害してはならず、これは国民の安全保障に適う。
 一部企業や株主の利益と引き換えに、社会生活が侵害されてしまうのであれば本末転倒だ。実に金の亡者とは物事の分別のつかない愚者としか言いようがない。それに乗っかる政治家もメディアも同罪である。
 昔の日本型経営システムは社会生活を守っていた側面があり、本来はこれをモデルケースにしておく必要があったのではないか。わざわざ米国型の市場原理と効率化を構造改革で導入し、国民生活を破壊することはなかった。構造改革は米国の要請ではあるが、それを突っぱねられなかった小泉政権もまた罪深い。そして、竹中平蔵はそれらを先導してメスを入れてきた人物であり、これもまた罪深い。
 良かった頃の日本というのは、庶民がお金を持てたことで、企業も売れるものが多かった。買い物が楽しみになる心理は良い事だろう。ストレス解消にも貢献し、豊かさも味わえる。一方でこの数十年といえば、安価なものを求める人々が増えている。当然だ。なぜならば、国民の負担率が高くなっているためだ。企業が瀕してしまうのも無理からぬこと。