「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第462号 「政治屋だらけの日本」

政治屋だらけの日本

政治屋だらけの日本

政治屋だらけの日本

腐敗は教養のなさから来る

 人間というものは一定ではなく不安定な存在だ。ルールを決め遵守することで安定に向かうことは可能だが、それでも完全な安定は見込めない。十人十色を心底理解したなら、不確実性も自ずと理解できるというもの。ここに自然災害が加われば、不確実性は高まる。
 前述したことを安定的にするならば、個人の努力では到底適わない。出来ることが限られているからだ。我が国は消費税、その他税金や社会保障費等の大きな国民負担を強いており、社会も経済も不安定化している。構造改革で甘い汁を吸う者がいる一方、その反対側で多くの国民が負担を強いられている次第だ。維新の身を切る改革で甘い汁を吸う者達がいる一方、大半の大阪府民は負担を強いられていることと同様である。構造改革も身を切る改革も、政商竹中平蔵が関わっていることは偶然ではあるまい。
 有識者として抜擢される者達も、政府や経団連の代弁者でしかない。ともすれば、最大野党も言説がころころ変わる党首のいる政党も怪しいものだ。
 以前から指摘されているが、経済政策においては自民党立憲民主党も大差ない。三党合意を決めた時点で彼らは同罪である。撤回する様子もなく、将来世代を人質にとる論法は健在だ。国家を建てなおしたい割には、現世代に負担を強いながら衰退させている。これはそのまま将来世代に受け継がれツケとなるのだ。ここを理解できない政治家は単なる政治屋であり、サラリーマン議員という他ない。教養のなさが浮き彫りになるだけであり、人間の営みや人間を分かっていない証左だ。

 

暗記だけでは片手落ち

 教科書を暗記することに長けた者もいるが、応用することに長けた者もいる。応用する者は学問をその場限りとしない。基本的な姿勢として、精進することを身につけている次第。ピーター・ドラッカー曰く、

 

 教養ある人間とは、勉強し続けなければならないことを自覚している人間のことである。

 

 勉強嫌いでは国家は発展して来なかったろう。誰かがそれをやってきたのだ。教科書を暗記した者の中にも、暗記したものこそ全てだとする大馬鹿者がいる。全く人の話に耳を貸さず、教科書を印籠代わりに相手を叩く事をやり出す無教養な者がいる。この者の肩書は弁護士であるが、頭が良いのか悪いのか分からないとはこのこと。経済学の歴史は浅く、市場自体の歴史も浅い。経済も市場も人間を相手にするのであり、不確実性に満ちている。ここを無視した教科書で満足していては、社会を破壊してしまうのだ。否、既に我が国の三十年がそれを証明して見せた。現在進行形で。
 このような「経済学教科書」を盲信する者は、決まっていることに寄って立つことで安心したが っている。ルールのようなものは確かに決められていれば安定を生む要素ではあるが、そのルールがいびつであれば弊害を蒙る人が出て来る。ここを無視してルールや教科書をごり押ししても良い結果を生まない。学問の更新や議論を交わすことを放棄していては、国民も国家も悲劇だ。こうやって没落していく。歴史が繰り返すのではない。人間が愚かなことを繰り返し歴史に刻まれていくのだ。

 

 


ツェリ子様
誰にとってのサスティナブル??