経済同好会新聞 第468号 「教養なき頭デッカチ」
教養なき頭デッカチ
進んで没落していく日本
以前も述べてきたがあまりにも酷い。勉強して知識を記憶させる者はいるが、その知識を生かすどころか国民を追いこむために使う者がいる。それが税制度においては顕著だ。勉強できても社会全体のことを考えられないエリートの恐ろしさは、冷徹な政策を思いつく。本人は知識としてそれが正しいと思い込んでいるところが非常に厄介であり、思い込みは顧みることを妨げる。勉強して得た知識は現実と整合させることが必要だが、得た知識の方が絶対的に正しく、現実の方を知識に合わせようとさせてくる。彼らには不確実性という概念が欠落しているのか知識に依存しているのか定かではないが、傲慢不遜も甚だしい。
消費税で苦しむ者がいれば、それは既に痛みを伴っているのだ。ところが、頭でっかちなエリートは「消費税は痛みを伴うために必要」だとしている。この結論ありきな言説は非常に危うく、そもそも、応能負担を知らない無教養ぶりに驚きを禁じ得ない。再三述べてきたが人間は十人十色。これを心底理解できなければ、到底エリートとは言えぬ。それは非エリートであり、エリートの皮をかぶった頭デッカチである。マックス・ウェーバー曰く、
官僚制的行政は、知識によって大衆を支配する。専門知識と実務知識、そしてそれを秘密にすることで優越性を高める。
まさにこれが政治において横行しているのが、いわゆる国の借金。国民の借金だと錯覚させ、ことある毎にメディアを通じて不安を煽りコントロールしようと試みてくる。知識で縛りつけ他者をコントロールしようとする行為は、そうしなければ成果を挙げられないからに他ならない。ピーター・ドラッカー曰く、
頭の良い者がしばしば、呆れるほど成果をあげられない。彼らは、知的な能力がそのまま、成果に結びつくわけではないことを知らない。
行き過ぎた劣等感は悪を成す
肩書きを示威する者、例えば、やたら学歴を見せびらかし、相手より優位に立つよう試みる。これは学力が現実に生かされておらず満足できていないため、劣等感を覆い隠すための行為なのだ。やたら自分はすごいと思わせることに腐心する者もそうだ。アドラー曰く、
優越に向けての正しい目的を見つけられずにいると、劣等コンプレックスが生まれることになるのだ。劣等コンプレックスが「逃げたい」という欲求につながり、そしてこの欲求は「優越コンプレックス」の形で表現される。
この満たしがたい精神性を持つと、例えそれが偽物の名誉であろうと、それに縋るようになる。徐々にそれに染まり、ついにはそれと一体化して麻痺する。無意識レベルでそれが当たり前になるため、冷徹な振る舞いも罪悪感を覚えることなくやってしまうのだ。 我が国の構造改革や身を切る改革に関わった者の中にはこのような心理に陥っている者はいるだろう。嘘でもそれが正しいと言う事に躊躇がないため、事情を知らない者はころっと騙されてしまう。恐ろしいのは、政治家や知識人の間で未だに構造改革を顧みていないところ。むしろ、後押ししているのではないか。