「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第391号 「思想は人々を振り回す」

思想は人々を振り回す

思想は人々を振り回す

思想は人々を振り回す

市場原理主義という悪夢

 米国は金融市場の自由化によって、資本の移動を活発化させてきた。これはグローバリズムという思想形態を利用したものであるが、シカゴ学派の市場主義経済学も組み入れられている。前号でも述べたが、市場主義経済学は非常に思想的だ。この金融型成長モデルを構築した米国は、幾度もバブル崩壊を起こしている。これは自由化の弊害であり、経済に被害を与えている。
 戦後の我が国は修正資本主義によって栄えてきたが、米国の猿まねをしだしてから凋落が甚だしく、貧困と格差拡大を許し続けている。欧州はブロック経済圏(EU)でまとまろうしていたが、近年英国が離脱。グローバリズムの波によって没落したのである。その一方で、中国は安価な労働力で世界から資本を集め、ロシアは資源、インドはITを強化していった。
 我が国の強みは何なのか。かつて、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれていたが、見る影もない。残像らしきものがあるのみである。政治は政商を抱きかかえ、経済の代表のような顔をした経団連経済同友会が消費増税を提言してみたり、もう滅茶苦茶である。口だけは達者になり、「見てくれの利益」だけを上げることには必死だ。労働者の賃金が上がらない、あるいは下がっていることに関心を持たない彼らは肩書きだけは立派な素人以下である。レオナルド・ダ・ビンチ曰く、

 

 若き日に得た学びは、老年の悪徳を阻むのである

 

 彼らは若い時に何を学んだのか。労働も勉強もしただろうが、教養が足りなかったのではないのか。経営者の中には売上を即、従業員に反映させる社長もいれば、経団連のように消費税を上げるよう提言し、弱者を生むことに目が向かないトップ連中もいる。我が国の経済を長期停滞させている「構造改革」に対して反省も改善もなく、むしろそれに乗っかったままだ。キケロ曰く、

 

 人間はすべて誤るものである。ただ過失を固守するのが愚か者なのである。

 

 

経済の腰を折った構造改革

 1980年代後半までは我が国の経済は好景気であった。その後にバブル崩壊し、構造改革という流れである。それまでは日本型経営システムは他国の学者も賞賛しており、当時の我が国自体もそのような評価をしていた。ところが、バブル崩壊と共に論調が「時代遅れのシロモノ」に変化したという。その頃の学生が言うには、賞賛されていた日本型経営システムが、急になきものにされて気味が悪かったと語る。
当時は供給力があったことから、ケインズ政策で需要を下支えするものと思っていたら、構造を変えようという話になっていった。これは当新聞第385号でも触れているが、日米構造協議だ。つまり、この時から日本の凋落がスタートしたのだ。後はお察し、失われた十年、失われた二十年となり、更に経過し現在に至る。バブル崩壊後から一度たりとも日本は日の目を見ていない。。国民は烈火のごとく怒らなければ、政府の支出もパソナの中抜きに使われたり、パイプのある企業を優遇するだけだ。。多くの労働者の賃金も上がらないだろう。三十年近く間違え続け、未だにこれを継続しようとしている。まさに将来世代のツケそのものだ。

 

 

 

JAF
自動車税自動車重量税への問い


JAF
#ドライバーは高額納税者


経済同好会新聞 第390号 「そもそも経済学とは」

そもそも経済学とは

そもそも経済学とは

そもそも経済学とは

経済学は社会を良くするのか?

 現在、主流派である経済学はシカゴ学派の市場主義経済学であるが、これが教科書化している。市場主義は人を合理的な存在だと仮定しているため、自由で開かれた市場競争さえしていれば、無限に成長は可能だとする考えだ。そもそも、人間は合理的だったり非合理的だったりするため一定ではない。
 経済学の元を糺せば、社会を変えて行くための運動であったり、政策の思想の意味が大きいものだった。経済学者で有名どころ、例えば、マルクスケインズシュンペーター、ラーナー、ガルブレイスミンスキーも、これらに影響された人々も政策に役に立てればと思ってきたはずである。しかし、シカゴ学派が主流になったのは冒頭でも述べたが、これが極めて日本を苦しめている。理由は前号の「社会と経済」をご参照いただきたい。
 経済学は政策の思想の意味が大きいと述べたが、マルクス社会主義の文脈で批判されるが、思想として痛烈に批判を浴びてきた。シカゴ学派の市場主義も他ならぬ思想的であり、しかし、彼らは「科学」として経済学を精緻にしたということで、アメリカで主流になったのだ。これが世界に広まっていった。同時に背景には思想もセットであることを絶対に忘れてはならない。実際に我が国では全く馴染んでおらず、比較的上手くいっていた日本型経営システムは破壊されたのである。アメリカ型経済学が進歩的だと勘違いしたエリートは、現状の日本を見れば理解できるが以前より「退化」している。彼らは何を思うのか。

 

米国的思想

 主流派経済学はシカゴ学派の色が極めて強い。これが「教科書化」したことは述べたが、市場主義というアメリカの価値観が入った経済学なのだ。判断の基準が能力であったり効率化であったりするため、これらの価値観によって決定されている。価値観とは思想的背景があることは論をまたないだろう。この価値観が世界に流入することを考えれば思想の流入に等しく、他の価値観は淘汰されていく。つまり、規制で「守られるべきこと」が規制緩和によって国民生活が守られなくなるという現象はこれに由来する。
 余所の国で上手くいっていることを市場を開放せよとは押しつけでしかない。違う価値観を無理矢理持ってきたところで、馴染まずに淘汰されてしまう企業や国民は出るのだ。
 思い出してほしい。経済学とはそもそも、社会を良くするためのものだと認識すべきであって、教科書化してそれに倣うものではない。我が国には我が国なりの文化や慣習というものがあり、資源や地政的な問題もあるのだ。加えて、米国の経済学が米国にとって相応しいかと言えばそうでもなく、格差拡大は未だに続いている。決して科学的な学問ではないのだ。
 米国はグローバル化でも産業の空洞化をやらかしているため、それに続いた我が国も当然やらかしている。効率という名のコスト削減によって、「育む」ことを横着した結果なのだ。身を切る改革もこれと同様である。目先のコスト削減は、未来の投資をケチることと同義であり、余裕を失わせていくことは火を見るより明らかだ。
 経済政策で結果が出ない、むしろ悪化したならばそれは疑ってみた方がいい。能力主義のようなものも、部分的には解であるが全体に当てはめる者はただの愚者である。

 

 



 

経済同好会新聞 第389号 「分別がつかない人達」

分別がつかない人達

分別がつかない人達

分別がつかない人達

競争原理を持ち込む腹黒さ

 分野によっては市場で競争することはあっていい。効率性が人々の生活を便利にした事実は認めなければならない。しかし、人々の生命に関わる水道や電気のような必需品や、大多数が密着するインフラ等は市場化して競争に晒すことをしてはいけない。そこは常に安定さを保持しておくことが必要であり、これは人々にとっての土台である。この土台は公的機関が担うことで、安定的な供給が可能になるのだ。物事の分別つけず、民営化がー!とやってはならないのだ。民営化とは、誰のための効率化なのか考える必要がある。
 人間は根っからの不確実性の存在であり、それ故に社会生活は安定的でなければならない。加えて、我が国は災害大国であることも、不確実性が大きい社会生活に効率性を求めてしまうと、一握りの企業は潤うかもしれないが、他は負担が増すという本末転倒が起きる。安定性を保持するためには、政府が金を出してそれらに投資することが望ましいのだ。市場原理と社会の安定化はそもそも分けて考えるべきものであり、政府が民間企業の競争に口出ししないように、民間企業は社会の安定化にビジネスを持ち出して規制緩和させることをやってはならないのだ。例えば、郵政民営化でどうなっているかは、現状を見れば理解できよう。構造改革者は一掃せねばなるまい。

 

社会と経済

 人類史で言えば、人々が大きく関心を持っていたのは社会生活だ。生存欲求と生活の不安定化を避けたい欲求や共同体との交流が主たるものである。経済人類学と経済史を研究していた故カール・ポランニー(ハンガリー)は、社会と経済は異なると主張していた。市場取引が注目されるようになったのは、せいぜい160年ほど前であり歴史としては非常に浅く、ポランニーは社会と経済は区別して考える必要があると言っていた。更に、社会は安定させることであり、利益を上げるものではないとも。
 ポランニーの主張はいま我が国にとって切実に必要なものではないか。市場原理主義に汚染されている国全てがそうであろう。初心を忘れているのではないか。次のことわざは何を意味するか。

 

 駕籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人

 

 この意味は、世の中には様々な境遇や職業があること。社会には様々な立場の人がおり、社会が構成されている。の意。市場原理主義は社会構造を変えてしまい、人々の生活が破壊されてしまうのだ。人々の営みはどういったものかを理解していれば、市場原理と社会は区別して考えることは理の当然であろう。社会といわゆる経済が異なることは明らかである。
 人々の生活を便利にするビジネスは歓迎すべきかもしれないが、生活を脅かすビジネスは詐欺師がやることだ。見よ、口が上手い彼らは、構造改革が足らないと言い、社会インフラまで規制緩和しろと言っているではないか。このような輩が出てくるため、国民を守るために規制があるのだ。それを社会主義がー!とレッテルを貼り、大衆を扇動して規制緩和にこぎつけようとしてきたのである。
 昔の日本型経営システムは秩序だっていたのであって、社会主義でもなんでもない。行政の指導によって国民は守られて来たシステムでもあったのだ。それを破壊したのが、構造改革を推進した小泉・竹中政権である。

 

 

 



経済同好会新聞 第388号 「お馬鹿回 ふざけて知る経済」

お馬鹿回 ふざけて知る経済

お馬鹿回 ふざけて知る経済

お馬鹿回 ふざけて知る経済

だって、ケダモノだもの

 やぁ、みんな!国の借金で将来世代を憂いているかい!とかなんとか言いながら、財政破綻なかなかしないなあって何十年も思ってきたんじゃない?財政破綻より先に、国民生活が破綻していくのが現実だし騙されてるっぽいよね?構造改革にしてもさ、何十年やってるのって話じゃないか。本来は数年でそれなりに何かしら成果でるものじゃない?何か出たの?これまで政府が言ってきたこと、やってきたことちゃんと見張ってる?結果出さなかったら怒らないといけないよ!なあなあで済ませて来たからこうなったんじゃないか。
 政治家が頑張っていると仮定して、それで結果が出なかったらやり方間違ってるってことなのよ。ずーーーーっと経済停滞してるんだけど、間違ってるよね。
 え?なんだって?テレビによく呼ばれる人は正しくて、呼ばれない人は間違っているって暗に言ってる奴がいたって?こいつぁすごい!すごいぞ!どれだけすごいかって?そうだな、天空の城ラピュタを「てんくのじょうラピュータ」ってくらい!分かりづらいって?分かった分かった真面目に言うからちゃんと聞いておくれ。例えるなら、三橋貴明鶴崎修功を間違えるくらい酷いね!あれ?反応薄いな…。え?何かに例えなくても酷いってみんな分かってるって。だね。しくしく…
 いやー!やっぱり言わせて!どれだけ酷いか。

 百円の豚肉を試食する。これをブランド豚ですと騙して、すると「あぁん♪さすがブランド豚の味はそこら辺のスーパーで売ってる豚肉とは格が違うわぁ♪」

 とか言ってる調子のいい奴くらいに酷いんだよ!お前が食ってるのは100円の肉!それはそれでそれなりに美味いさ!おっと、今日はお馬鹿企画だから最初から飛ばしすぎてしまった。
反省はするが謝罪と賠償はしないぞ。びた一文くれてやるか!だって…、貧乏だもん…えーんえーん(チラッチラッ)えーん…


 馬鹿が馬鹿を馬鹿だといえば、馬鹿が馬鹿を馬鹿だという。馬鹿で持ったる我が世なりけり(斉藤緑雨)。

 

給料が上がった昔

 昔ってさ、初任給が二百万からスタートしたとして、数年で百万は増えたのさ。もっと増えていくから確実に賃金が上がっていくって時代だったんだよ。ところが現代。賃金が上がらないよね。そこへ来て会社がいつ倒産するか分からないプレッシャーもある!将来設計を立てるのは難しいなあ。
 小泉政権の後の方で景気が良くなったって言われていたんだけど、労働者のリストラとか賃金が上がらずに企業が収益を上げたのが真実だったんだ。中小零細企業の経営者もニュースで景気が良くなった報を見て、は?酷いままなんだけど?って感じだったみたい。自分ところの業界だけかなって思っていたら、割と全方向でダメダメだったとさ。そりゃ、公共事業費を絞ってたんだから当たり前だよね。
 それと、労働市場の自由化がもたらしたのは労働者の生活不安定化だけど、資本の自由化だってそうだよね。バブル起こして崩壊するのって典型的じゃないか。これらは経済にダメージを与えるものだって理解しないとね。節操もなしに自由化することがいかに危険か ってことさ。みんなのが給料あがるわけでもないしね。むしろ、格差拡大を生む要因だよ!ドストエフスキー曰く、


 金を所有している人間は、貧しい人がそのはかない運命を訴える声を聞くのが大嫌いだ

 

 



経済同好会新聞 第387号 「構造改革は地獄への道」

構造改革は地獄への道

構造改革は地獄への道

構造改革は地獄への道

騙すことに罪悪を感じない人がいる事実

 前号に引き続き、構造改革の問題を取り上げていこう。物やサービスが市場で売られる時、その前段階で生産する必要がある。生産には必要な要素というものがあり、その要素とは主要なこととして労働・土地・資本がある。これらが組み合わさり、物やサービスが誕生し市場で売られる。我が国が修正資本主義の道を歩み景気が良かった頃というのは、企業は利益も出たが労働者もそれなりに潤った。ところが、小泉政権期から本格化しはじめた市場競争では、利益が上がらなくなった。当然のことながら価格も下がる。売らなければ倒産するのだ。
 このような状況に来て、グローバル化によって中国と価格競争が起きた。どうなったかは想像に難くないだろう。価格が下がるということはどこかでしわ寄せが来ているということに他ならず、労働者がそうだ。淘汰された企業も出ている。安価なモノを輸入すること、低賃金労働者を雇用することでコストを下げざるを得ない状況に陥っているのが我が国の惨状であり泥沼化だ。
 驚くべきことに、SNSではこれらを当たり前のように正しいとする愚か者がいるため、リアルでどのような生活を営み、どのような言葉を扱うか見てみたいものだ。人間社会を何も分かっていない。

 

自由化の弊害

 労働市場の自由化によって起きることは、優秀な労働者だけを雇用し(能力主義)、それ以外は切るという発想になる。そうなると、能力ある者は抱え、後は派遣労働者やアルバイトで賄えば済む。これがワーキングプアを量産していき、賃金を下落させてきたのだ。労働市場の自由化と引き換えに、労働の不安定をもたらしたのである。労働者は消費者でもあることから、生活の不安定にもつながっているのだ。
 政治家にも経団連にも経済同友会や連合にも必ず通ってきた道がある。それは右肩上がりに賃金が上昇していった恩恵だ。彼らは将来の計画を立てられたはずであり、その彼らが日本経済の浮上を邪魔している。賃金が上がらない、或いは下がった国民に将来設計等できようはずもなく、負担ばかり大きくなっている。これは恩知らずと言っても過言ではない。自分は恩恵に授かるが、他人のことは知らないという具合である。この数十年で転換の余地はいくらでもあったにも関わらずである。
 市場競争の弊害は、労働者にしわ寄せが行き、生活の質を下げることになるところ。そして、競争によって「なりふり構わない」経営者や資本家が出てしまうところもそうだ。儲かるところに資本が集まり、それ以外は自由化の恩恵を受けない。このようにして所得も土地も格差が開き、他は淘汰される憂き目に遭う。
 多くの人はその土地に住みそこで働き、子供は教育を受け、大人になっていく。病気や怪我をすれば地元の病院に行く。そして、地元で一生を終える。人間社会を安定させるには、市場競争のような市場原理主義グローバル化は全く馴染まない。水道民営化等は構造改革の弊害であり、生活必需品を営利化させるとは生活の不安定化だ。
 金儲けに偏れば人々の生活を無視し人の心を忘れ、自分さえ良ければそれでいいとなる。このような片手落ちになる人は経営者にも学者にも政治家にも向いていない。むしろ害悪である。自由化とは金儲けをしたい者達の方便でしかない。

 

 


 

大山落様
知床遊覧船の沈没事故について


経済同好会新聞 第386号 「現実とは生き物である」

現実とは生き物である

現実とは生き物である

現実とは生き物である

マニュアル化された経済学

 人は様々な考えがあり、感情で動く生き物でもある。ニーチェ曰く、

 

 人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。思うに、感情は気まぐれだからである。

 

 経済学の教科書を参照しながら、人々の動きがおかしい!間違っている!教科書に書かれてある通りにならない人々はダメだ!と、このようなことを言う人がいたらどう思うだろう。ニーチェが示唆したように、人間の感情は気まぐれであって、不確実に満ちている。これが現実というものだ。これを否定していては、学問は成立しない。故に、経済学はマニュアル化したものを現実に当てはめるのではなく、マニュアルが現実と乖離しているならば、マニュアルを改めていくのが科学的な態度であり学問というものだろう。
 以前も記事にしたが、グローバル化市場原理主義も同様に、我が国はこれらで格差が拡大し続けている。間違えたマニュアルに沿って現実の方をマニュアルに合わせさせようとすると、当然のことながら無理が出る。この数十年がずっとそうなのだ。上手くいっていた日本経済を構造改革でダメにしたのだ。これは例えるなら、他人様の家にずかずか土足で上がりこんで、あれこれ指図して他人様の家庭を破壊するようなものである。これらはワーキングプア、貧困、格差拡大、地方衰退、各種インフラの弱体化として表れている。科学や教育も凋落したままだ。構造改革によって得られたもの、否、失われたものの方が圧倒的に大きい。まさに、「失われた数十年」の姿なのだ。
 市場競争を促すために官僚叩きや公務員叩きも行われ、官民一体の産業政策は衰退していった。規制緩和はこのようにして世論を味方につけることで、官から民へという風潮になっていった。今でもそうであるが、維新の会が顕著だ。当然である、維新の会の公約を書いたのは竹中平蔵氏なのだから。

 

構造改革の問題

 ケインズは先進国経済は長期的に不況になっていくと予想し、それを補うために政府が赤字を出して消費を伸ばす必要があると言っていた。しかし、市場原理主義とは相いれるものではなく、この考え方は次第に消えていった。これの意味するところは、構造改革で生産能力を高めろという話になる。この数十年の我が国を見れば分かるが、構造改革で需要は伸びていない。むしろ、産業の空洞化や多くの分野が凋落したのだ。ケインズが言った政府の赤字で消費を伸ばすような政策、これを我が国は取ろうとしないため、構造改革一辺倒になってしまう。ダメな政策は何度やってもダメなのだ。論理で言えば、前提が破綻していると結果も当然破綻する。
 構造改革の大きな問題は、市場競争で企業の利益が落ち、次第にコストを削減するしかなくなったこと。以前から幾度も取り上げているが、コストには労働者の賃金が含まれている。非正規雇用が重宝される原因だ。移民受け入れもその延長であり、低賃金労働者がいないと成り立たない構造に変えられたのだ。これに加えて、税制も改革されたこともあって、ますます国民生活の質も下げて行かざるを得なくなったのだから、いい加減に市場原理主義から脱却せねばならない。グローバリズムも市場競争を促すものであり、こんな幼稚なことはやめるべきだ。

 

 


 

太田伸二様
「質」の低下

 

経済同好会新聞 第385号 「日本凋落のサイン」

日本凋落のサイン

日本凋落のサイン

日本凋落のサイン

研究されていた日本の好景気

 1980年代の後半、我が国は飛ぶ鳥落とす勢いで経済成長を遂げていた。世界中のマーケットを取るのではないかと評されていたほどで、アメリカの社会学者であるエズラ・ヴォーゲルは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という書籍を出版したほどに、我が国の影響力はアメリカとの立場を逆転させていた。アメリカは危機を抱き、我が国がどうのようにしてこれほど強烈な成長を続けているのか研究したのである。
 アメリカは市場競争を是としており、それが公正であるとしていたため、我が国の政府が完全な市場競争をしていない、これを指してルール違反だと後に圧力をかけることになる。つまり、政府が市場に介入することで経済成長していた我が国が脅威になったのだ。冷戦後はソ連よりも我が国が敵になると見定め、官民一体の産業政策や、日本型の集団主義を解体させることに向かったのである。
 企業が株式市場で資金を調達せず、市中銀行(メインバンク)から借金する行為もルール違反だとして圧力をかけている。これらは日米構造協議によって、市場競争になるよう構造を変更するようにアメリカが我が国に圧力をかけたのだ。後に「構造改革」と呼ばれ、小泉政権竹中平蔵氏が旗を振り、進めていったものになる。
 当然のことながら、これらはアメリカが主導権を握った上での話であり、それを遂行したのが小泉政権である。メディアも小泉フィーバーとばかりに持ち上げた「構造改革」が日本の凋落を本格的にした。

 

規制緩和馬鹿

 アメリカの要求で日本を市場競争にするため、構造改革という流れであったが、この中で規制緩和という言葉も出てくるようになる。これらはメディアによって広まっていき、ソ連の崩壊も手伝って、社会主義は悪という風潮から、国主導ではなく民間主導にすべきだとする風潮になっていたのだ。これは完全なる倒錯である。我が国は修正資本主義の道を歩んでいたのであり、社会主義でも何でもない。
 前述したが、アメリカは市場競争を是としていたのであって、格差拡大の酷い国であることも理解しておかねばならない。我が国からアメリカへ留学し、後に「経済学者」の肩書を持つようになった大学教授らは、当時のアメリカ経済を学んでいるのである。
 彼らもアメリカ政府同様に、我が国を市場競争にしようとしてきたことは、むべなるかな。このようにして我が国は市場原理主義の思想に汚染されていったのである。教育まで金儲けの手段とするほど腐敗しているではないか。
 アメリカで教える経済学は非常に分かりやすいと聞く。分かりやすいとは、システムだっており吸収しやすくなっているという具合。諸外国からアメリカへ経済を学びに行けば、卒業した頃には市場原理主義者が量産される次第である。竹中平蔵氏もその典型だ。 しかし、この十数年でアメリカのエコノミニストは考えを改めてきており、必ずしも市場原理が正しいとはしていない。
 昔は経済学といえば、色々な学派があり学生たちの間で喧々諤々議論が絶えなかった。ところがソ連崩壊から市場原理主義に傾いていき、経済学は「教科書化」していった。構造改革規制緩和と言っている者達は、日本経済を凋落に手を貸しているようなものだ。