「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第467号 「部門別資金過不足」

部門別資金過不足

部門別資金過不足

部門別資金過不足

明らかな偏りを見よ

部門別資金過不足

 上図は部門別資金過不足であるが、注目すべきは1990年以降。家計部門は下落し、企業部門が上向いて現在に至る。これから分かることは、企業が労働者(家計)への分配を絞っているところ。同時に政府支出も伸びているが、これが企業に吸収された形だということが分かる。次の通り。

 

 政府部門 赤字
 企業部門 黒字(大)
 家計部門 黒字(小)

 

 お気付きだろうが、1990年代の初期から企業が大きな黒字に向かうよう上昇しており、これまでの赤字主体とは真逆になっている。企業の赤字主体とは投資があってのもの、労働分配率が高かったことを意味する。

 なぜ、ここまで1990年代を境に逆転してしまったかは真剣に議論すべきだ。税制改革や構造改革でこうなってしまったことは述べてきたが、貨幣観だけの問題ではないことを理解しなければならない。加えて、民間部門には企業と家計があり、このデータを読み解くにはここの理解が必要になる。政府赤字は誰の黒字になっているのか。

 

 


 

ツェリ子様
誰にとってのサスティナブル??

 

経済同好会新聞 第466号 「渋沢栄一に見る日本」

渋沢栄一に見る日本

渋沢栄一に見る日本

渋沢栄一に見る日本

正しいビジネスをしているか

 当新聞ではたびたび渋沢栄一の言葉を紹介しているが、それは示唆に富むことが多いからだ。我が国は格差拡大でワーキングプアが増え、その中身は非正規雇用が多く占めている。大手系列の正社員でも所得が増えない労働者もいる時代だ。低賃金で労働者を雇用して利益を出す大手企業や、そのような構造に作り替えた自民党の腐敗ぶり。渋沢のこの言葉をしっかり咀嚼してもらいたい。

 

 どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと信じている者すらいるが、わたしはこのような考え方を決して認めることができない。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした地位でなければ、完全な成功とは言えないのだ。

 

 このように、正しい人生の道でなければ、労働者から搾取しながら利益を出すことに血筋を上げるようになる。中抜きに然り、典型的な労働搾取である。心ある経営者はこのような馬鹿げたことをしない。労働者を粗末に扱うことを恥ずべきだと知っているからだ。渋沢曰く、

 

 商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。

 

 更に曰く、

 

 一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。

 

貪欲は欠乏を追う

 金の亡者は儲けても儲けても飽き足らず溜め込む。その貪欲さの裏には欠乏感が潜んでおり、他者を圧倒してでも儲けようとする。渋沢はこのような者に疑問を呈している。

 

 他人を押し倒してひとり利益を獲得するのと、他人をも利して、ともにその利益を獲得するといずれを優れりとするや。

 

 他者を蹴落としてまで自己の利益にするおぞましさは、まるで地獄界の餓鬼のようだ。競争に道徳がなければそれはただの弱肉強食でしかない。自身に能力があって儲けるが、その恩恵を他者にも与えることで国家を繁栄させる視点を渋沢は持っていた。現代の資本家にそれはあるのか疑問だ。
 恐ろしいのは、生活のために低賃金労働に甘んじる選択肢しかない人達がいること。この状態は食べていかれても人生を生きているとは到底いえない。貧困とは金がないだけでは済まないのだ。貧困の恐れに人生を支配され、やむなく働く他ないことは社会問題だ。これを自己責任や努力不足で片付けることは容易いが、そう考えること自体が努力不足と言わざるを得ない。つまり、社会全体を良くすることを放棄する方が考えずに済むため、目先の金儲けに邁進することができるのである。性根が貪欲なあまり政治家に規制緩和させてまで金儲けするようになったのだ。税制をいじったのも所得移転に他ならない。
 これらの構造を改めなければ、政府が支出したからといって所得が増えていくわけではない。税制をきちんと定めた上で財政出動しなければ所得移転は止まらない。むしろ、金の亡者が肥えるだけである。

 

 

 

 

経済同好会新聞 第465号 「他人事から崩壊する」

他人事から崩壊する

他人事から崩壊する

他人事から崩壊する

気付いてからでは遅いこととは

 日本経済が停滞して既に三十年余り。経済を観察して来た人達は以前から危機感を訴えてきたが、政治を観察してきた人達も同様だ。その中で誰もが口を揃えていう事は、「気付いてからでは遅い」ということ。有権者である国民は、政治を我がこととして認識し関心を持つ必要がある。マハトマ・ガンジー曰く、

 

 政府や政治家を批判するだけではなく自分で考えてみよう。人は往々にしてマスコミの報道に振り回され、優柔不断に考えを変える。時の振り子のように決してとどまることがない。弁が立つ人や、根回し上手な政治家をつい支持してしまう。国民にも政府と同様の責任があることをしっかりと胸に刻もう。

 

 政治に関心を持たない、投票しないことで起きることといえば、偏った政治を助長する恐れがあり、専制政治を許してしまうところ。シャルル・ド・ゴール曰く、

 

 政治とはあまりにも重大な事柄なので、政治家に任せておくことはできない。

 

 経済団体や資本家に忖度してみたり、旧統一教会と癒着してみたりと忙しい自民党においてはなおさら任せることは出来ない。不祥事が明るみなってさえ辞任せず居直る政治家がいればなおさらである。気付けば腐敗は進行しており、モラルの欠片もないではないか。ダニエル・オコンネル曰く、

 

 道徳的に不正なことで政治的に正しいものはない。

 

 不道徳が常態化すると、気付かぬうちに格差が出来上がり、ワーキングプアが増えていく。追い詰められると生活のために低賃金でも働くようになり、次第に活力が失われていく。
 育む力も失われていき、他国頼みになる等も起きている。供給力を喪失する愚を犯しているのだ。インフラや農業に関わる人が減っていくと、それは亡国に他ならない。気付いてからでは遅い、今すぐ長期計画を立て国家を建てなおさねばならぬ。

 

国家の崩壊

 財政規律だとか、株をやれだとかで国家を維持できるとは夢想も甚だしい。タゴール曰く、

 

 哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富、この三つが国家崩壊の要因なり。

 

 マハトマ・ガンジーは「この7つが私たちを破壊する」と次を示した。

 

労働なき富
良心なき快楽。
人格なき学識。
献身なき宗教。
理念なき政治。
人間性なき科学。
道徳なきビジネス。

 

 タゴールガンジーも似たことを言うのは、国や人々の営みを理解していたからだろう。これらは全て、育みと継承がなければ成立しないものばかりだ。自由奔放に適当にやれるものではない。
 一定程度の道徳や秩序も必要であり、その必要性を咀嚼している必要もある。教養に然り。なぜ必要なのかを理解する力がなければ、わが国のように政治腐敗と金だけでモノを考える人を生み出してしまうのだ。その者達が力をつけ、国民をコントロールしはじめる。集団自決等と言う輩が既にそれである。浸透させるようにコントロールしはじめるのだ。

 

 



経済同好会新聞 第464号 「自省できない国日本」

自省できない国日本

自省できない国日本

自省できない国日本

他人事・極端は国を滅ぼす

 目先の利益確保のみに力を入れれば「将来の育み」が毀損される。短期成果主義が危険なのは、中長期の視点を蔑にするところ。ましてや、人間は十人十色。中島義道曰く、

 

 この世で評価される能力(学力・判断力・創造力・体力)の個人差はおそるべきものがあり、さらに個々人にはどうしようもない運・不運がつきまといます。しかも理不尽なことに、この現実社会はこうしたこと一切に目をつむって、結果だけから人を評価し判断するのです。

 

 自己責任論や努力不足は十人十色を理解していない者が多用する。現実との整合を取らずに「自分の知識のみ」で考察と判定をやり出すのだから、これほど容易く迷惑なことはない。このような愚者に対し、ベンジャミン・フランクリンはこう述べている。

 

 愚か者の第一段階は、自分をよりよく見せようとする事である。第二段階は、それを他人にしゃべることである。最終段階は、他人の考えを馬鹿にすることである。

 

 傲慢な者は承認欲求が強く、常に「相手より優位に立つ」ことを試みる。このような者達が自己責任や努力不足という言葉を用い、言論の暴力をふるう。自らが批判に晒されれば、悲劇のヒロインを気取ったり、逆切れしたりと持論を撤回することなく反省もない。太宰治曰く、

 

 わかい頃は誰しもそうなんだが、君は、自分ではずいぶん手ひどい事を他人に言っていながら、自分が何か一言で他人から言われると飛び上がって騒ぎたてる。君が他人から言われて手痛いように、他人だって君にずけずけ言われて、どんな手痛いか、君はそんな事は思ってもみないのですからね。

 

 自ら顧みることをしない者は若年層であれ誰であれ、モラルの面で逸脱することが多くなり常態化する。このような者をメディアが有り難がり、世論誘導に利用してくるのだから子狡いと言うべきか、心底乱れていると言うべきか。

 

本末転倒

 株金は、細く長く利殖を得ることを楽しまねばならぬ。ところが、わが国の株主にはさような観念がさらにない。はなはだしいのになると、借金までしても、株主になる。そして、一時の僥倖(ぎょうこう)によって利益を得ようとあせる。つまり、本当の株主ではない。これではまるで相場師と少しも違わない。

 

 こう述べたのは高橋是清だ。この数十年に至っては、大手企業は株主至上主義に染まり、労働者より株主に分配するほど落ちぶれた。物言う株主は労働者の生活等考えるわけもなく、企業に利益を出させるため低賃金で労働者を雇用させるよう勧めることまでやる。マイケル・ポーター曰く、

 

 多くのビジネスリーダーは投資家や株主のためにしなければならないことばかりを考え、ときとして「会社が成功するために必要なことは何か」という大局を見失っています。

 

 日本経済の凋落、この原因の一つにこれが深く関わっている。

 

 


 

鈴木宣弘様
誰が日本の農業を破壊したのか

 

経済同好会新聞 第463号 「忘れられる本質」

忘れられる本質

忘れられる本質

忘れられる本質

当たり前が分からなくなった日本

 日本経済が停滞してから三十年、阿呆のように増税に傾く政治。昔は「一揆」が起こるほど年貢に厳しか った時代もあったが、現在の我が国はこれとどう違うのか。政治が偏った結果なのだ。鷲田清一曰く、

 

 グローバル経済。ずっぽりと組み込まれて、いわゆる国民経済が成り立たなくなっている。経済というのは「経世済民」を略した言葉で、世を治めて民の苦しみを救うという意味だ。ところが、企業は株主利益を最優先にしたグローバルな市場でし烈な競争を強いられ、最大の関心は自社防衛、生き残りになった。

 

 このような状況になると人々はどうなるか、エーリッヒ・フロムは述べる。

 

 (現代人の)すべての活動は経済上の目標に奉仕し、手段が目的となってしまっている。いまや人間はロボットである。おいしい物を食べ、しゃれた服を着てはいるが、自分のきわめて人間的な特質や機能に対する究極的な関心を持っていない。

 

 このように地に足がつかない人々を多く生み出してしまうのだ。こうなると刺激を欲するようになり、それを心得ている有識者なるものがメディアに出て、世論誘導のために刺激的なことを言い出すようになる。そうして金の亡者である国外・国内の資本家が優位に立つよう大衆を誘導し、労働者にとって冬の時代が訪れしまった。高橋是清曰く、

 

 資本が、経済発展の上に必要欠くべからざることはいふ迄もないことであるが、この資本も労力と相俟つて初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいへば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。ゆゑに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信してゐる。

 

 株主が優位になれば労働者は奴隷の如く低賃金で働かされるようになる。これでは元の木阿弥だ。資本主義の危うさはここにある。金ある者が政治に圧力をかけるようになり、政治家が忖度するようになるのだ。このような現象はかつてイギリスで起きている。ここに道徳の欠片もないことは自明であり、したがって教養ある者が政治家になることが望ましい。選挙で有権者が投票することを考えれば、有権者も一定程度の教養が必要になることは論ずるまでもないだろう。

 

論理は整合してなんぼ

 経済学の教科書と現実にかい離が生じれば、そこは考察を加えるべきだ。整合性を取らなければそれは学問でもなんでもない。ケインズ曰く、

 

 経済学は論理学の一分野であり、思考の一方法です。経済学は本質的にモラル・サイエンスであって自然科学ではありません

 

 更に曰く、

 

 嵐の最中、経済学者にいえることが、「嵐が遠く過ぎ去れば波はまた、静まるであろう」ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく、無用である

 

 現実は複雑だ。生物を扱う如く、単純にいかない。故に余裕を加味することが肝要だ。

 

 



経済同好会新聞 第462号 「政治屋だらけの日本」

政治屋だらけの日本

政治屋だらけの日本

政治屋だらけの日本

腐敗は教養のなさから来る

 人間というものは一定ではなく不安定な存在だ。ルールを決め遵守することで安定に向かうことは可能だが、それでも完全な安定は見込めない。十人十色を心底理解したなら、不確実性も自ずと理解できるというもの。ここに自然災害が加われば、不確実性は高まる。
 前述したことを安定的にするならば、個人の努力では到底適わない。出来ることが限られているからだ。我が国は消費税、その他税金や社会保障費等の大きな国民負担を強いており、社会も経済も不安定化している。構造改革で甘い汁を吸う者がいる一方、その反対側で多くの国民が負担を強いられている次第だ。維新の身を切る改革で甘い汁を吸う者達がいる一方、大半の大阪府民は負担を強いられていることと同様である。構造改革も身を切る改革も、政商竹中平蔵が関わっていることは偶然ではあるまい。
 有識者として抜擢される者達も、政府や経団連の代弁者でしかない。ともすれば、最大野党も言説がころころ変わる党首のいる政党も怪しいものだ。
 以前から指摘されているが、経済政策においては自民党立憲民主党も大差ない。三党合意を決めた時点で彼らは同罪である。撤回する様子もなく、将来世代を人質にとる論法は健在だ。国家を建てなおしたい割には、現世代に負担を強いながら衰退させている。これはそのまま将来世代に受け継がれツケとなるのだ。ここを理解できない政治家は単なる政治屋であり、サラリーマン議員という他ない。教養のなさが浮き彫りになるだけであり、人間の営みや人間を分かっていない証左だ。

 

暗記だけでは片手落ち

 教科書を暗記することに長けた者もいるが、応用することに長けた者もいる。応用する者は学問をその場限りとしない。基本的な姿勢として、精進することを身につけている次第。ピーター・ドラッカー曰く、

 

 教養ある人間とは、勉強し続けなければならないことを自覚している人間のことである。

 

 勉強嫌いでは国家は発展して来なかったろう。誰かがそれをやってきたのだ。教科書を暗記した者の中にも、暗記したものこそ全てだとする大馬鹿者がいる。全く人の話に耳を貸さず、教科書を印籠代わりに相手を叩く事をやり出す無教養な者がいる。この者の肩書は弁護士であるが、頭が良いのか悪いのか分からないとはこのこと。経済学の歴史は浅く、市場自体の歴史も浅い。経済も市場も人間を相手にするのであり、不確実性に満ちている。ここを無視した教科書で満足していては、社会を破壊してしまうのだ。否、既に我が国の三十年がそれを証明して見せた。現在進行形で。
 このような「経済学教科書」を盲信する者は、決まっていることに寄って立つことで安心したが っている。ルールのようなものは確かに決められていれば安定を生む要素ではあるが、そのルールがいびつであれば弊害を蒙る人が出て来る。ここを無視してルールや教科書をごり押ししても良い結果を生まない。学問の更新や議論を交わすことを放棄していては、国民も国家も悲劇だ。こうやって没落していく。歴史が繰り返すのではない。人間が愚かなことを繰り返し歴史に刻まれていくのだ。

 

 


ツェリ子様
誰にとってのサスティナブル??

 

経済同好会新聞 第461号 「日本経済停滞と税負担」

日本経済停滞と税負担

日本経済停滞と税負担

日本経済停滞と税負担

悪政はとどまる所を知らない

 災害が起きても増税、コロナ禍到来でも物価高でも減税しない。西郷隆盛曰く、

 

 われ外出するとき、路上多くの貧人に逢うが、彼らはみなあくせくして政府に税金を納めている。われは却って為すことなく安泰に生活している。これは実に痛心の至りである。

 

 我が国の政治家は、このように述べられる者はいるのだろうか。アメリカの俳優、故ポール・ニューマンはこう述べている。

 

 私のような金持ちから税金を取らないのは馬鹿げている。

 

 格差が広がってきたことも手伝ってか、長者番付の発表が廃止されたのは2005年。実質賃金が上がらずに衰退していく中で、億万長者が増えていた事実も指摘されており、これは関心をそらすためだとされている。つまり、我が国は資本家優遇がなされてきた証左なのだ。その反対側で庶民の負担率は増え続けてきた。西郷隆盛曰く、

 

 租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするは、即ち國力を養成する也。故に國家多端(たたん)にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐(しい)たげぬもの也

 

 これは「税金を安くすることで庶民が豊かになり国力がつく。国費がかさみ予算不足になろうと税率を上げず、上に損をさせても下をいじめてはならない。」という意味だ。まさに累進課税のこと。
 我が国の恐ろしさは、いかようにも名目をつけて税を負担させようと試みてくるところ。エドマンド・バーク曰く、

 

 課税というのは、容易な仕事である。どんな立案者でもあらたな負担を企画できるし、どんな不器用者でも古いものに付け足すことが可能だ。

 

 権力が徴税すると決めたからといい、官僚はそれに従って弱者からも徴税することに考えを巡らせるようになってはならない。人間がどのような生活を営んでいるか、十人十色を理解した上で決定していかなければ、それは独善的になるというもの。ウインストン・チャーチル曰く、

 

 繁栄のための重税をかける国家は、バケツの中に入って取っ手を持ち、バケツごと自分を持ち上げようとしている人と変わらないではないか

 
 我が国の数十年に渡る経済停滞は、社会保険料等含めた税負担によるところが大きい。アントン・チェーホフ曰く、

 

 幸福な人間が良い気分でいられるのは、不幸な人々が自己の重荷を黙々と担ってくれているからに過ぎない。

 

 頭デッカチになるな。人間の営みなくして国家は成り立たない。塩梅良く政治せよ。

 

休刊のお知らせ

 お正月休みに伴い休刊させていただきます。
 12月27日(火)から1月11日(水)まで。翌日から再開させていただきます。今年は大変お世話になりました。また今後とも、来年もよろしくお願い致します。


経世済民同好会

 

 

 

問題は庶民にとっての黒字なのか、一握りの人だけの黒字なのか