「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第227号 「安全と安定を目指す」

安全と安定を目指す

安全と安定を目指す

安全と安定を目指す

 

相反する政策が招く国家毀損

f:id:keiseisaimindoukoukai:20210415183052p:plain

 コロナ第一波時の緊急事態宣言を発出した際には、みるみる内に収束に向かったことは記憶に新しいだろう。コロナは風邪程度といった言説や、スウェーデンは集団免疫に舵をきったために悲劇を生んだが、イギリスも当初はそうするつもりでいたのだ。後に撤回している。世界各国はその未知数さからか、意見が入り乱れていた。
 早期に感染収束を実現した国は、検査と隔離、自粛と補償をセットで行っているが、当時の日本でも、そうするように提案や意見をしていた人達はいたのだ。
 ところが、オリンピック開催国ということもあってか、収束している時分に感染対策の準備を怠った。どころか、感染は再度拡大する中でGoToキャンペーンをやりはじめたのだ。  上図はコロナと経済の相反するものを示している。感染収束には自粛が相当有効である。逆に人の移動によって拡大する。これまでの日本政府は、この両方を同時にしており、大きな矛盾の上で国民は生活させられているのだ。これだけでも相当振り回されているのだ。これだけでも相当振り回されている上に、コロナ到来以前から振り回されて来たのは経済。
 経済は国民の多くが消費活動することで成長する。ところが、消費税は消費を抑制する効果が高く、家計においては何かを削っているのだ。その削減は企業の売り上げの減少につながる。PB黒字化にしろ、これは政府の支出を削減し、税金で政府を黒字化するため、これもまた経済成長の大きな阻害要因である。コロナも経済も相反するこの愚は、財政規律を重視するあまり、コスト削減の観点から政策決定をするために起きている。後手後手の対応も、積極財政をしないために起こることなのだ。  現在率先してやるべきは、医療・介護従事者を厚遇し、人員や設備増強すること。そして、企業には売上を補償し、その中から従業員に給料を支払ってもらうこと。自粛にはコロナ協力金で待機していただく。加えて、研究者には青天井で支援し、コロナウイルスの解明をしていただく。政府は長期計画を立て、積極財政に転換すべきだ。

 

 

 


経済同好会新聞 第226号 「狂気の沙汰 国民連帯税」

狂気の沙汰 国民連帯税

狂気の沙汰 国民連帯税

狂気の沙汰 国民連帯税

善人の仮面をかぶった悪人たち

 当新聞で何度も指摘してきた人質論法。非常に悪質なのは、国民が自発的にそれに乗っかるようにした言葉選びをしているところ。次に挙げるものがそうだ。

 

「消費税は社会保障ために必要だ」
「消費税は痛みの分かち合いに必要だ」
「政府がお金を多く出せば将来世代のツケ残しだ」

 

 このような理屈で国民に増税はやむなしと自発的に思わせるように仕向けてきた。なぜそのようにするかと言えば、消費税は財務省の省是であるプライマリーバランス黒字化目標を達成させるためである。財務省出世ルールがこれだ。出世のためなら国民が貧乏になろうと企業が倒産しようと、誰かが死のうとお構いなしという次第。それを容認してきた政府の酷さも言うに及ばず。
 昔の自民党財務省(前大蔵省)の言いなりにならなかった。企業の声にも地元住民の声にも耳を傾けていた。野党からの批判や提案も受け入れながら回していたのだ。器が大きい自民党と呼ぶべきか。終戦直後や冷戦後の自民党の振る舞いは、GHQや米国政府の絡み等があり、考察には非常に重要なところではあるが、近年の自民党黒歴史に入る酷さであろう。

 

特別復興税の二の舞か

 消費税は社会保障に必要、これに反対する者は非国民だとする言説がある。ところが、消費税は社会保障に充てられているかと言えばそうではない。借款に充てるために徴税していることは既に暴露されている。借款とは政府が黒字化することを意味しており、政府の黒字化は国民(民間部門)の赤字化だ。そもそも、なぜ社会保障を受ける人達からも消費税で徴税するのだ。この大矛盾の方便は先述したがこうだ。

 

「消費税は痛みの分かち合いに必要だ」

 

 川に溺れている者、川に落ちそうな者に対してまで痛みの分かち合いとは、鬼畜の所業である。マクロ的観点からは、経済の弱体化を意味する。
 我が国の病は、権威ある者が言っているから正しいとするところ。その権威である経済学者が誤りであることは、さんざん指摘されてきたのだ。
 国民連帯税は東日本大震災時に設けられた、特別復興税のコロナ版と言ったところだろう。財務省の狡猾で悪質な部分が顕著なところは、建前が善意であり、本音は借款が目的であるところ。事実、復興税は被災者からも徴税してきた。本来は財政出動で政府が被害の穴埋めに動かなければならかったが、「政府がお金を多く出せば将来世代のツケ残しだ」という人質論法で被災者に手厚い支援をしなかった。十年も経って未だ復興が達成されておらず、苦労を強いられている人達もいるのだ。
 国民連帯税は、借款目的であることは疑いの余地はない。なぜなら、消費税の減税、或いは廃止もせず、復興税を徴収してきたではないか。コロナ禍である現在においてもだ。財務省は政府が支出した分は取り返そうという盲目的発想で必死であり、そのためにはこれまで通り、弱者からも容赦なく徴収することは目に見えている。
 国民の命を守るより財政規律が大事なわけがなかろう。最優先すべきは安全と安定の確保だ!!



 

高橋聡 どうして格差是正が必要なのか?格差の理由と是正の対策とは

経済同好会新聞 第225号 「日本経済 ひしめく矛盾」

日本経済 ひしめく矛盾

日本経済 ひしめく矛盾

日本経済 ひしめく矛盾

有事や不景気時は大型支出は必須

 企業は売り上げの為に合理的な行動をする。好景気であれば積極的に投資し、人材確保に動く。不景気時であれば存続のためにコスト削減をせざるを得なくなるため、投資を控えたり人員削減を行う。従業員を切り捨てることを望まない経営者は、固定費を安くあげる等の工夫をしているが、日本はこの二十数年の経済は停滞、持ちこたえることなくあえなく倒産することも珍しいものではなくなった。悩んだ挙句、保険をかけ他県で自殺した社長の話もある。
 このような企業に対して、ゾンビ企業と言い放つ大馬鹿者は到底許しがたい。コスト削減と共にワーキングプアが増加してきた平成は、市場の力だけではどうにもならなかったことを証明した。市場原理主義に陥る新自由主義的発想の害悪は、良かれと思ってやってきたことの積み重ねが、悪い結果をもたらしてしまう合成の誤謬を実証したのだ。唯一、政府はこれを回避することが可能だったにも関わらず、財政健全化という嘘の呪縛に捉われ、支出削減と付け替えに終始してきた。
 不景気からの脱却には、政府の大型財政出動は必要不可欠なのだ。

 

はらむ大矛盾

 不景気を放置することは蟻地獄のようなもので、手を差し伸べることが出来るのは政府のみ。市場にお金が足りないことを意味しているのだ。メディアや一部経済学者は企業は合理的な動きをすることを無視し、リスクを取らない企業は経営の仕方が悪い等と批判した。不景気時にリスクを取ることは、非合理的なのだ。リスクを恐れずに投資したとしても、需要がないと判断する経営者がほとんどだろう。一部の企業がリスクを取り、運よく成功した事例を取り上げ、それがあたかも一般的であるように印象操作するのは相当悪質である。
 合理的に動く企業に対し、非合理的に行動しろと促す大矛盾を平気で言ってきた我が国。企業が合理的に動くことしか出来ない、となれば、非合理的に動けるのは政府しかいないことは明らか。前提が誤ると結論も破綻。それを回避させる役割が政府なのだ。経済学の話以前のことである。

 

コロナ禍という有事

 日本は現在デフレに加え、コロナ禍という災禍に見舞われている。経済は上述したように、コロナ以前から問題を抱えてきた。そこへコロナ到来という不幸中の不幸に見舞われている。
 コロナ対策については当新聞でも幾度か取り上げてきたが、あの頃から経済対策同様進歩なし。
 コロナを収束させる方法として、自粛と補償をセットで行う。同時に、PCR検査で感染者を発見し隔離する。感染症対策の基本は検査・追跡・隔離・検疫となる。補償と設備拡充の資金源は政府がしなければ、それこそ国民も企業も医療業界も、限られた中で動くしかなくなる。常にお金がネックになっているのだ。
 日本の病は、肝心要な時にお金を出し渋るところ。財政規律だ。消費税で消費を抑制しておきながら、業績の振るわない企業をゾンビ扱い。あらゆる分野が衰退していても財政規律に縛られ、この有事でさえお金を出し渋る。中抜きはさせておきながら。相当異常だ。

 

 


 


経済同好会新聞 第224号 「人命軽視は明らか」

人命軽視は明らか

人命軽視は明らか

人命軽視は明らか

財政健全化で国民淘汰

 まるで経済国内戦争のようだ。財政健全化という名目で重税を課し、政府支出を減らそうと圧力をかける団体がいる。そう、財政制度等審議会財務相の諮問機関)だ。審議会長は東レ(株)元社長・会長の榊原定征氏だが、彼は2016年の記者会見で消費税率10%引き上げについて、「計画通りやるべきだ。地震の後でもそう思っている」と述べている。日本経済団体連合会第4代会長の経歴を持つ。
 恐ろしく冷酷な発言ではないのか。自らは安全圏にいながら、被災者がいるにも関わらずだ。氏は数々の経歴を持つが、目の前の国民を犠牲にすることを厭わないようだ。
 財務省自体が小泉政権時に竹中平蔵(派遣企業パソナ会長)が設置したプライマリーバランス黒字化を達成させるために、国民・国家が毀損しようと支出を減らそうとする。目的を達成するために犠牲者を出すという愚を数十年経ってもやめようとしない。
 我々国民は財務官僚出世の手助けさせられ、経団連や土居丈朗氏のような経済学者の自己満足のために犠牲を強いられている。菅総理ブレーンのアトキンソン氏はM&Aをしたいため、企業には売上補償で救済するということもしない。企業に息を吹き返してもらうと困るのだ。減税措置をしないことからも明らかだ。

 

国民黒字化目標にすべき理由

 プライマリーバランス黒字化目標(財政健全化)は政府の黒字を目標とするが、その反対側の民間部門(企業や国民)は赤字になる。政治家達は国民を赤字にして犠牲にしますと口でこそ言わないが、「将来世代のため」と言いお茶を濁しながら正当性と優位を保とうとしているのだ。人質論法である。「柔らかい表現の強烈なマウント取り」とでも言うべきか。
 やるべきことは、現世代も将来世代にもツケを残さないことだ。犠牲を伴う前提でしかものを考えられないのは、粗暴で粗雑な野蛮人がすることである。
 国民黒字化目標は国民が豊かになり、ひいては国家を豊かにする。税収も安定するのだ。この数十年のように無理矢理税を納めさせる発想であったからこそ、日本は凋落してきたのだ。その凋落は政商に労働詐取をさせても、政治が容認するまでに腐敗。国民の力が弱まっている証左だ。

 

かけ違えた ボタン

 服を着る際、最初のボタンを一つ外してかけてしまい、すぐに気が付く人と、最後になってから一つ余っていることに気が付き、全部外してから再びボタンをかける。ところが、このボタンをかけ違えたまま問題ないと強弁してきたのが、日本経済の実態だ。
 プライマリーバランス黒字化目標(財政健全化)は、そもそもボタンをかけ違えてしまう政策なのだ。このかけ違えが、増税を引き起こしている。消費税が社会保障費に充てられているというのも嘘であったり、ボタンをかけ違えた前提で政治を進めると、嘘の上に嘘を重ね続けなければならないため、収集がつかなくなっているのだ。ツケは全国民と企業に。
 それで努力しろだ、自己責任等と、責任転嫁も甚だしい。盗人竹中しい猛々しいとはまさにこのことだ。

 

 


 

youtu.be

経済同好会新聞 第223号 「繰り返す感染と自粛」

繰り返す感染と自粛

繰り返す感染と自粛

繰り返す感染と自粛

学ばない政権、分科会

f:id:keiseisaimindoukoukai:20210407182857p:plain


 コロナ禍の日本の今、自粛を要請するとなれば補償を求められるために、政府はまん延防止等重点措置なる悪手を思いついたようだ。その悪手を大阪府の吉村府知事が5日、全国で初めて適用した。その大阪では感染者は過去最悪の719人を更新したが、原因は緊急事態宣言を前倒しで解除したためだろう。驚くべきことに、都構想は反対多数で否決されたが舌の根も乾かぬうちに、次は広域一元化条例に着手。
 最優先ですべきことは、府民の救済であり、政府に地方交付税交付金を要求すべき立場だが、テレビ出演にかまけて口だけ番長状態だ。関西テレビ関西テレビである。
 日本経済は消費税で成長を阻害。長らく衰退と国力を毀損してきた経緯がある。その上でコロナが到来。
 経済のイロハとして、不況時の減税は当然だが、三党合意にかこつけて減税して来なかった。この有事でさえもしないのだ。この異常さでは当然のことながら、企業倒産、閉鎖やリストラを招き続けている。それでも政府はなお、売上の補償をしないのだ。
 グラフの消費支出からも分かるように、消費は回復していない。回復した時期は、特別定額給付金が給付された時期や、GoToキャンペーンの時期くらいだ。感染者が増えれば自粛で消費が落ちることは自明ろう。1年経っても未だだらだらと同じことを繰り返す愚は、財政規律を気にしてのことだろう。財政規律自体が虚偽に基づいているため、国民は意味もなく犠牲になっている。
 経済対策もコロナ対策も三流以下だ。

 




  

ナスタチウム 外国人に譲歩し、貢ぎ、危害を加えられ、やがて少数派になるドイツ人。日本人も他人ごとではない。

経済同好会新聞 第222号 「自虐パフォーマー達」

「自虐パフォーマー達」

「自虐パフォーマー達」

自虐パフォーマー

許しがたい暴挙 痛みの分かち合い

 当新聞で何度も書いてきた「日本は自国通貨建て」で支出していること。財政破綻をしないことは財務省自らが認めているにも関わらず、出世条件である財政規律は堅持し、国民を救うための支出をさせない。彼らは口でこそそのように言わないが、現実は困窮している人達が増えている。一般人が身銭を切って支えている現状、共倒れすることが懸念される。既に自助・共助 では回らないの が実情だ。
 非常に許しがたいことは、極力支出を抑える発想でいるため、大胆な救済策をこれまで行って来なかったこと。一方で竹中平蔵パソナ会長のような政治で商売をしている連中には、中抜きやマッチポンプをさせて野放しにしていること。そして、不勉強な政治家が国会議員の歳費削減をするから、国民も頑張って耐えてくれという偽善的行為。
 困窮者は今すぐ救助が必要な人達であり、海で溺れた国民には手当たり次第に浮き輪を投げ、同時に救命ボートで救い上げるのが政府の仕事だ。それを船上から歳費削減して自分も痛みを伴うから痛みに耐えてくれとは、あまりにも常軌を逸している。彼らは未だ切実ではないのだろう。実状を知っていれば、痛みを伴う等と口が裂けても言えない。傷口に塩を塗るようなもの。国家の危機でこうなのだ。

 

やり過ぎれば洗脳

 日本の病は「国の借金」をあたかも国民が背負う借金であるかのように誘導してきたことだろう。本来は政府の負債と誤解をされないようにすべきなのだ。既に洗脳に等しい状態であるため、批判の方便に「我々の血税が無駄なことに使われている」と言うに及ぶ。実際に竹中平蔵パソナ会長のような利益相反しいてる者達には、毅然と「利益相反している者達に国費を使うとは不公正であり秩序やモラルに反する」と言えば良く、そうして、社会的制裁を粛々と受けさせることが本来のあり方であろう。
 為政者が公務員の歳費削減してという発想も、国の借金を政府の負債であること、日本は自国通貨建てであることを知らないからだろう。

 

やはり認知が おかしい

 いくら日本が自国通貨建てであり、財政破綻しないことに無理解でも、なぜ人命最優先にならないのだろうか。筆者はここに猛烈な違和感を覚えるのだ。

 この場合、経済学云々の話ではなく、道徳的であったり論理的であるかどうかに帰結する話ではないのか。人は生きているから喜怒哀楽を感じられたり、活動も出来る。ところが、財政規律は人命が毀損されても履行されてしまうのだ。
 生活保護の門前払いにしろ、弱者の面倒を見る介護関係者や医療従事者が厚遇されないのも、財政規律という結論ありきだからだ。相当無理がある前提で政治が行われているのである。政府がコスト削減すれば、民間もコスト削減せざるを得なくなるため、ツケのしわ寄せは全て労働者や真面目な経営者に来ている。
 日本が以前のような一億総中流時代であれば、コスト削減等と叫ばれることなく、所得も倍以上になっていただろう。コロナも世界に先んじて収束していたのではないか。

 

 

 


経済同好会新聞 第221号 大予言「財政危機」

大予言「財政危機」

大予言「財政危機」

大予言「財政危機」

腐敗した時代、劣化する日本

 「1999年7月、空から恐怖の大王が降ってくる」としたのは、ノストラダムスの大予言。当然、当時は何も起きていない。検証された結果、翻訳者の恣意的であり間違いだという。実はこれと同様のことが経済界隈で起き続けている。どういうことだろうか。
 ハイパーインフレが2020年に起きると予想していた、日本維新の会所属の某経済評論家。そして、財政破綻詐欺師と言っても過言ではない某慶応の経済学者。この両者は最近そのように言い始めたのではなく、随分前から予測しては外して来たのだ。ところが、現実は彼らの言動の全てを拒否した。しかし、彼らの言動は増税させるに余りあるように受け取られた来たことも事実であり、虚偽によって消費税は増税されてきたと言っても過言ではない。
 このコロナ禍でさえ、国民や企業の救済よりも財政規律が大事だと言って憚らないのは、彼らの「大予言」を鵜呑みにしている経済学者、政治家がいるからだ。国の借金は将来世代のツケ回しという言動も、発端は誤った経済学にある。財務省はこれ幸いと出世条件の財政規律に走るという具合。人命より、そっちの方が大事か?と思える人は至って常識人だ。

 

笑えない現実

 ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンに右へ倣えをした日本の主流派経済学者。クルーグマン金融危機の際に持論を変化させてきた経緯があり、その変化は徐々に現実に沿うものとなっていった。ところが、日本の主流派経済学者は変化せずに保身まっしぐら。一度言ったことを撤回することを恥だと思っているのか、それが原因で日本の衰退と国民の毀損を招いている。災害が来ようと財政再建がー!コロナが来ようと財政規律がー!と言って救わない。そう、未だもって「大予言」を盲信しているのだ。
 例えば、道に迷ったとしよう。引き返した方が目的地に早く着くのではと助言しようと、「いや、ここを進めば間違いない!」とずっと周辺をうろうろして同行者に迷惑をかける。ばつが悪くなると、もう少しで着くから問題ないといって誤魔化す。終いには、同行者のせいにしだすのだ。こんな愚行を数十年も繰り返しているため、日本経済の停滞と凋落を招いてきた。

 

道徳のはき違い

 財政規律が正しいというのであれば、国家を衰退させてまでそれを守ることは道徳的に正しいのだろうか。財政規律を重んじるあまり、増税という国民に重く負担を押し付けてしまうことは、非道徳的ではないのか。
 痛みの分かち合いも同様に、大前提を疑ってかからなければ、こんな数十年も取り残されたように日本経済が停滞することは有り得ない。考えを放棄した結果が現実なのだ。守るべきものを守らず、財政規律によって人命が失われることを容認しているも同然である。これほど許しがたいことはあるだろうか。 そして、労働者を詐取するパソナのような派遣企業を容認していることも、ビジネス至上主義をのさばらせることになっている。労働者を低賃金で雇用することが当たり前の社会は極めて危険だ。