見るべきバランスとは
バランスとは塩梅を見ること
人間、バランス感覚は必要であるが、それは家計のバランス感覚にも言える。今月は使い過ぎた、来月は節制しようとなる。個人であるミクロではこの感覚は正しい。そうであっても、借金してまで大盤振る舞いする人もいれば、金持ちでも溜め込む人もいる。マクロで見れば人間社会は不確実性で満たされており、それ故に財政のバランスはアテにならないのだ。財政をバランスさせる前提で進めてしまうと、ミクロである個人のどこかで偏りが出てきてしまう。我が国はずっとこの状態だ。
財政をバランスさせると家計がアンバランスになってしまうのは、不確実性が高い証左だ。どのような要因があるか次に挙げてみよう。
・災害 / 事故
・海外
・個々の能力 / 感情 / 価値観
・政策の偏り
等々。これらに対して個人ではどうにもならない。例えば、海外要因である物価高は個人で防ぎようがない。このようなどうにもならないことは、経済にダメージを与えてしまうのだ。当新聞ではこの不確実性には余裕を加味した財政政策で経済を安定させよと言ってきた。能力ある企業のみに金を出しても、そこが潤うだけで溜め込みもはじまる。経済は人間の営む社会や先ほど例に挙げた事柄を見てやらなければ、毎回同じところで躓く。躓いては増税だ改革だ等とやっていては、ただただ衰退する一途だ。不況時に税収が増えたり、特定企業が利益を出し続けるのは、構造的にそうなってしまっているからである。否、意図的にやってきたと認識しなければ、目測を誤るだろう。財政の問題でこうなっているのではないのだから。管理通貨制度下における財政はバランスさせることではなく、経済全体の塩梅を見て安定化を図るために収支は気にしなくていい。重要なのは実体ある経済が安定して成果を出しているかどうかである。この結果、税収が増えたり減ったりするだけのことでしかない。
財政のバランスを取ろうとするあまり、実体経済を毀損するのでは本末転倒だ。