「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第522号 「資本主義と煩悩」

資本主義と煩悩

資本主義と煩悩

資本主義と煩悩

煩悩は自我を食って生きながらえる

 マザー・テレサ曰く、

 

 最大の罪は愛と憐れみを持たないことです。搾取されたり、堕落したり、赤貧の中にいたり、病気で困っていたりする隣人を目にしながら恐るべき無関心でいることです。

 

 さて、マザー・テレサのこの言葉通り、筆者は社会でこれらを見てきた。困っている人がいても素通りしたり、忙しそうに足早に見て見ぬフリをして過ぎ去っていく人達。誰かがやってくれるだろうと思い無関心を決め込む社会は、国家の脆弱性を表していると言える。たとえ勉強出来たとしても、無関心さは政治に反映されるからだ。選挙へ行け!と促して行ったとしても、無関心さからはどこの政党に投票するかはメディアに露出しているところに流れるのは火を見るより明らか。教育の敗北というのである。かなり深刻だ。
 煩悩はあらゆる方法で自分を認識至らしめる。度々人を苦しめるのはこの煩悩の存在だ。常に俯瞰して物事を捉えている人も存在するが、この時は煩悩と距離を置いているとも言える。煩悩は消そうと思っても消せないため、煩悩は存在させておきながらいかに距離を取るかが肝要になる。煩悩は自分が可愛く、故に喜怒哀楽を使って苦しみを味あわせる。そうすることによって自分を実感できるからだ。まるで、自分を食って自分を認識せしめているかのようだ。
 一方で資本主義。労働者を搾取することによって生きながらえる資本家達。金のためには政治をも動かし、自分達の都合の良いように政策を進めさせる。我が国は「修正資本主義」の道を歩んできたが、冷戦後にはそれを破壊するようになった。構造改革や税制改革は労働者搾取型の資本主義に戻すためのものだ。これが経済停滞の大きな原因である。
 煩悩は自我を食って生きながらえ、資本主義は資本が労働者を搾取して生きながらえる。ましてや、資本主義は人間が作り出したものであり、そこには煩悩が常について回る。であるから、資本主義は搾取型ではない修正資本主義が今とりえる理想となるのだ。ジャパンアズナンバーワンと言われた時代の日本がそうだ。更に、煩悩から距離を取るようにする(教養の育み)。
 日本沈没に導くのは政治家であって有権者なのだ。無関心層も無関心故に腐敗した政党に与することを自覚せねば、我が国は沈没することは避けられないだろう。