経済同好会新聞 第436号 「持続可能な社会へ」
持続可能な社会へ
誰が持続可能を破壊したか
当新聞で幾度となく述べてきた修正資本主義。搾取構造になってしまう元々の資本主義では、格差が拡大し貧困化することは分かっていたため、我が国は資本主義を修正しながら、全体が潤う経済システムを構築してきた。完璧ではないが、既に今よりも遥かに持続可能な社会を実現していたのだ。ところが、冷戦後には構造改革や税制改悪でまた元の資本主義に逆戻りさせてきたのがこの三十年近くである。
三十年も経済にダメージを与え停滞。格差が拡大し貧困化してしまった。かつてはアメリカを追い抜く勢いでGDP(国内総生産)も増えてきた我が国であるが、この三十年近くで順位を落としていった。賃金が上がらず需要と供給が縮小、後進国化が止まらない。上っ面だけはきらびやかに装うが、かつての繁栄とはほど遠い。
物言う株主が強くなり、企業は短期成果主義で育みが毀損されるようになった。政府も緊縮財政により、科学や教育等の育みが顕著に出る分野を毀損させている。インフラはボロボロ、地方交付税交付金を減らしてきたことも相まって、国力の低下も著しいのだ。安全保障の視点も抜け落ち、カルトとの癒着もなんのその、未だにケジメをつけることなく居座る為政者が多くいる。腐敗したのだ。
悪政は不景気へ
経済が悪化する不景気では、物やサービスが買われなくなり企業は倒産するか火の車、労働者をリストラ等して持ちこたえるところもある。一方で、構造改革で悪政が敷かれるようになると、分配構造が毀損されるために利益が出ても労働者は搾取される。どちらも労働者にとって冬の時代。
不景気の要因と悪政による要員を見定める方法は、やはり税制が重要になってくる。これらは何度も口酸っぱく述べてきたので横に置くが、持続可能な社会を破壊してきたのは元の資本主義に回帰させてきたからに他ならない。
ところが、これらを指摘すると「社会主義がー!」と資本主義の搾取構造を是とする者が現れる。特に新自由主義者然りとしている者達や、ビジネス保守を支持する者からもこのような言説が聞かれるため、誰が保守で愛国者なのかあっという間に化けの皮が剥がれるのである。ただの無知であるなら救われるが、それはそれで扇動されているわけだ。いづれにせよ害悪である。かつて渋沢栄一はこう述べている。
一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。
渋沢は社会主義者なのだろうか。更に曰く、
真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない。
労働者から搾取する資本主義の構造は、そもそも道徳的ではない。そのため、資本主義を修正しながら歩んできたのではなかったのか。これを社会主義だと呼んで排除した結果、我が国の凋落が止まらなくなった。コストを削減させて利益を出そうとするあまり、労働者は貧乏くじを引かされ続けている。知床の遊覧船を思い出せ。あれはコスト削減のツケである。いつまでこのような育まない政治を続けるのか。国民は怒っても良い。