「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第517号 「足元が定まらない日本」

足元が定まらない日本

足元が定まらない日本

足元が定まらない日本

没落は約束されたようなもの

 筆者が常に感じていること、それは脳では瞬時にイメージしたり考察しているが、これを言葉にする難しさ。イメージをシンプルに言葉にすることは出来ても、この作業は長文を要約する程度のものだ。ここまでは誰でも思うことかもしれないが、イメージしたことを完全に言葉として再現できるかと言うとそうでもない。言葉では言い表せられない何かがあり、このスパイスのようなものを回りくどく表現してようやく自分を納得させるのが関の山だ。この状態とは、自分だけが確実に分かっているシロモノであって、第三者からすると文字を額面通りそのまま読み取るだけで、完全に伝わっているかは疑問なのだ。
 人間社会の不確実性はルール等である程度は共通認識により緩和することは可能であるが、これが理性的によって処理する人と教養も身についた上で処理する人とでは、判断の仕方が変わってくる。筆者が驚いたのは、教科書的というのかマニュアル人間というべきか、記憶することと与えられたことを履行することに長けてはいるが、状況を見て判断して中止するだとか留保するだとかに鈍感な人がいるところ。筆者が度々記事で「偽物エリート」と批判するのはこの類のもの。教養が身についていないのか、年齢を重ねていても井の中の蛙のような環境であれば身につかないのも理解できる。だが、為政者や官僚がこれでは困る。我が国の没落は約束されたようなものであるのは、第二次世界大戦の戦後どころか、明治改革(維新)以降から国家観が失われてきたところにある。社会の土台もそうだが、精神的な土台が脆弱なのだ。それ故に、「建前であった対米従属」が冷戦後には「本気の対米従属」に変質する様になった。これは長期の経済停滞と無関係ではない。価値判断が異常になった結果なのだ。守るものを守らなくなった。このような意味でも我が国には保守は存在せず、自民党は疑似的な保守を演じているに過ぎない。まるで道化師のようだ。
 外国へはすぐ支援し、自国民には日本は世界のリーダーシップを取っているように見せかけているが、実態は相手にされていない。世界は知っている、我が国は米国の属国であることを。ジャパンアズナンバーワンと呼ばれた時代は高く評価されていたが、政治的な国家としての評価は全く別物なのだ。まだしも、経済的に豊かだった時代の方が外国ウケも良かったが、冷戦後の衰退によりそれもなくなった。小手先でクールジャパンだとかインバウンドをやったところで、経済は建て直されるはずもない。外国人旅行者は日本は治安が良く安い国だから来るのだ。これは価値が落ちていると心得なければ、労働者の低賃金も改善されないだろう。

 

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