「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第321号 「家計と財政は異なる②」

家計と財政は異なる②

家計と財政は異なる②

家計と財政は異なる②

管理通貨制度における財政

 前号では、我が国の通貨発行能力が優れており、その理由に他国からお金を借り入れしていない状態であると述べた。これは自国通貨建てで日本円を発行していることを意味し、通貨主権を確立していることなのだ。したがって、これは経済的主権が確立されており、それはそのまま政治的主権である「経世済民【世を經(おさ)め、民を濟(すく)う】」を達成することが可能であることも同時に意味している。しかし、これをやらないのは、多くの国民や政治家がこの事実を知らないためだ。
 英・米同様に、我が国は管理通貨制度であり、財政の収支を均衡する必要がない。家計と国家財政を混同すると、この事実から目を逸らしてしまうため、財務省の家計と財政を混同させるプロパガンダは悪質だと断じているのである。

 

混在する財源論

 我々国民は税金を支払い、政府がその税金を使って支出していると誰しも思い込んでいる。ところが、何度も述べてきたことだが、政府は税金を集める前に支出している。これはアダム・スミス国富論ケインズ貨幣論で書かれており、我々が教えられてきたことと真逆だ。ケンイズが考案した管理通貨制度(非税財源)は、1971年に米国ニクソン大統領の兌換停止宣言で採用される運びとなった。政府は国民から借り入れすることなく支出している、これが事実なのだ。しかし、金本位制(税財源)の観念が色濃く、未だに財政を均衡させよと財務省は言い、政治家が盲信しているのである。この現象は何も我が国だけではなく、世界的なことなのだ。
 貨幣(お金)の本質については、複数の人類学者は文明の成り立ちにより理解している。昔の哲学者も古典を調べる上で理解しており、現在の経済学者よりも先行していた。どちらも本質的なことを知ろうと追究する姿勢があり、これこそ学問の真骨頂であろう。

 

通貨主権国

 我が国は英・米と同様に通貨主権を有するが、たびたび財政破綻を指摘する人達が例としてベネズエラギリシャ等を挙げている。これらの国々は他国通貨やユーロを利用しなければならないため、通貨主権を有していない。
 通貨主権のある国というのは、自国通貨において資金が枯渇することはない。つまり、どれだけ大がかりな公共工事を政府が発注しても、必ず支払うことが可能なのだ。値切る必要もない。
 戦後復興の際は他国通貨(ドル)を借入していたため財政破綻のリスクは常にあったが、全て返済しているために、破綻のリスクがなくなったのである。しがたって、財源の心配がないため、経世済民に力を注げる。東日本大震災の復興やコロナ復興税を徴収する必要もなく、政府が支出するだけだ。我々の税金を財源にする必要がないところが、管理通貨制度の優れた点である。そのため、いわゆる国の借金はなんなのかと言えば、これまで政府が発行したお金の残高(貨幣発行残高)になる。
 さて、政府はお金の発行者であること、国民は発行されたお金の利用者である事実を理解できれば、いわゆる国の借金と呼ばれるものは我々国民が背負った借金ではないことに気が付くだろう。同時に、肩の荷が下りたのではないか。  
(次号へつづく)

 

 



経済同好会新聞 第320号 「家計と財政は異なる」

家計と財政は異なる

家計と財政は異なる

家計と財政は異なる

財務省は嘘をつき続けるのか

 たびたび当新聞で取り上げる財務省の家計と財政の混同ぶり。いわゆる「国の借金」も悪質な世論誘導のプロパガンダであるが、なぜプロパガンダと言えるかは家計と財政を混同しているからである。実はこの混同には、悪質なプロパガンダともう一つ、国民を馬鹿にしていることも書き添えておくべきであろう。物事を第三者に説明する際、伝わらない時は例え話をしてみたり、置き換えて伝えようと試みたことは誰でもあるだろう。そして、その物事を伝えやすくするため、なるべく同等の例を挙げるはずだ。ところが、財務省が財政を家計に置き換える説明は、置き換える対象が最初に間違えている。財政と家計は比較対象にすることは出来ず、この時点で間違って伝わるよう誘導しているのだ。これはプロパガンダであるが、国民はどうせ調べないだろうと高をくくっており、これが国民を馬鹿にしているところである。財政を家計に例えることは容易く浸透しやすい。帳簿をつけている人や、どんぶり勘定でも、給料が入ればそれ以上の支出はしないように留めておくことは家計では自然なことだ。この身近なものを財政に置き換えており、悪質さのレベルは相当なものだ。「国の借金」を一人あたり〇百万円とメディアを通じて垂れ流すことも財政と家計の混同とつながっており、国民に不安と恐怖を煽るためである。

 

「国の借金」による世論誘導

 前述した国民を煽るプロパガンダは、政府の支出を国民が家計同様として鵜呑みにしているため、酷く怒りを覚えるようになる。資金繰りで散々な目に遭った人であれば余計、政府の支出が増えることに対して憤る人もいるだろう。政府は収入と支出を管理できていない、我々一般人よりも出来が悪いと思うのだ。せっせと貯金し将来に備えているところに、政府は公共事業等にたくさん支出して酷いじゃないかという具合。いつか破綻するのではないかと心配になるところも、財政破綻の文字を見るにつけて不安がよぎる。
 このように、財務省は国民の不安と恐怖を煽ることに成功している。日本は借金漬け、かつ、いつか破綻すると刷り込まれていくのだ。肩書きのある人間が財政破綻する!と言えば、鵜呑みにするであろう。このようにして洗脳は完成されていき、加えて、毎年繰り返し「国の借金」プロパガンダで洗脳は強化され、知らなかった者は洗脳されていく。

 

通貨の発行者

 財政と家計が混同していることは分かった。では、どう混同しているのだろうか。家計のことは働いて得たお金だと理解しているが、では、このお金はそもそもどこから出てきたのだろうか。日銀がお金を刷っていることは既知であろう。雑学では紙幣に日本銀行券と書かれており、硬貨は日本政府が作っていることも。
 我々国民は紙幣も硬貨も作ることは出来ないが、政府はお金を発行する権限を有している。国家財政と家計を混同できない点はここにあるのだ。
 ここまではそれほど難解ではない。日本政府は唯一、日本円を発行する機関であり発行者だ。発行されたお金は我々が利用する側であり利用者である。加えて、日本政府は通貨を発行する際、他国のお金を借り入れする必要がない状態だ。つまり、通貨発行能力が優れた国なのである。
~次号へつづく~

 

 

高橋聡 | 進撃の庶民 日本の財政破綻論5つの嘘とは?財政破綻はフィクションだった

 


経済同好会新聞 第319号 「財政均衡の支持者とは」

財政均衡の支持者とは

財政均衡の支持者とは

財政均衡の支持者とは

国民を不幸にしても優先される規律

 先日、財務省の矢野財務次官が雑誌に寄稿したことで炎上したが、音沙汰はないようだ。総裁選候補における公約(口約)が確かなら、日本経済、ひいては国民のためにならない内容を寄稿した矢野氏を、岸田政権は厳正に処分し責任を取らせるべきだった。そうしないのも、財政均衡派にとって財務省は利用価値が高く、そこに忖度したと見るべきであろうか。
 財政規律は財政収支の均衡を守ることを規範するものであるが、何度も口酸っぱく述べてきたように、それは金本位制(税財源)が前提であり、我が国は管理通貨制度(非税財源)である。わざわざ税を財源とする金本位制のようにしたがる理由は、インフレを嫌うグローバリスト(国際投資家)の意向が働いているからだ。当新聞で述べてきた「株主云々(でんでん)😂」もこの話である。自民党は彼らに忖度しているのだ。経団連増税を促す言動も全く同根であり、労働者への分配よりも株主への分配に力を入れていることからも明白である。したがって、財務省、グローバリストも自民党も国民の幸福を目的にしてはいない。共通するのは自己利益最大化である。一握りの利益のために、我々大多数の国民は蔑にされているのだ。竹中平蔵パソナ会長を筆頭に、大阪維新の会の言う「改革」に然り。

 

政治家は政治をせよ

 財務省は政治家をレクチャーする話があるが、これは財務官僚に対する過信があるため非常に危険だ。財務省は財政規律に対して信念があり、前述したが国民の幸福に寄与することは考えていない。一にも二にも財政規律を全うすることであり、これが出世条件だ。ニーチェは信念に対してこのように述べている。

 

 信念は、真実にとって嘘よりも危険な敵である。

 

 嘘をつく者は真実を覆い隠すが、早い段階でボロが出る。ところが、信念はあらゆる手段を使ってでも、押し通すことにつながる危険を孕んでいるのだ。自民党を見れば分かるのではないか。財務省にしろ財政規律のためならば、国民が不幸に喘ごうとお構いなし。国家公務員の立場ということもあり、仕事に対して潔癖であることは認めるところではあるが、政治家は財務省を制御できるのだ。だがしない。
 財務省は財政規律を示すことで、各省庁の予算に対する主導権を握っている。いわゆる「国の借金」で将来世代を人質に取ることと同質だ。そうすることで従わせる。まるでヤクザの論理だ。この論理を政治家も支持しており、我が国は管理通貨制度であることを知らず、純粋に財務省を盲信している議員もいるだろう。そうであろうと、救済しない理由にはならない。国民が税金で苦しんでいようと減税すると言い出せないところも、人間性がでているのだ。
 政治家が現状を変えたく政治家になったのであれば、「出来る理由を探る」ことをしなければ、それは政治屋か政党の人員集めならぬ、ただの寄せ集めのサラリーマン政治家である。
 我が国は管理通貨制度であり、政治家は政府支出と税収を切り離すところも学ぶ必要がある。財務省は財政規律を信念化しているため、政治で変える必要があるのだ。支出と税収を一致させることを目的化すると、管理通貨制度は名ばかりの猫に小判状態だ。政治家も名ばかりか?

 

 

バケツリレー | 進撃の庶民 45歳定年・解雇規制緩和という「平成型」労働改革

 


経済同好会新聞 第318号 「小さな政府論の愚かさ」

小さな政府論の愚かさ

小さな政府論の愚かさ

小さな政府論の愚かさ

時流か?思想の退廃か?

 小泉・竹中構造改革以降、保守と言われていた人達は小さな政府論に流される現象が起きていた。この姿勢はとても保守とは言い難く、新自由主義に乗っかったにしろ、思想の退廃と見るべきではないだろうか。市場に任せる「市場原理主義」のような、なんでも民間に任せてしまおうとする思想に同意した時点で保守の肩書は外すべきである。なぜならば、自然災害や予測できないことが起きた場合、合理化を求める民間企業ではそれら危機に対して非常に脆弱だからだ。
 今すぐ来ない災害だと思っていても、災害は常に起き続けてきた。金融危機にしろ貿易にしろ、不確実さに対する民間企業は脆弱な存在である。小さな政府を思考した瞬間、守るべきことを蔑にすることと同義なのだ。政府が市場を支え、安定させるために公共政策をとることが不可欠である。かつての日本の姿だ
 驚くべきことは、社会主義的なものを批判するあまり、福祉に対して批判的なところだ。小さな政府論のデタラメさ加減は、重要な事柄から目を背けるところにある。大きすぎる政府や小さすぎる政府のどちらかを選ぶ発想からして、保守と呼ばれる者達の思想が退廃している証だ。「ええ塩梅」を思考することがなくなれば、安易な物の考え方に偏ってしまうのである。

 

政治の経営化

 デタラメと言えば地方分権の議論。中央集権か地方自立かの二者択一のような話も思想の退廃だ。このような議論は当然のことながら、利権が絡んでいるからに他ならない。そうとも知らず、誰かが地方分権だ!と言えばそれに飛びつくような稚拙さ。そもそも、この幼稚な二者択一を唱える者に異議申し立てすることが保守的態度のはずであるが、為政者からして扇動する始末である。各都道府県と政府はセットで考えなければ、政治が経営で成り立たないことは、大阪維新の吉村府知事と松井市長が既に証明済みだ。パソナ化に移行した末路は害悪でしかない。IRだのカジノだのと、政(まつりごと)と経営を混同した時点で、政治生命はないはずである。大阪を解体と言った愚か者が未だにメディアで影響を持っているところも、思想が退廃した何よりの証左だ。
 政商を抱え込んで来た自公明や、この度の岸田政権が成長戦略会議の代わりにメンバーに据えた、経団連等の面々は増税派であり法人税減税派だ。自公明与党は政治と経営を未だ混同したままである。
 新自由主義者はこのように合理的観点からモノを考えるため、積み重ねの重要さや継承については無頓着だ。これらは合理性ではなく守るべきものであって、儲けるためではない。「育み」は打算的であってはならないように、それはそのまま経営的であってはならないのである。小さな政府論者は至って合理的であり経営的なのだ。
 政府により規制がなければ、やがては傍若無人のような振る舞いをする者が必ず出て来る。儲けた先には、更なる儲けのために規制緩和を言い出すからだ。労働者もやむなく、非正規として低賃金で働くことを余儀なくされているではないか。政治はこれを防ぐために存在しているのであり、経営的な者を政治に関与させることは、国民生活の破壊を促すことを容認するものである。
 ヘンリー・フォード曰く「集まることで始まり、共に居続けることで進歩し、共に励むことで成功する」

 

 


高橋聡 | 進撃の庶民 どうして格差是正が必要なのか?格差の理由と是正の対策とは

経済同好会新聞 第317号 川柳「利益相反・政商」

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川柳「利益相反・政商」

川柳「利益相反・政商」

川柳「利益相反・政商」

国民全体の権益を毀損する者達へ

 

牡蠣食えば、金が無くなる、法隆寺 ESPRIMO

 

中抜き屋 跋扈し苦しむ 勤めびと ツェリ子

 

政商の 勉強しましょう 慶応で メロン

 

更地化や 財政黒字の 夢の跡 koji hasegawa

 

やってない わたしはまったく 邪悪じゃない しらさぎ

 

民営化 民の利益を 独り占め なごみ

 

身を切れば おためごかしに 国廃る 呪われた魔法のマーカ

 

民営化実のところは 私物化よ lmjq

 

時満ちて ネオリベ政治の 月欠ける 新・大阪太郎

 

緊縮し 税収無くなり 増税だ トルク

 

グローバル 外資企業を おもてなし チラ改めチラリンQ

 

よういちは けんじになりし へいぞうかな 吉吉祥寺

 

ゴジラより パソナが 淡路のモンスター ital inouye

 

賃下げで 政商肥ゆ 株高よ 田中一郎

 

アレ俺が  数式使えば  簡単で せーじ

 

本当に それってあなたの 意見なの? マコ(真コ)ちゃん

 

票取れば 内緒話が 記事になり 黄昏のタロ

 

改革や 政商どもが 夢のあと purple17

 

貧乏病 その原因は 竹中菌 Lucky

 

アトキンソン 言う事聞けば 後金損 jumping carp MEGA MAX

 

間議員の利益相反

 政府へ民間議員として提案し、一般企業人として提案した仕事を受注する。このような利益相反を政商竹中平蔵パソナ会長は味を占めている安倍政権下では「未来投資会議として労働法改悪を進め、派遣企業が儲かる仕組みに変えていたのだ。結果、コロナ禍では4万人もの非正規労働者は路頭に迷うこととなった。そもそも、小泉政権時に労働者派遣法の成立に貢献したのも彼自身だ。与党が彼を民間議員として採用することは、利益相反を容認するものであって到底許されることではない。
 メディアもメディアだ。竹中氏を紹介する際には、派遣企業会長の肩書ではなく、慶応大学名誉教授としてである。利益相反をしている人物を大学教授の肩書で紹介する様は、明らかに不自然であり都合が悪いとしか言いようがない。竹中氏は政商であり、報道により利益相反を指摘される側である。何故しないのだ。
 派遣企業の竹中平蔵パソナ会長の利益相反は、雇用政策に関連する諮問会議にも出入りしており、小学生でも疑問に思えるほどあからさまだ。これを自公明の議員が放置しておけるのだから、癒着があるとしか言いようがないではないか。
 更に、国家戦略特区において解禁された外国人家事代行サービス、ここでもパソナグループが利益を享受しており、これほど明白な利益相反はない。むしろ、隠すこともなく堂々とやっている。つまり、政治やメディアから批判がないのだろう。理不尽を放置すれば常態化し腐敗する。腐敗に慣れきってしまうと、やりたい放題がまかり通ってしまう。総務省違法接待問題同様、菅政権発足直後に竹中氏と会食していたことも相当に問題があったとしなければならなかった。腐敗が当たり前になれば、このようなことにすら鈍感になる。
 竹中氏は尾身氏を「越権」だとしていたことも記憶に新しいだろう。お前が言うか案件だ。越権どころの話ではない。
 「医療ムラ」発言も利益誘導のためであって、国民の権益を解体し、政商達の既得権益に付け替えようと画策することばかりだ。事実、あってはならない派遣企業が力を持ってしまった。既得権益化してしまい、非正規労働者は一定数生み出されていく仕組みが固定化されてしまったのだ。政治家は寄り添うなどと言うが、労働者派遣法に強く規制をかけることもなく、自公明は半ば容認したままである。

 

 

tasan様
政党の政策比較ver10






経済同好会新聞 第316号 「進歩的知識人の危険さ」

進歩的知識人の危険さ

進歩的知識人の危険さ

進歩的知識人の危険さ

自国を貶める人達、売国する人達

 岸田新政権により成長戦略会議は廃止されたが、この中には竹中平蔵パソナ会長がいたことは政治ウォッチャーはご存知だろう。野党第一党である立憲民主党は岸田総理に対し、民間議員達を出禁にする覚悟、構造改革である規制緩和や民営化の見直しを問い質す絶好の機会が訪れたことになる。新自由主義からの脱却は、政策工房界隈からの脱却も意味するところが大きい。また、郵便局の土曜配達が廃止されたことにつけ、郵政民営化の弊害が出ている。竹中平蔵氏や当時総理大臣であった小泉純一郎氏を証人喚問すべきだ。民営化の弊害は安定的供給を欠くところにある。それを大々的に主導して来た者達を一網打尽にすべきなのだ。
 国が規制をかけているところを規制緩和で民営化する向きは、大いに国民を扇動する工夫がなされている。どういうことか。不満を持つ国民に対して、それを煽ること。大衆扇動だ。「あいつばかり良い待遇でけしからん」という心理を引き出すことになる。実際に公共事業や公務員批判でこの数十年もの間、構造改革とセットで世論誘導を行ってきたのだ。国民から羨望と嫉妬を引き出すことで、自己利益最大化を目論む政商(国家戦略特区)と特定企業の懐が豊かになる寸法だ。進歩的知識人もこれを後押ししてきたことは言うまでもない。

 

自虐史観は戦前から続く

 我が国おける自虐史観は戦後GHQ支配においてよく語られるが、実は明治の改革(明治維新)でそれが既に起きていた。西洋文化の輸入、道徳観、社会観等が流入し、庶民よりも知識人らに混乱が起きていた。日本は封建的だ!という短絡の下、欧米に倣うことが近代化の象徴とする観念が固定化されていく。戦後はそれに輪をかけたということである。作家の福田恆存は「古いものは全て悪である」観念でもって、明治維新や太平洋戦争の戦後処理が行われたことに対して憂いていた。明治維新の当時にはGHQは存在せず、そうであっても自虐的だったのはやはり、古いものを悪とする知識人がいたからに他ならない。
 さて、このように見てみれば、新自由主義流入は容易かったに違いないのだ。明治維新の「西洋文化の輸入」は自国文化を古いと断じることで、そのような風潮を作り上げていた。相当に自虐的ではないか。GHQも戦後日本人の扱いに、別の意味で戸惑っただろう。それほど工作することもなく、なびいてくれるのだから。公用語を英語にする動きに然り、先人達が作り上げて来た尊敬の念が知識人、或いはビジネス屋に足りないことが透けて見えてくるのである。したがって、民営化だ!カジノだ!構造改革だ!という言説や政策を支持する人達というのは、明治維新の延長線上で起きている振る舞いとすることができる。加えて、自虐史観は左翼にも保守と呼ばれる層にも当てはまるのだ。大阪維新の会はこの典型的であり、自虐史観に訴えたものに他ならない。なんと言っても、竹中平蔵パソナ会長が絡んでいるのだ、当然のことだろう。自民党に然りである。
 昔の日本がダメだったと批判し、これを海外の何かに置き換えて満足する風潮は、新自由主義的改革を後押しすることになった。そのため、竹中氏が関係する政党は革新的極左であると断じたのである。
 自虐史観は劣等感の最たるものであり、それ故、政商に騙されるのだ。

 

 

ツェリ子様
政商一覧



経済同好会新聞 第315号 「憑りつかれた財政再建」

憑りつかれた財政再建

憑りつかれた財政再建

憑りつかれた財政再建

プライマリーバランスで偏る富

 一部を除く与野党の政治家に共通していることに、財政再建がある。これは当新聞で何度も出て来る言葉「プライマリーバランス黒字化目標」と密接に関わっている。改めて、プライマリーバランスとは。

 

 文教、医療・福祉、公共事業、外交・防衛などにかかる行政費用を、借金せずに、税収などの歳入だけでどの程度まかなえているかを示す指標。国の場合、国債などで調達した資金を除いた歳入(税収・税外収入)から、国債の元利払い費を除いた歳出を差し引いて計算する。つまり借金の影響を考慮せずに、単年度の収支均衡がとれているかどうかを示す。基礎的財政収支ともよばれる。

 

 プライマリーバランス黒字化目標とは、国民から税金を回収し、政府の債務(赤字)を減らすことを意味する。つまり、政府の支出額よりも税収額を増やすことで、政府を黒字化することを目標にするものだ。経済が停滞している時にこれをやると、所得が上がっていない国民にとって税負担が増えてしまう。我が国は管理通貨制であり、税を財源にする必要がないことは何度も述べてきた。したがって、プライマリーバランス自体が無意味であり、無暗に国民や企業を苦しめる元凶だ。
 新古典派経済学を是とする主流派経済学者や経済評論家は、プライマリーバランスが改善されないと実体経済や財政にどのような悪影響が出るか詳細に説明しない。否、出来ないのだ。数日前には財政の現状について、財務省の矢野財務次官殿のお言葉にはこうある。

 

 タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものだ

 

 この程度なのだ。「いつか隕石が落下して日本が沈没する!日本が!世界が!人類が!地球が!」レベルの妄言である。伝説のトレーダーと呼ばれる者に然り、とにかく誤りを認めない。財務省自体は外国格付け会社宛意見書要旨において次のように述べている。

 

 日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない

 

 つまり、財政破綻は考えられないとしているのだ。更に、なぜ「日・米など」としているかは、暗に我が国は米国同様の管理通貨制であること認めているからである。ただし、財務官僚の出世条件が財政規律で成果を出すところにあるため、タイタニック号を例に出しながらも、あたかも破綻するかのように誘導しながら、一方では「自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」とする矛盾を抱えてしまう。要するに二重基準である。

 

日本の恥部

 世界広しといえど、プライマリーバランスを問題視する国は何を隠そう我が国のみ。小泉政権時に竹中平蔵パソナ会長が提案し設置したものである。忘れてはいけないことは、高橋洋一氏が竹中氏にプライマリーバランスの話を持ち込んでいることだ。旧知の間柄のような両者は総括すべき対象である。  この期に及んで、財政再建とやたら主張する政治家は、政府債務の拡大で何が起きるか説明せよまさか、矢野財務次官のように抽象的な煽る言動に終始するのではあるまい。自分は緊縮財政派ではないとしながら、言動は緊縮財政になっている政治家は不勉強に過ぎる。
 財政再建に憑りつかれた政治家は、不幸な国民を生み出し続けている。