「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第318号 「小さな政府論の愚かさ」

小さな政府論の愚かさ

小さな政府論の愚かさ

小さな政府論の愚かさ

時流か?思想の退廃か?

 小泉・竹中構造改革以降、保守と言われていた人達は小さな政府論に流される現象が起きていた。この姿勢はとても保守とは言い難く、新自由主義に乗っかったにしろ、思想の退廃と見るべきではないだろうか。市場に任せる「市場原理主義」のような、なんでも民間に任せてしまおうとする思想に同意した時点で保守の肩書は外すべきである。なぜならば、自然災害や予測できないことが起きた場合、合理化を求める民間企業ではそれら危機に対して非常に脆弱だからだ。
 今すぐ来ない災害だと思っていても、災害は常に起き続けてきた。金融危機にしろ貿易にしろ、不確実さに対する民間企業は脆弱な存在である。小さな政府を思考した瞬間、守るべきことを蔑にすることと同義なのだ。政府が市場を支え、安定させるために公共政策をとることが不可欠である。かつての日本の姿だ
 驚くべきことは、社会主義的なものを批判するあまり、福祉に対して批判的なところだ。小さな政府論のデタラメさ加減は、重要な事柄から目を背けるところにある。大きすぎる政府や小さすぎる政府のどちらかを選ぶ発想からして、保守と呼ばれる者達の思想が退廃している証だ。「ええ塩梅」を思考することがなくなれば、安易な物の考え方に偏ってしまうのである。

 

政治の経営化

 デタラメと言えば地方分権の議論。中央集権か地方自立かの二者択一のような話も思想の退廃だ。このような議論は当然のことながら、利権が絡んでいるからに他ならない。そうとも知らず、誰かが地方分権だ!と言えばそれに飛びつくような稚拙さ。そもそも、この幼稚な二者択一を唱える者に異議申し立てすることが保守的態度のはずであるが、為政者からして扇動する始末である。各都道府県と政府はセットで考えなければ、政治が経営で成り立たないことは、大阪維新の吉村府知事と松井市長が既に証明済みだ。パソナ化に移行した末路は害悪でしかない。IRだのカジノだのと、政(まつりごと)と経営を混同した時点で、政治生命はないはずである。大阪を解体と言った愚か者が未だにメディアで影響を持っているところも、思想が退廃した何よりの証左だ。
 政商を抱え込んで来た自公明や、この度の岸田政権が成長戦略会議の代わりにメンバーに据えた、経団連等の面々は増税派であり法人税減税派だ。自公明与党は政治と経営を未だ混同したままである。
 新自由主義者はこのように合理的観点からモノを考えるため、積み重ねの重要さや継承については無頓着だ。これらは合理性ではなく守るべきものであって、儲けるためではない。「育み」は打算的であってはならないように、それはそのまま経営的であってはならないのである。小さな政府論者は至って合理的であり経営的なのだ。
 政府により規制がなければ、やがては傍若無人のような振る舞いをする者が必ず出て来る。儲けた先には、更なる儲けのために規制緩和を言い出すからだ。労働者もやむなく、非正規として低賃金で働くことを余儀なくされているではないか。政治はこれを防ぐために存在しているのであり、経営的な者を政治に関与させることは、国民生活の破壊を促すことを容認するものである。
 ヘンリー・フォード曰く「集まることで始まり、共に居続けることで進歩し、共に励むことで成功する」

 

 


高橋聡 | 進撃の庶民 どうして格差是正が必要なのか?格差の理由と是正の対策とは