「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第316号 「進歩的知識人の危険さ」

進歩的知識人の危険さ

進歩的知識人の危険さ

進歩的知識人の危険さ

自国を貶める人達、売国する人達

 岸田新政権により成長戦略会議は廃止されたが、この中には竹中平蔵パソナ会長がいたことは政治ウォッチャーはご存知だろう。野党第一党である立憲民主党は岸田総理に対し、民間議員達を出禁にする覚悟、構造改革である規制緩和や民営化の見直しを問い質す絶好の機会が訪れたことになる。新自由主義からの脱却は、政策工房界隈からの脱却も意味するところが大きい。また、郵便局の土曜配達が廃止されたことにつけ、郵政民営化の弊害が出ている。竹中平蔵氏や当時総理大臣であった小泉純一郎氏を証人喚問すべきだ。民営化の弊害は安定的供給を欠くところにある。それを大々的に主導して来た者達を一網打尽にすべきなのだ。
 国が規制をかけているところを規制緩和で民営化する向きは、大いに国民を扇動する工夫がなされている。どういうことか。不満を持つ国民に対して、それを煽ること。大衆扇動だ。「あいつばかり良い待遇でけしからん」という心理を引き出すことになる。実際に公共事業や公務員批判でこの数十年もの間、構造改革とセットで世論誘導を行ってきたのだ。国民から羨望と嫉妬を引き出すことで、自己利益最大化を目論む政商(国家戦略特区)と特定企業の懐が豊かになる寸法だ。進歩的知識人もこれを後押ししてきたことは言うまでもない。

 

自虐史観は戦前から続く

 我が国おける自虐史観は戦後GHQ支配においてよく語られるが、実は明治の改革(明治維新)でそれが既に起きていた。西洋文化の輸入、道徳観、社会観等が流入し、庶民よりも知識人らに混乱が起きていた。日本は封建的だ!という短絡の下、欧米に倣うことが近代化の象徴とする観念が固定化されていく。戦後はそれに輪をかけたということである。作家の福田恆存は「古いものは全て悪である」観念でもって、明治維新や太平洋戦争の戦後処理が行われたことに対して憂いていた。明治維新の当時にはGHQは存在せず、そうであっても自虐的だったのはやはり、古いものを悪とする知識人がいたからに他ならない。
 さて、このように見てみれば、新自由主義流入は容易かったに違いないのだ。明治維新の「西洋文化の輸入」は自国文化を古いと断じることで、そのような風潮を作り上げていた。相当に自虐的ではないか。GHQも戦後日本人の扱いに、別の意味で戸惑っただろう。それほど工作することもなく、なびいてくれるのだから。公用語を英語にする動きに然り、先人達が作り上げて来た尊敬の念が知識人、或いはビジネス屋に足りないことが透けて見えてくるのである。したがって、民営化だ!カジノだ!構造改革だ!という言説や政策を支持する人達というのは、明治維新の延長線上で起きている振る舞いとすることができる。加えて、自虐史観は左翼にも保守と呼ばれる層にも当てはまるのだ。大阪維新の会はこの典型的であり、自虐史観に訴えたものに他ならない。なんと言っても、竹中平蔵パソナ会長が絡んでいるのだ、当然のことだろう。自民党に然りである。
 昔の日本がダメだったと批判し、これを海外の何かに置き換えて満足する風潮は、新自由主義的改革を後押しすることになった。そのため、竹中氏が関係する政党は革新的極左であると断じたのである。
 自虐史観は劣等感の最たるものであり、それ故、政商に騙されるのだ。

 

 

ツェリ子様
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