俳句「無駄の削減」
それは本当に無駄なのか必要なことを無駄と言っていないか
人の心に余裕がなければ荒んでしまうように、四角四面でき っちりし過ぎるのも良くない。精密な機械はそれで良いが、人間には体力や集中力に限界があり、その時々の感情次第では乱れることもある。 無駄を削減することは一見良いことのように思えるが、そうすることで余裕を奪ってはいないかを考えてみる必要がある。
地震が多発する我が国では、耐震性の設計を余裕をもって多めに見積もっておかなければならないように、政治が緊縮財政等と余裕を奪うようなことをしていては本末転倒だ。無駄をそぎ落とすことは、そのまま人間の心理にネガティブな影響を与えることを知らねばならない。
維新の会は公務員バッシングと身を切る改革等と勇ましいが余裕を奪い続けている。大阪は給付金の手続きが全国でも最低レベルだったことは記憶に新しい。これは無駄を削減と言い、公務員数を削り、低賃金で非正規公務員に置き換えてきたからである。
俳句は大阪の現状をよく表しており、メディアで露出が高い大阪府知事や市長は、いかに舌先三寸であるかが現実が教えてくれている。
公務員の給与を削減することで支持率を集める手法は、経済の視点からは相当な悪手だ。給与の引き下げは、消費減退を後押しするため、デフレ下でやってはいけないのだ。平時であろうと、給与の引き下げはデフレに向かわせる行為であるため、無能か経済無知がやりたがるのである。
無駄の削減も竹中平蔵パソナ会長の十八番であり、金儲けのためにやりはじめるのだ。維新は竹中平蔵の会である。