「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第386号 「現実とは生き物である」

現実とは生き物である

現実とは生き物である

現実とは生き物である

マニュアル化された経済学

 人は様々な考えがあり、感情で動く生き物でもある。ニーチェ曰く、

 

 人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。思うに、感情は気まぐれだからである。

 

 経済学の教科書を参照しながら、人々の動きがおかしい!間違っている!教科書に書かれてある通りにならない人々はダメだ!と、このようなことを言う人がいたらどう思うだろう。ニーチェが示唆したように、人間の感情は気まぐれであって、不確実に満ちている。これが現実というものだ。これを否定していては、学問は成立しない。故に、経済学はマニュアル化したものを現実に当てはめるのではなく、マニュアルが現実と乖離しているならば、マニュアルを改めていくのが科学的な態度であり学問というものだろう。
 以前も記事にしたが、グローバル化市場原理主義も同様に、我が国はこれらで格差が拡大し続けている。間違えたマニュアルに沿って現実の方をマニュアルに合わせさせようとすると、当然のことながら無理が出る。この数十年がずっとそうなのだ。上手くいっていた日本経済を構造改革でダメにしたのだ。これは例えるなら、他人様の家にずかずか土足で上がりこんで、あれこれ指図して他人様の家庭を破壊するようなものである。これらはワーキングプア、貧困、格差拡大、地方衰退、各種インフラの弱体化として表れている。科学や教育も凋落したままだ。構造改革によって得られたもの、否、失われたものの方が圧倒的に大きい。まさに、「失われた数十年」の姿なのだ。
 市場競争を促すために官僚叩きや公務員叩きも行われ、官民一体の産業政策は衰退していった。規制緩和はこのようにして世論を味方につけることで、官から民へという風潮になっていった。今でもそうであるが、維新の会が顕著だ。当然である、維新の会の公約を書いたのは竹中平蔵氏なのだから。

 

構造改革の問題

 ケインズは先進国経済は長期的に不況になっていくと予想し、それを補うために政府が赤字を出して消費を伸ばす必要があると言っていた。しかし、市場原理主義とは相いれるものではなく、この考え方は次第に消えていった。これの意味するところは、構造改革で生産能力を高めろという話になる。この数十年の我が国を見れば分かるが、構造改革で需要は伸びていない。むしろ、産業の空洞化や多くの分野が凋落したのだ。ケインズが言った政府の赤字で消費を伸ばすような政策、これを我が国は取ろうとしないため、構造改革一辺倒になってしまう。ダメな政策は何度やってもダメなのだ。論理で言えば、前提が破綻していると結果も当然破綻する。
 構造改革の大きな問題は、市場競争で企業の利益が落ち、次第にコストを削減するしかなくなったこと。以前から幾度も取り上げているが、コストには労働者の賃金が含まれている。非正規雇用が重宝される原因だ。移民受け入れもその延長であり、低賃金労働者がいないと成り立たない構造に変えられたのだ。これに加えて、税制も改革されたこともあって、ますます国民生活の質も下げて行かざるを得なくなったのだから、いい加減に市場原理主義から脱却せねばならない。グローバリズムも市場競争を促すものであり、こんな幼稚なことはやめるべきだ。

 

 


 

太田伸二様
「質」の低下