「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第323号 「不可思議な財政論①」

不可思議な財政論①

不可思議な財政論①

不可思議な財政論①

放漫財政で経済停滞の不思議

 前号までの連載では、我が国は管理通貨制度であって家計と財政は異なることを述べてきた。今でこそ幾ばくかの政治家は理解しているが、一般人も含めれば十数年前とは比較にならないほど増えた。
 我々の家計と国家財政を同じものとして考える癖は、ある意味ではそのように教えられてきたためやむを得ないところがある。これは大昔の人々が現代の生活環境を理解できないことと等しく、現世代に生きる我々にとっては、至って普通のことだ。管理通貨制度が常識として認識されるまでの間、その過程には財政破綻論や、いわゆる国の借金のような概念との綱引きは続くのであろう。
 さて、財政破綻論と等しくする議論が放漫財政。経済学を嗜んだ者であれば、放漫財政はインフレとして統計に表れることを知っている。ところが、この数十年でインフレは低い水準と停滞を示している。これの意味するところは、決して放漫財政ではないということだ。過剰なインフレは過剰な物価上昇になることを考えれば、放漫財政の根拠になるだろう。しかし、この数十年内で全くそのような現象は起きていない。したがって、放漫財政とするには相当無理がある。政府支出の積み重ねだけを見て放漫財政と断じ、それが財政破綻につながる理屈を展開しているのだ。ここで思い出したいのは、我が国は管理通貨制度であること。この観点からは、何が真実であるか惑わされずに見えてくるのだ。

 

要点は何か

 我が国は管理通貨制度であるところ。故に、財政を均衡させる必要はない。要(かなめ)は国民経済であり、経済のバランスを取ることに重きを置くことだ。財政のバランスではない。
 こども食堂が全国に数千か所もあり、非正規労働者が多くいる我が国おいて、放漫財政であることは決してないのである。財政のバランスを取ろうとするあまり、経済のバランスが著しく崩れてしまったのだ。そう、貧困格差拡大である。この本末転倒ぶりは糺さねばならない。 前提の誤りは結果として、必ず現実に反映される。財政健全化と言いながら衰退してしまった事実を直視せず、人口が減少したからだと居直っていては、「衰退が原因で人口が減少した事実」からは遠ざかる。衰退の原因に消費税増税や、法人税減税が要因になっていることも指摘しておかねばならないだろう。(参考・当新聞第279号)。
 経済をバランスさせるには、税制改革によって改悪された税制を元に戻すこと。雇用面は構造改革によって改悪された労働者派遣法を昭和のように 戻すことだ。
 さて、雇用については失業率が以前と比較して下がったと言う人達もいるが、低賃金で働く人達が増えたことには言及しない。例えば、大学や大学院を卒業しても、アルバイトや非正規で労働をしている等、潜在的な生産能力を引き出せない環境になっている。これは先ほど述べた構造改革による人災だ。決して努力不足からではない。驚くべきことに、これらを総じて自己責任で片付ける人達がいるところ。 財政政策で出来ることは非常に多く、それをして来なかったツケは、まんまと改革者らに政治を明け渡してしまった。このような状況が維持されれば、必ず誰かが低賃金で働くことになる。つまり、放漫財政ではなく、支出が少ないからに他ならない。

(次号につづく)

 

 


 

山本太郎
自民党よりも、より悪質なのが維新