「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第348号 「右も左も亡国に寄与す」

右も左も亡国に寄与す

右も左も亡国に寄与す

右も左も亡国に寄与す

無自覚な新自由主義思想

 当新聞では幾度か新自由主義について触れているが、当新聞第314号で述べたものを見てみよう。


 「歴史が示すところでは、社会主義自由主義が行ったり来たりしていること。伝統的保守は社会主義的であった期間は長かったが、その後には自由主義が押し寄せる形だ。二十世紀後半では、ソ連の偏った社会主義自由主義を脅かし、保守派が自由主義に寄っていったことからも理解できよう。ところが後の祭り。次は偏った新自由主義で各国に弊害をもたらしてしまった。我が国もこのあり様だ。」


 冷戦終結後の振る舞いは、右派は共産化を防ぐためには市場経済を守らなければならないとする立場。左派は護送船団方式のような国民への利益調整は、戦時体制に由来するものとし、国家の介入を良しとしない。したがって、右も左も市場経済を容認する立場だ。
 このような思考の仕方が市場原理主義という社会構造、すなわち、新自由主義の台頭を自ら引き起こしてしまった。右も左も市場経済を容認する姿勢が、決定打のある新自由主義への批判を出来なくしている。このような本末転倒が政治の腐敗を生みだし、結果的に加担しているのだ。つまり、貧困・格差拡大が止まらない原因である市場原理主義的政策、これを止められないのである。右派・左派新聞、どちらも「国の借金」のデマを垂れ流しているではないか。

 

右も左も無自覚な新自由主義

 米国は新自由主義の思想が強い国家であるが、我が国の右派や自称保守はその米国に追随する立場。つまり、新自由主義に対する批判に甘くなるのは必然なのである。左派は国債発行で費用を調達してきた戦争を懸念し、平和主義的な言動になる。左派は本来、福祉政策の強化や弱者救済をうたうはずであるが、政府の赤字を許さないため、緊縮財政と親和性が高い。この両者が発信する言論を浴びる日本国民の不幸は、「地獄への道は善意で舗装されている」となるのである。
 このような思想がある限り、財務省の均衡財政とも当然親和性が出て来る。なぜか。右派の防衛力強化、左派の福祉政策、この両者はお互いに予算のトレードオフ(予算の付け替え)に貢献しているではないか。そっちの予算は削ってこっちに出せ!をお互いに繰り返す様は、まるで財務官僚のようだ。
 本来、世界の情勢と国家全体を見れば、「予算は両方に出せ!」と言わなければならない。これが出来ない両者は、新自由主義的であり、国家のインフラ等はどうでも良いのだろう。国家観なき者が政治的発言で影響力を持つと、国民が不幸になるのは自明である。
 我が国の没落は、管理通貨制度であることを知らないこと、新自由主義的思想によって個人主義が跋扈するところ。かつての我が国は、利害関係を調整することに腐心してきた。国家の体を成していたのだ。現代は頭だけは良くなり、全体的なこと、個人的なことの両者を考えることを放棄している状態だ。個人主義的な考えは構造改革者達に上手く利用され、生きながらえ続けている。国家に異常を来そうと腐敗しようとだ。このような馬鹿げたことを馬鹿げていると思えないほど、教育の水準は低下した。これにはトップダウンの弊害も含まれる。国民の負担が増えるのも必然だ。

 

 

 

sorata31
財政リフレ派とMMTerの政策の違い


 

舞小海様
身を斬られる大阪府

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