「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第392号 「文化の毀損は国家の没落」

文化の毀損は国家の没落

文化の毀損は国家の没落

文化の毀損は国家の没落

修正資本主義の道を閉ざされた理由

 他の記事でも述べてきたが、我が国が修正資本主義の道を歩んでおり、日本型経営システムによってジャパン・アズ・ナンバーワンというくすぐったくも名誉な評価をいただいていた。米国が我が国の強みを研究した際に、日本型経営システムは日本文化によって支えられていると分析したのである。つまり、米国がグローバリズム戦略において産業が空洞化し日本の製造業に追い抜かれ焦った挙句、圧力をかけてその力を弱めようと画策したのが日米構造協議なのだ。当時は日本文化に支えられている日本型経営システムを崩すことは困難だと米国は認識していたが、「ルール化」によって崩していくことにした。それが構造改革である。
 日米構造協議の中身といえば、非常に狡猾な内容だ。日本経済の障害を取り除くという名目の下、米国が主導して障害を取り除くという「善意」が見て取れる。ところが、その善意は建前上の話であり、本音は日本型経営システムを他のシステムに米国主導で変更することだ。それを率先して長期に渡って実践してきたのが小泉・竹中政権である。
 日本型経営システムが万全であるかはどうかは時代によって変わってくるため、修正していけば良かった。ところが、針小棒大に制度疲労が起きている所を突いてきたのが公共事業叩きだ。これによって予算が削減され、倒産した土木建設業が多く出たのである。災害が起きれば復旧が早く済んだりしたのは彼らの貢献が非常に大きい。除雪作業も当番制でみんなが寝ている時にやってくれていたのだ。地域に大きな貢献をしていたことは取り上げられず、昼のテレビでは飽きもせず連日のように公務員も含めて叩いていたと言う。


 
構造改革をやめよ

 修正資本主義としての日本型経営システムを米国型に変更し、それからというものの経済は長期停滞に入った。現在進行形で。
 昔の日本といえば文化的な側面としては、信頼関係や組織力にあった。同業他社から仕事を無理矢理奪おうとしない知恵もあり、繁忙期には仕事を受注しても下請けとして同業他社に仕 事を与え合うこともやったのだ。従業員が病気になり長期に休んでも、給与を支払い続けた社長もいた。従業員にも家族がいることを慮る気持ちがあったからだろう。取引先企業との信頼関係も蔑にしない、これも日本文化によって培われたものだ。金勘定だけで仕事をしない、「損をして得を取れ」というようなやり方も文化的背景によるものだろう。
 ところで、日本型経営システムに全く無駄がなかったかと言えばそうではないが、ロボットのように完璧に出来る国々は皆無である。針小棒大に欠点をあげつらって弱体化した我が国は、自滅願望でもあるのではないか。加えて、現在いわれている「無駄の削減」というのは、その無駄は本当に無駄だったのか、何をモノサシにして無駄だと断じるのか議論すべきではないか。無駄と思われることは往々にして余裕の裏返しであることが判明したりするのだから。
 余裕がある時は無駄に見えても、閉塞感がなかなか払拭されない時というのは余裕がないからであって、その余裕のなさはどこから生じたかを振り返る作業が我が国は極めて弱い。それ故、中抜きを許し続ける政治腐敗が起き、所得が上がらない事態が数十年単位で起こる。構造改革で衰退したのだから、構造改革をやめればいい。