「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第393号 「忘れ去られる信頼関係」

 

忘れ去れる信頼関係

忘れ去れる信頼関係

忘れ去られる信頼関係

お金に振り回される国民

 我が国の政治は長期停滞を数十年単位でやらかしていようと、その原因を追究することなく構造改革という言葉に逃げている。原因を追究したならば、構造改革がそのものが問題であることが判明するからだ。嘘をつくとそれを隠すために更なる嘘をついて行くように、構造改革という根本に問題のある政策を続ければ、更なる問題が出てくるのは自明の理である。彼らは言う、

 

 問題が出るのは構造改革が足りないからだ!もっと構造改革を!民営化を!

 

 嘘つきはもっともらしいことを言うのと同じく、彼らは構造改革という過ちを絶対に認めない。現実は格差拡大と貧困化が進んだのであり、この上で構造改革を進めたところで格差の酷い米国になるだけだ。我が国の場合はこれに加えて「中抜き」と政治とパイプのある企業の優遇、更に税制の改悪や非正規雇用の問題もある。政府の支出も税収が望める公共事業の予算を減らすことも相まっており、インフラもボロボロだ。このような政策に将来の展望があるはずもない。悪化する一途である。特に国民全体の所得が上がることはないだろう。
 以前も述べた通り、社会と経済はきちんと区別すべきだ。どのような社会にしたいかを明確にし、そこに経済(金儲け)の要素を含ませるべきではない。社会がスムーズに回転しはじめると経済も回転するのだから。何事も金勘定や採算で物事を量るようになると、大学や公園が「ビジネス化」する発想になる。これがどれほど馬鹿げて危険な思想であるか。
 社会と経済を循環させたいのならば、国民のパフォーマンスを上げることこそ政治の役割だろう。強制的な税金の徴収は「太陽と北風」の物語で言うところの北風だ。自然に税収が増える政策は太陽。どちらが国家にとって良いかは論ずるまでもないだろう。

 

グローバル化と国民生活

 経済と社会は区別すべきと述べたが、グローバル化は経済のビジネスに深く関わってくるため、これも区別すべきだ。まず、「商品化」できないものがあることを知らなけばならない。民営化がそうであるが、民営化は経済的な営みであって社会とは相性が悪い。例えば、教育や科学は「育む」ことが大前提であるため、民営化してはならない。医療介護分野も本来は商品化してはならず、派遣企業の労働の商品化もすべきではない。他には水道、電気や交通インフラのような安定さが求められる分野がそうだ。これらがグローバル化で開放されてしまえば、不安定化を招いてしまう。事例としては欧州の水道民営化で大きな問題が起きてきた。更に、国内産業や文化が消滅する危機にもなりかねない。
 経済と社会を混同する資本主義は害悪でしかなく、それ故に我が国は資本主義を修正しながらコツコツと歩んできたのだ。それを本格的に破壊したのが小泉政権の時であり、竹中平蔵氏が旗を振っていた聖域なき構造改革である。国民の社会生活を犠牲にしながらビジネスに誘導する構造改革者は非常に危険であると認識しなけば、土台である社会をシロアリの如き食いつくし、崩壊させるであろう。グローバル化や社会基盤の民営化は何かあれば脆い。コロナ到来と戦争で身に沁みているはずだ。