「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第443号 「消費税は廃止せよ」

消費税は廃止せよ

消費税は廃止せよ

消費税は廃止せよ

人が人らしく生きるためには

 何度も述べて来たことだが、人間は十人十色、得手不得手がある。就職先で器用に働ける人もいれば、その職種に向かない人もいる。起業に向いている人も向かない人もおり、とすれば、全ての国民に生活の安定が土台にあると、失業の心配や起業に失敗しても必然的に救われる社会が構築されている方が良い。
 景気はなま物のように変動するため、所得が低いだとか困窮している人達はすぐに詰んでしまう。そこへ来て消費税という応能負担の原則を無視した税制は、あきらかに救済措置からは遠ざかる。むしろ、追い詰めてしまう税制だ。したがって、消費税を安定財源だとする議論は狂気そのものである。インボイス制度にしろ、根本の原因は消費税にあるのだから、消費税が存在する限り振り回されてしまう。
 消費税は物価高騰にも税率分乗っかるため、これだけ不便でリスクの高い税制はない。繰り返すが、消費税を安定財源だとする政治家、官僚や評論家等がいれば、経済の知見以前に「社会全般の応能負担」を理解していない愚か者という他はない。知識だけが先行し、情が失われることを懸念していた渋沢栄一はどのように言っていたか。曰く、

 

 しかし智ばかりで活動ができるかというに、決してそういうものではない。そこに「情」というものを巧みに安排しなければ、智の能力をして、充分に発揮せしむることができないのである。例を挙げて説明すれば、いたずらに智ばかり勝って情愛の薄い人間は、どんなものであろうか。自己の利益を図らんとするためには、他人を突き飛ばしても、蹴倒(けたお)しても一向頓着しない。由来智恵が充分に働く人は、何事に対しても一見してその原因結果の理を明らかに知ることができ、事物の見透かしがつくのであるが、かかる人物にして、もし情愛が無かったらたまったものではない。

 

 消費税の存在を政治家や知識人たちが必要だから支持している国民がいるとすれば、それは智に求めていることになる。我が国がグローバリズムに呑まれ、それを先導してきたのは政治家や知識人だ。構造改革に然り。日本を衰退させてきたことの責任を取らず、負担は全て国民に押し付けられる。このような冷酷で血の通わない政策を提言したり実行できるのは、人を人として真っ直ぐに見ていないからだ。人々の痛みや境遇、困窮する当事者のことに思いを馳せることも出来ない者が為政者やリーダーになってはたまったものではない。

 

搾取構造

 以前も述べているが、消費税を安定財源とすること、イコール安定的な搾取が可能を意味する。景気が変動することが分かっていながら、強制的に徴収するのだから。 消費に課税したところで購買力が上がるわけでなく、企業も生産が増えることはない。むしろ、需要の奪い合いが起こるだけで、コスト(労働賃金)が削られて良いことは全くない。コスト削減も搾取の一形態であり、政府が税制によって合法的に推進しているようなものだ。こんなイカレた政治をやっている限り、日本経済は浮上することはないだろう。もうやがて三十年も停滞しているのだから。これほど異常で改善が見られない先進国もないだろう。
 搾取構造を糺さなければ、現世代も将来世代も救われることはない。

 

 


ツェリ子様
経費と利益の関係