目先しか見ない政治
大切なものを忘れた国家
例えば、体力を奪われている人は力が出ず、回復すると力が発揮しやすくなる。この至極当然のことをやらないのが我が国だ。どういうことか。度重なる増税と物価高で疲弊しているところに、更に増税で負担を強いようとする。本来は負担を減らすことで回復させるところ、この国の政府は負担を増やすことばかりしてくるのだ。こうなると体力を奪われた人は病気になり、すぐに処置していれば早く回復したものを。これを分からず政治をやるものだから、支出すれば増税という発想になるのだ。この根底にあるのは、自分は安全地帯にいながら、他者には負担を強いても平気な精神性。本気で国民を国家を守ろうとしていないことが透けて見えているではないか。
国民社会の安定を目指せば自ずと税収は増え、災害や外国要因等で時には減るだろう。均衡することもある。これは全て結果論だ。まずはやるべきことをやるのが政治だ。財政規律を目的にしては国家が傾く。既に三十年あまり日本経済は停滞しているではないか。これに加え、ワーキングプアが解消されないため、こどもの貧困も解消されない。OECD(経済協力開発機構)によると、我が国のこどもの貧困率は12番目。アメリカは5番目。日本は不自由なく暮らせるから政府を批判してる奴は文句ばかりだ。とする者もいるが、見聞は広めた方がいい。不自由に暮らしている国民は、7人に1人の割合になる。怖いのは、貧困を恥ずかしいと思って誰にも言わず隠している人達がいること。努力不足だ、自己責任だとする風潮がそうさせており、ますます委縮して誰にも話さなくなる。これによって自死を選択するまで追い込まれるのだから、個人レベルの問題に見えても、社会問題として解決しなければならない。
重い負担
労働凄惨性
という精神的にも体力的にもやられる負担もある。いわゆるブラック企業がそうであるが、教師、看護師や官僚に至るまで、精神も体力も酷使される現場もあるのだ。少数で回している現場もそうなりやすい。一人でこなす量が半端ないのだ。その上で低賃金であればどうなるか。政治家は転職してその酷さを経験してみてはいかがか。