経済の停滞は政治問題
自分さえ良ければそれで良い精神
実質賃金が上がらない日本経済だが、三十年あまり停滞している。ワーキングプア問題は解決なされないまま、ずるずると現在に至る。こども食堂は増加し、庶民が支援している現状だ。政府は何をしている。
アベノミクスは成功したとする言説もあり、さざ波発言で炎上した高橋洋一氏は雇用の確保を達成させたと擁護しているがそれは詭弁だ。なぜならば、ワーキングプア問題は解消されていない現実があるからだ。雇用が増えた先が低賃金労働では、生活の苦しさが解決されたわけではない。アンドレ・ジッド曰く、
貧困は、人間から奴隷を作り出す。食べるために彼は、何の喜びも感じられない仕事を受け入れるのである。
非常に頭を悩まされるのは、仕事の選り好みさえしなければ仕事はあるという言説。確かにそうだ。しかし、その仕事にありつけた先が低賃金という問題にはなぜか向き合っていない。これを指摘すれば、努力不足だとして切り捨てる。問題の根本がどこにあるのか言わないのだ。この根本を知る事にこそ努力が必要であって、これを棚上げする者が他者に努力不足とはこらまた。
更に、以前も指摘しているが最低賃金問題(当新聞第417号)。最低賃金を微増させるよりは、年収が高くなっていく方が良いのである。かつての日本はそうだったのだ。これを達成させていたのは自民党であり、これを破壊したのも自民党。そうして経済は停滞するようになった。未だに。
つづく冬の時代
雇用確保の建前で低賃金労働(ワーキングプア)が前提になると、その中で一部の者が中間層になったとしても、他の誰かが新たにワーキングプアになることは避けねばならない。これでは椅子取りゲームだ。まず考えてほしいのは、日本経済は三十年あまり停滞していること。中間層も没落傾向にある。つまり、個人レベルの問題ではなく社会問題。したがって政治の問題なのだ。
国家として考えるなら、国民生活の安定と安全は大前提になる。この安定と安全は所得のみならず、生活インフラや防災が安定的かつ永続的であることが求められる。環境に配慮することで、生物の多様性も確保することもしていかねばならない。そうなれば必然と公の仕事も管理も増える科学や研究も重要になることは論をまたないだろう。正規雇用として人材を確保し、ノウハウも教えていく必要があり、阿呆のように人材派遣等とやっていると育つものも育たない。雇用の流動化にしても、育てる観点がなければ技術の継承は難しくなる。当たり前の話だ。
政治がおかしいと労働者は冬の時代から抜け出せない。これを日銀のせいにしても意味がない。ケインズ曰く、
紐は押せない
日銀は税制を変えられないし、構造改革にも関われない。誰が税制と構造を改悪して経済を停滞させたかは、当たり前のことだが時の政権しかいない。加えて、政商共に中抜きさせられるのは時の政権以外にない。これは厳然たる事実だ。その一方で、国民の悲鳴を聞かず、増税やら移民やら外国支援やらと自国民を蔑にする。我が国の政府は家族にDVをやって外面だけは善人のそれだ。