経済同好会新聞 第220号 「財政赤字は問題でない」
財政赤字は問題でない
重症 貧困化政策を続ける政府
市場の中で循環するお金は、元々は政府が支出してきたことで生まれた。
図のように、政府支出は政府の赤字を意味するが、支出したお金は市場に同額分の黒字をもたらす。政府の赤字は民間部門の黒字ということだ。
そして、政府は消費税等の税金を徴収すると、民間部門は徴収された分赤字になる。市場からお金がそれ相当分がなくなるのだ。政府が支出した分を徴税してしまうと、プラスマイナスゼロになってしまうため、経済は発展しない。
もし、現在快適に暮らしているという人であれば、それは生活インフラ、防災インフラ、教育や科学の恩恵だろう。これらは、過去から政府が支出してきた上で成り立っており、官民が一体となって国家を作り上げてきた賜物だ。
戦後は悲惨な状況から、ここまで近代化させたのは言うまでもなく、過去の官民のおかげである。インフラ等は過去からの積み重ねによって現在私達が不自由なく使っていられる。つまり、政府赤字が増えるのは過去からの積み上げであり、その維持管理や発展に寄与をしているからである。教育、科学、文化や安全もそうだ。ところが、緊縮財政は予算の削減や付け替え、徴税が目的になっているために弊害が多く出ている。
まず、地方の衰退、インフラの経年劣化の放置やハード面での防災を軽視し、洪水の被害を招いていること。教育や科学の凋落。国防も隣国にやられたい放題。自衛隊員の待遇も劣悪だ。ワーキングプアの増加に格差拡大。いびつな税制や無秩序な規制緩和等。
政府予算を減らせばこうなると、この数十年で証明したのだ。それでもなお、財政赤字は悪であると言うのであれば、日本の没落は必至である。
政府支出(財政赤字)は増えなければ、全国民の快適な生活、安全、教育や科学を担保できなくなるのだ。このコロナ禍でさえも財政赤字を気にして企業への売上げ補償もしなければ、消費税の減税(廃止)もしない。
医療従事者の困窮、企業倒産、廃業や自殺者の増加は、財政赤字を悪と見做しているからだ。
#意外にこれ知られてないんですけど
— tasan@所得倍増計画をもう一度 (@tasan_121) March 20, 2021
日本はこの20年で世界一お金を出さない国家で、その結果、世界一のデフレを達成し、戦後からずっとエンゲル係数(食費の割合)が改善して、食べる以外にお金が使えるようになってきたのが、消費税で生活水準が30年後退し、婚姻率も100年で最悪なのです🙀 pic.twitter.com/qXg8PwNnVl
経済同好会新聞 第219号 「下がる国民所得」
下がる国民所得
梯子を外し続けられる国民
有事でも悠長に構える口先だけの政権、コロナ流入から1年経とうと企業への補償だけは絶対にしない。
コロナ封じ込めも国民任せ、一律給付金は一度きり。驚くべきところは、未だに弱者を自己責任扱いにしているところだ。
実質賃金の下落を見れば分かる通り、いくらなんでも国民の努力不足でここまで落ち込むわけがない。歴代政権の経済政策や構造改革で誤った社会にしてしまったことが原因だ。
竹中平蔵パソナ会長が小泉政権時にプライマリーバランス黒字化目標を設定したためか、東日本大震災が起きた翌年からでも、政府は支出を減らしてきたのだ。
十年経った被災地は未だ復興しておらず、オリンピックの聖火リレーも双葉町では駅前をぐるぐる回り、荒廃しているところは撮影させない姑息なやり方で復興五輪アピール。
日本はコロナという有事を抱え、消費税やその他課税でも国民に大きな負担を強いている。災害復興どころか、被災していない地方も衰退の一途だ。コロナ前から出生数は激減し、実質賃金もご覧の通り。実質消費に然り最悪だ。
なぜ、不祥事を起こした政治家が辞職せず居座り、国民を貧困化させた政治家や竹中平蔵のような政商、土居丈朗氏をはじめとする経済学者は責任を問われないのだ。彼らは現世代に多大なるツケを払わせ、将来生まれてくるはずだった生命誕生の機会を奪い、国家を衰退させているというのに。
経済同好会新聞 第218号 「著しい生活水準の低下」
著しい生活水準の低下
妥協に次ぐ妥協、国民は怒るべし
エンゲル係数とは
家計の消費支出総額中に占める食料費の割合。一般に、この係数が高いほど生活水準が低いとされる。
グラフはエンゲル係数の推移だ。現在の水準は36年前と同等であることが分かる。ではなぜ、国民の生活水準がここまで低くなったのだろうか。それは、政府がお金(支出)をケチるようになったからだ。
事実、実質賃金も大幅に下落しており、貧困化している事実がある。当新聞でもお馴染みの言葉、緊縮財政や構造改革が原因だ。
グラフに記載の小泉政権時に行った平成の大合併からエンゲル係数が今日に至るまで上昇を続けている。竹中平蔵パソナ会長は、小泉内閣で改革の旗を振ってきたが、派遣の規制を緩和したのも彼である。そのため、非正規雇用者が増加していき、貧困の道筋を作ってしまったと言っても過言ではない。
エンゲル係数の上昇は、竹中平蔵パソナ会長が原因の一つだ。もう一つは緊縮財政。これは財務省のプライマリーバランス黒字化目標がそうさせている。このプライマリーバランスも小泉政権時に竹中氏が設置させたものだ。つまり、小泉政権時から今日まで、経済政策を誤り続けているということである。学習しないのだ。
消費税は消費を抑制する
グラフには消費税率が5、8、10%が示されている。そこを見ても分かるように、5%時は少し上昇したが2年過ぎてから下がっている。ところが、8%時と10%時には急上昇している。
エンゲル係数が高いということは、生活水準が低いとある通り、実は貧困化の裏返しなのだ。出生率が激減し、婚姻率はこの百年で最悪。コロナが到来する前から、日本の状況は酷かったのだ。 驚くべきことに、東北大震災時に復興増税を設け、被災者からも徴収していたり、このコロナ禍にあっても増税論が経済学者から出ている。生活困窮者が出ていたり、企業も追い込まれて行く中でだ。
我が国の病理は、財政規律のためなら国民が犠牲になっても、増税はやむを得ないと思っているところ。しかし、財政規律は日本には必要ないことはこれまで何度も繰り返し当新聞に書いてきた通りだ。つまり、我々国民は意味もなく毀損され、無駄に国家衰退を招いているのだ。
経済同好会新聞 第217号 「米国 圧倒的な経済政策」
米国 圧倒的な経済政策
学ばない日本の経済学者、政治家
現実を見ることの出来ない主流派経済学者。財政赤字を気にするあまり、国民から税を徴収することに重きを置くようになってしまった。弱い部分は補強する、弱者は救う、これは原則的に正しいと思うだろう。ところが、企業を淘汰したり、給付をためらったりしている日本政府は明らかに不自然だ。一部経済学者からして増税を言い出していることからも、彼らは現実を見ていない証左ではないか。
アメリカでは主流派経済学者であるクルーグマンは必要なだけ財政支出を行うとサマーズに対して言い切っており、この経済学者である両者は財政赤字を気にするようなことは言っていない。一方で日本の主流派経済学者である吉川洋氏や土居丈朗氏等はどうなのか。彼らはやはり財政赤字を気にしており、増税論も彼らから出ている。
財政赤字の懸念は金利が上昇することや、過度なインフレに対するものだが、日本の金利はアメリカと比較しても驚くほど低い。アメリカでは救済策に加え、日本の財務省が過度に嫌う長期的な公共投資をやろうとしている。その規模200兆円だったものに加え、326兆円を追加で支出することを検討している。
アメリカは知っている
日本経済と政府支出の規模を見れば、アメリカは俄然、アメリカにおける財政拡大の余地が相当あることを理解しているだろう。残念なことに、日本はこの数十年で結果的に経済学の実験場のような役割を果たしてしまった。
政府支出を抑えればインフレは抑制されインフレ退治になる。そして、経済は停滞する。加えて、金利が 上昇しないことも観測されている。
増税すればデフレ化し、その穴埋めのために財政出動する。結局は停滞とデフレが繰り返されるのだ。その間には企業倒産やリストラが起きていたことを忘れてはならない。これは、実体経済やそれに付随する毀損、各分野の衰退は供給力の破壊に他ならない。特に継承が必要な分野の破壊はそう簡単に回復しない。これは肝に銘じるべきだ。
アメリカの経済学者は、日本のこの実験結果は大いに参考になっているに違いない。主流派の理屈にしたがえば、日本のようになるということを。
税制の見直しと積極財政を
世界50か国ほどの国 々は、コロナ到来により既に減税をしている。救済策だ。日本は一切の減税をしてもいなければ、中小企業再編(M&A)には支出する額は多く、コロナ対策には少ない。本来は減税と補償で救済していなければならないのだ。
仮にこの恐慌を積極財政で乗り切ったとして、また増税や緊縮財政に戻れば、リーマンショック級に近い下落になる可能性が極めて高い。
アメリカが長期的な公共投資をする理由は、労働者の雇用もさることながら、需要の刺激と供給を満たすことで過剰インフレを防ぐ狙いがあると思われる。これは経済成長している時の状態で、需要と供給が追いかけっこしている状態になる。そして、長期計画を立てることでコロナが収束した後の落ち込みを回避する。企業にとっての安心材料だ。 日本は消費税や株主優遇がネックになっており需要を刺激することは難しい。税制の異常さだ。安心材料がないのだ。
経済同好会新聞 第216号 「倒錯した経済学」
倒錯した経済学
非論理的 主流派経済学の限界
日本の経済学の主流として、「生産物は常に生産物と交換される」としたセイの法則がある。これは論理的に正しいかどうかは、経済学を知らない一般人でも首をかしげるのではないだろうか。
主流派経済学を学んだ人の中でもこの議論を避けるようになりつつあるが、まだ盲信している人達の間ではこのように言われているのことご存知だろうか。
「供給はそれ自らの需要を生み出す」
例えば、あなたが物を100個作り市場に出せば、それが100個売れるという考え方だ。この考え方は物々交換説から発展したものではあるが、物を売ったことのある人はそんなわけあるかと即座に否定するだろう。しかし、学問の中に閉じこもってしまうと、このような倒錯が起きてしまうのだ。
この倒錯を経済学者のダドリー・ディラードは、「物々交換幻想」と言い批判している。現実を厳密に観察しなくとも、セイの法則が起きていないことはある程度の常識を備えていれば分かるだろう。
物々交換幻想
物々交換は例えば、モノAとモノBを交換することだが、交換した時点で取引は成立し終了する。セイの法則にしたがえば、物と物の媒介であるお金は交換した時点で相殺されて消えることになる。現実ではそんなことは起きていないし有り得ない。先述したがセイは「生産物は常に生産物と交換される」と言っていたのだ。
供給すれば物が常に売れるという前提のため、市場に委ねれば需給は均衡すると考えられているのだ。これを後に、経済学者であるレオン・ワルラスが「一般均衡理論」として定式化した。一般経済やマクロ経済をこれで説明しているのが、今日の経済学であり主流になっている。
前提の誤りが 日本を悲劇に
セイの法則が発展し、ワルラスの一般均衡理論を更に発展させたものに、実物的景気循環モデル(RBCモデル)、動学的確率的一般均衡モデル(DSGEモデル)がある。世の中に起こることのすべては、個人の合理的選択の結果だという強引なこじつけ前提で、マクロ経済を数学を用いながら構築したモデルだ。
彼らは大前提を誤っているため、導き出すものは当然誤りである。相当無理があるのだ。経済学者からも批判が出ているが、経済学界以外の分野からも批判が出ている。
現実を見れば、物の取引やサービスは信用関係で成り立っており、時には約束が不手際や災難で履行されないこともあるだろう。不確実性だ。
彼らはこの不確実性を加味しない、否、加味できないために、仮想的な確実性をモデルにしている。当然のことながら、こんなものをモデルとするのは、人間や自然を舐めているとしか言いようがないではないか。
このような人達が増税しろと言っている。危険だ。
経済同好会新聞 第215号 「弱みに付け込むM&A」
弱みに付け込むM&A
蔓延する人質論法の悪行
市場支配力はITや製薬業界で拡大が目立ち、企業の合併・買収(M&A)が一因にあると指摘。「コロナ危機を受けたオンライン化へのシフトはIT企業による市場集中を加速させる可能性がある」と警鐘を鳴らした。
少数の大手が市場を支配して競争が低下すれば、企業の革新性が損なわれ「産業活力の落ち込みと経済成長の鈍化」を招くと憂慮。デジタル技術が急速に進展する中で、独占禁止当局は公平な競争促進などで新たな対応を迫られると訴えた。
(時事通信)
M&Aは菅首相が竹中平蔵パソナ会長とアトキンソン氏を招へいしてやろうとしているものだ。貸付はするが補償をしないのは中小企業の弱体化を待っているからに他ならない。中小企業改革という甘い釣りえさをぶら下げ、食いつくのを待っているという次第。小泉政権時にもこれをやっていたのだ。
IMFはM&Aに警鐘を鳴らしているが、菅首相は竹中氏とは懇意の仲。止める気はないだろう。日本企業を不幸にするM&Aを国会議員は全力で阻止してもらいたい。有事であるどさくさに紛れ、このようなことをするのは犯罪として見做すべきだ。せっかく積み重ねて育てた企業を消費税でダメージを与え、コロナ禍で補償せずにハゲタカに買収させるとは、モラルにおいても逸脱している。近年の日本政府は平気で一線を超えてくる。不祥事を起こそうと説明責任を果たすこともなく、辞任もしない。
まるで詐欺師
中小企業改革の本質は、弱体化した企業がやむを得ず政府の政策に乗っかる形になるが、これは企業が置かれている状況の弱みに付け込まれていること。企業は存続するために藁をもすがることを菅政権のブレーンであるアトキンソン氏は熟知しているだろう。
企業は努力不足で弱体化したのか?コロナ禍は安倍政権が招いた人災である。コロナが中国発だとしても企業に補償しないという理由にならない。 政府が企業へ全額補償しておいて、中国へ請求してやれば良いではないか。補償しない時点でやる気がない、M&Aありきだったことは明らかである。
思考停止人質論法
将来世代のツケが!と言い、消費税増税を容認させるのも人質論法だ。現役世代を毀損させてまで増税をごり押しする。れがあたかも民意であるかのごとく誘導して。
規制緩和による派遣企業で低賃金労働者を増やす行為も、労働者にとって生活を人質に取られるも同然である。
生活に密着しているインフラの値上げ、例えば水道や電気代も、生活を人質に取られる。払わなければ不便を強いられるのだ。民営化の弊害はこのようなところで出てくる。これら複合的な状況下に置かれて問題が出ない方が奇跡だ。こんなことを数十年も続けている日本の異常さ。コロナ禍でも変わらずである。
国民の人命毀損、財産の毀損は明らかに憲法違反である。
そして、政策の誤りはアメリカ型の株主至上主義の流入により、労働者に分配されるはずの賃金が株主配当に回される。ここでも労働者は生活のために所得が上がらなくても働くしかない。 このように、弱みを握られる人質論法が蔓延しているのだ。
経済同好会新聞 第214号 「失われゆく良き日本」
失われゆく良き日本
先進国とは名ばかり、実態は後進国
国民は国の借金があると信じ、将来世代のツケを残してはいけないと一途に増税を受けいれて来た。失われた二十五年の中で既に二十五歳になった人達もいる。将来世代だった人達だ。
地方は衰退し、あらゆる分野が凋落。中間層から貧困層に転落した人も少なくない。そのため、こども食堂やおとな食堂の存在が常態化している。中間詐取構造のある派遣企業を頼り、ワーキングプアから抜け出せない人や、問題の多いウーバーイーツで生計を立てる人が増えている現実。こんな恥ずかしい国家にしたのは誰だ。ビジネス至上主義者とそれを許した政治家の無知、保身や利権ではないのか。
日本は内需大国であり、先進国として発展を遂げた。ところが、その恩恵を受けた国会議員や政商がこの数十年で破壊し続けている。痛みの分かち合いや身を切る改革等と言う為政者は、まさにその破壊者だ。このスローガンが失われた日本を推進してきたのだ。
主流派経済学者も財務省も、いつまで国民を騙しつづけほっかむりを決め込んでいるのだ。こんな不義理があるのか。国家ごと毀損・衰退させ、自己弁護してまで守るものがあるのか。人の命をなんだと思っている。自殺者が増えたのは君たちの責任である。自公明政権に然りだ。
ビジネス至上主義の害悪
仕事や儲けることが悪いわけではない。労働者をこき使う行為が悪なのだ。生活を人質に労働者を低賃金で雇うという発想は悪である。経営者をそうさせるのは、政府の緊縮財政によるところが大きい。不景気になればコストカットは経営上やむを得ない。だからこそ、政府は緊縮財政というコストカットをしてはいけないのだ。ブラック企業を量産する原因である。驚くことなかれ、不景気にさせているのは他ならぬ、日本政府なのだ。
大元のお金を発行する主体である政府がケチれば、実体経済もそうならざるを得ないのだ。マクロ経済政策を間違えれば、ミクロ経済は間違った通りの挙動をする。これに加え、構造改革のような政策の誤りも、貧困と格差拡大を助長している。踏んだり蹴ったりの平成時代だったのだ。令和になった今も。
ビジネス至上主義は国民・国家の既得権益を奪い衰退させる。それを回避するために規制がかけられていたが、グローバリズムは規制緩和を前提で動くため、ビジネスには持ってこいなのだ。
水道民営化や種苗法改正はその典型だ。建前はきれいごと、本音は特定企業の自己利益最大化である。
このコロナ禍でビジネス至上主義者であり、新自由主義者である竹中平蔵パソナ会長やアトキンソン氏が菅政権のブレーンにいるというのは、どさくさ紛れに利益を最大化するためである。もはやM&Aをすることを隠してもいない。
中小企業再編は、当然のことながらリストラが起きる。リストラされた人達はどうするのだ。パソナが手ぐすねを引いて待っている様が透けて見えているではないか。
本来はこのようなことから守るのが政治の役割だ。IMFでさえ、M&Aをするなと最近声明を出している。竹中に踊らされてはならない。