経済同好会新聞 第216号 「倒錯した経済学」
倒錯した経済学
非論理的 主流派経済学の限界
日本の経済学の主流として、「生産物は常に生産物と交換される」としたセイの法則がある。これは論理的に正しいかどうかは、経済学を知らない一般人でも首をかしげるのではないだろうか。
主流派経済学を学んだ人の中でもこの議論を避けるようになりつつあるが、まだ盲信している人達の間ではこのように言われているのことご存知だろうか。
「供給はそれ自らの需要を生み出す」
例えば、あなたが物を100個作り市場に出せば、それが100個売れるという考え方だ。この考え方は物々交換説から発展したものではあるが、物を売ったことのある人はそんなわけあるかと即座に否定するだろう。しかし、学問の中に閉じこもってしまうと、このような倒錯が起きてしまうのだ。
この倒錯を経済学者のダドリー・ディラードは、「物々交換幻想」と言い批判している。現実を厳密に観察しなくとも、セイの法則が起きていないことはある程度の常識を備えていれば分かるだろう。
物々交換幻想
物々交換は例えば、モノAとモノBを交換することだが、交換した時点で取引は成立し終了する。セイの法則にしたがえば、物と物の媒介であるお金は交換した時点で相殺されて消えることになる。現実ではそんなことは起きていないし有り得ない。先述したがセイは「生産物は常に生産物と交換される」と言っていたのだ。
供給すれば物が常に売れるという前提のため、市場に委ねれば需給は均衡すると考えられているのだ。これを後に、経済学者であるレオン・ワルラスが「一般均衡理論」として定式化した。一般経済やマクロ経済をこれで説明しているのが、今日の経済学であり主流になっている。
前提の誤りが 日本を悲劇に
セイの法則が発展し、ワルラスの一般均衡理論を更に発展させたものに、実物的景気循環モデル(RBCモデル)、動学的確率的一般均衡モデル(DSGEモデル)がある。世の中に起こることのすべては、個人の合理的選択の結果だという強引なこじつけ前提で、マクロ経済を数学を用いながら構築したモデルだ。
彼らは大前提を誤っているため、導き出すものは当然誤りである。相当無理があるのだ。経済学者からも批判が出ているが、経済学界以外の分野からも批判が出ている。
現実を見れば、物の取引やサービスは信用関係で成り立っており、時には約束が不手際や災難で履行されないこともあるだろう。不確実性だ。
彼らはこの不確実性を加味しない、否、加味できないために、仮想的な確実性をモデルにしている。当然のことながら、こんなものをモデルとするのは、人間や自然を舐めているとしか言いようがないではないか。
このような人達が増税しろと言っている。危険だ。