「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第453号 「無自覚な大人の問題児」

無自覚な大人の問題児

無自覚な大人の問題児

無自覚な大人の問題児

無意識に自己説得を行う危険

 筆者がある人とのやり取りの中で、非常に驚いたことがある。それは予想をはるかに超える詭弁を使われたことだ。そもそも詭弁を弄する人とは会話のキャッチボールが成立せず、論点を戻す作業を幾度も強いられる。論点どころか、辞書にある言葉の定義を自分のローカルルールで変えてくるところには参った。誰もが意思疎通に必要な言葉、この言葉が共有されることで会話が全国で成立している。学問や仕事上での専門用語でもない、至って日常的に使われる日本語だ。
 この病的な詭弁の扱い方は、負けを認めたくない、恥をかきたくない恐怖から来るものなのか。あるいは、純粋に自分は正しいことを言っていると自己説得を行っているか。もう一つの可能性は精神疾患の疑いだ。いずれにせよ、このような仕草は他者に迷惑を及ぼすため、身近に心を開いている人が話を聞いてやり諭してやるのが良い。希薄な関係であればそれは望むべくもないが、ここには病理が見て取れる。
 幼稚な言説で問題の所在を有耶無耶にする詭弁は自民党で多く見られるが、このような病的に誤りを認めないやり方は教育上よろしくない。規範となる大人が嘘をついたり詭弁を弄して謝罪をしないとなると、なんのための教育や道徳があるか分からなくなる。相手には間違えると謝罪を求めるが、自分が間違えると謝罪しない。このようなニ重基準は子供も見抜く。反面教師とする子もいれば、大人がああやったから自分もそれは許容されるだろうとやってしまう子もいるだろう。人は失敗をして成長していくものだが、失敗を居直ってしまう者もいる。これが独善的となりモンスターと化す。

 

こういうものだから

 親が子供に説明できない、あるいは端的に説明することが難しい時は「こういうものだから」と教える。子供の時はそれで素直に納得するかといえばそうではなく、明快さがないためモヤモヤする。次第に麻痺していくのだ。慣習によって裏打ちされた安定的なものであれば、それは右へ倣えで構わない。ただし、このようなことは全てに適用できるわけではなく、例えば、肩書きのある者の言説を鵜呑みにし、「こういうものだから」と納得したり、他者に教えることには注意が必要だ。ビジネス屋が大衆扇動を行っていることを想像すると分かりやすいが、到底鵜呑みには出来ないだろう。
 考える力が養われて来ない、論理的思考ができない等、こうなると誰が正しいかで判断するようになる。その基準が肩書であったりするため鵜呑みにしやすい。あの人はメディアに出ている、本を出しているから正しいに決まっていると無意識に合点している具合だ。ネトウヨと呼ばれる人達はこれであり、これは極端な例だがネトウヨだけに留まらない。歴史認識において学び精通していく人もおり、これによってネトウヨから脱却する人もいるのだとか。他には、信頼していた人の論理的不整合さが目立つことで脱却する人もいる。キケロ曰く、

 

 人間はすべて誤るものである。ただ過失を固守するのが愚か者なのである。

 

 失敗から学ぶことはあっても、失敗を認めない者は愚かだ。許容できる失敗もあるが、こと、大勢の国民に害を及ぼす政治であれば非常に危険である。

 

 



経済同好会新聞 第452号 「砂上の楼閣化した日本」

砂上の楼閣化した日本

砂上の楼閣化した日本

砂上の楼閣化した日本

構造改革がもたらしたもの

 ずばり、失われた20年は構造改革が原因だ。これが継続され失われた30年となっている。この中身とは、グローバル化により実体のある経済から金融を見据えた経済に変遷したこと。恐ろしいところは、公的部門を民営化したり、商品化してはならないことを商品化する思想があるところなのだ。守るべきものまで民営化し、金に換えてしまう強欲な者を生み出してしまったとも言えよう。
 他には、生産したモノで利益を出すことよりも、生産要素のコストを下げることで利益を出す大手企業を生み出してしまったこと。生産要素とは、資本・土地・資源・労働のこと。これらは規制によって守られていたが、規制緩和によって破壊された。ここで競争が生じ効率化が進んだかように思われたが、その反面、生産要素が不安定になったのだ。次の事柄は大きな痛手となっている。

 

 ・資本は流動化しグローバルな金融市場に。
 ・間接金融(銀行)から直接金融(証券市場)に。


 この両者がもたらしたのは、国際金融市場の動きによってお金の流れが不安定になったこと。株主中心の経営に変わっていったのだ。銀行も企業に融資する間接金融業務より、証券で利益を出すようになった。

 

コスト削減型経営

 以前も述べているが、企業が利益を出すためにコスト削減を行った結果、労働の不安定化と低賃金化が起きている。これは社会生活を脅かすものであり、経済不安定の一因だ。消費者が家をローンで買う等は、長期雇用が実現されていた側面が大きい。これが雇用の流動化で低賃金化が起これば、家の購入は叶わず、子供がいればなおさらだ。これに加え、政府支出の伸びも停滞しており、消極的な財政で経済の停滞から三十年も脱却できていない。我が国は複合的にダメな政策をやらかしてきたのだ。未だに。
 「フリーター」という言葉が流行った頃を覚えているだろうか。これは労働の流動化を意味し、労働コストを下げることになる。低賃金化はこの時分から始まっていたのだ。。経営者も労働者もウィンウィンの関係かと思えたが、結果は社会に不安定をもたらした。 日本社会の強さは、長期雇用によってもたらされていたのであり、構造改革によ る規制緩和で脆弱になっていった。日本型経営システムとは裏を返せば、社会生活の安定化だったのだ。ここには応能負担による税制も含まれる。

 

シャッター商店街

 構造改革は土地も流動化させた。何が起こったか。都会では資本流入によって地価は上昇し、地方の土地と格差が出来てしまった。土地を売ろうにも売れず、シャッター商店街が生まれるという次第。ずっと放置されているところを見かけたことはあるだろう。
 都心部ではバブルが起き、地方は不況のため停滞と没落。規制緩和による流動化は、生産要素にビジネスが入ることでシロアリのようにダメにしていく。
 建物の土台がシロアリに食われていけば、これはすなわち砂上の楼閣。国民生活が土台にあり、この土台は規制によって守られていなければならない。構造改革は美味そうな土台を資本家に食わせることになっているため、こんな頭のいかれた異常なことは今すぐやめるべきだ。

 

 



経済同好会新聞 第451号 「現実は人間の営み」

現実は人間の営み

現実は人間の営み

現実は人間の営み

国民生活の土台と安定

 プライマリーバランス黒字化目標やインフレ目標にしろ、これに固執することに相当な違和感がある。まず、貧困に付随したワーキングプア問題やこども食堂の存在、インフラによる安全やスムーズな営みになっているかを直視しなければならないはずだ。経済の不安定から失業の問題、事故や医療によって障害を生じてしまう問題等、「国民生活の土台と安定」を棚に上げることをしてはならない。
 例えば、衣食住と安定が社会の土台だとすれば、これを素通りしてプライマリーバランスインフレ目標は議論の起点にはならない。土台をきちんと整えることは、同時に継続性が求められること。ここを起点にすることで、プライマリーバランスやインフレ率は「結果」でしかなくなる。副産物的と言うべきか。土台をきちんと整える制度、つまり自動安定化装置を実現する政策が当たり前のようになされて然るべきだ。ここを無視して無駄の削減だ、身を切る改革だとやってしまうと、土台を破壊することになりかねない。否、破壊している。
 日本の長期停滞は前述している土台がしっかりしていないために起きている。国民生活の安定は経済の安定化に寄与するのだから、プライマリーバランス黒字化目標やインフレ目標は土台から目線を逸らしてしまいかねない。なぜならば、経済の自動調整機能を働かせるためには、税制という財政政策があってのものだからだ。減税は分配政策となり財政政策。景気が悪ければ税収を減らし、景気が良くなれば税収を増やす。ここにはインフレ目標プライマリーバランスも入る余地がない。前述したが、これらは結果でしかない。それを目標とするのは本末転倒なのだ。財政政策でも税制は分配の面で重要になることは覚えておきたい。


土台作りと継承は重要

 先ほども述べたが、衣食住と安定が社会の土台だとすれば、公共部門も必然的に重要になってくる。例え ば、道路等のような公共物がないと移動が困難になることは想像に難くないだろう。維持管理も必要になってくるため、それに従事する企業や従業員はスキルを保持し、将来世代に受け渡す必要が出て来る。これを政府が公共投資をすることで永続化が可能になり、故に重要なのだ。
 政府支出で無駄になることは何かと言えば、労働者からピンハネする事業に発注すること。他には企業の寡占化に与するような恣意的な支出や税制もそうだ。
 本来であれば、公共事業では中小零細企業が育つような仕事の発注の仕方も必要である。予算の削減ありき、忖度先には支出ということをやっていれば、衰退は自明である。公共事業の必要性を無視すると、平気で無駄の削減やら公務員批判等によって予算がつけられなくなり、我々の土台が破壊されていく。継承もままならなくなり、地方は衰退する他なくなる。消費増税も追い打ちをかけ、企業倒産や失業、低賃金労働に甘んじさせられたりと、日本経済にとっては踏んだり蹴ったりになろう。いつまでこのような馬鹿げたことを続けるのか。現実は人間の営みだ。数値目標ではない。議論せよ。
 カレル・ヴァン・ウォルフレン曰く、

 

 日本人の多くが「政治と自分の幸せは無関係」と思い込んで、苦しい生活に耐えている。

 

 


ツェリ子様
実態はこう・・・

 

経済同好会新聞 第450号 「日本の没落は必然」

日本の没落は必然

日本の没落は必然

日本の没落は必然

エリートは弱者淘汰を望んでいる?

 馬鹿げたことに、フラット税を推奨している者がいる。フラット税とは困窮・低所得者から高所得者まで、同じ税率で課税すること。この時点で誰が淘汰されるかは論をまたないだろう。住民均等割りにしろ、消費税にしろフラット税だ。この発想は困窮・低所得者のこと(将来そうなる者)を考慮に入れておらず、至極短絡的な発想である。
 そして、長期の経済停滞によって「低金利にせざるを得ない」状況にある我が国。個人事業主から大企業に至るまでその職種や規模は様々であるが、中小零細企業はこの低金利によって温存されているとする馬鹿げたことを言い出す財団系御用学者がいる。この中小零細企業の低い生産性は資源の無駄遣いだとし、大企業や中堅企業に資源配分を増やす方が経済的にも改善するというのだ。このような分析により、法人均等割りの発想が出ていることは驚くべきことだ。なぜか。それは淘汰する前提になるからだ。自民党あいさわ議員は「ゾンビ企業は淘汰」とツイッターに投稿していたことがあり、それを裏付けるものである。
 何度も述べるが、日本は三十年近くも停滞しており、それは中小零細企業のせいではない。政府の失政によるものだ。むしろ、中堅企業と大企業に資源を配分したとしても、寡占化が進むだけであることは明らかだ。実際に寡占化は進んで来たのであって、それでもこのザマだ。上手くいかないのだ。

 

顧みない人達

 国民生活の土台に政府が支出することは誰も咎めないだろう。中流階級の者であれば、現在の生活の質を 落とさない、自らが受けてきた教育や様々な恩恵によ って成立してきたことを考えれば、それらも継続的に 誰もが受けられる社会が良いと理解しているだろう。ところが、財政赤字だけを見て、無駄の削減だ!ゾンビ企業は淘汰だ!財政依存が!とやりはじめると、もう耳にタコと思うが長期停滞の総括を一切せずに狭い範囲を切り取って何かしようとすることになる。我が国はずっとこれだ。
 顧みる行為は根本にある原因を発見することになるが、なぜかそれをしない。そうなると、政治は金力のある者に忖度するようになり、政治はそのように進められてしまう。この政治に正当性を持たせるため、御用学者や御用評論家たちがメディアを通じて発信する具合だ。
 政府の財政赤字は不況にあえぐ個人や企業を救済すべく正当に支出する理由があり、財政依存はダメだと言って支出を絞ればどうなるかは容易に想像できるはずだ。まともな人間であれば、弱者は救済しようとするだろう。少なくとも、身内が弱っていたら助けるだろう。しかし、政府は税負担を増やし、ますます低所得層が困ることをやり出す。中間層も没落傾向にあるのだから、やり方が完全に間違っている。
 そもそも、低金利政策が続く分析もやらず、自分勝手身勝手に生産性のない企業は淘汰だと言い出す学者に人間的な教養があると思うのか。持論を小難しい理論で防衛しているだけで、結果は現実として如実に表れており、停滞と不況ばかりである。これこそが低金利の正体だ。
 御用学者や竹中、その周辺の経済学者が立案する政策に任せていれば、企業の寡占化が進み、増税は止まらないだろう。この者達がせっせとツケを現世代・将来世代にツケを払わせているのだ。

 

 



経済同好会新聞 第449号 「日本経済はもうダメ?」

日本経済はもうダメ?

日本経済はもうダメ?

日本経済はもうダメ?

旧来の政策立案者を首にすべき理由

 日本の低金利は長期停滞からとは幾度か述べているが、これは経済政策の誤りによるものだ。経済の停滞は中小企業が原因ではなく、政治が構造改革を進めたからに他ならない。財政支出にしろ、1998年から伸びずに停滞している。低金利にならない方がおかしいわけだ。
 驚くべきことに、某財団系の御用学者は前号でも述べたが、企業に対して財政依存をしてはならないとしている。これに加えて、低金利による財政支出に依存しているかのような発言もある。これはあまりにも企業を馬鹿にした話であり、政治の原因を企業のせいにしたがっていることは明らかだ。加えて、政策立案者の失敗から目線を逸らしたいところもあるだろう。
 不況の最中、毎年「過去最高益」と出る企業の存在には驚かされるだろう。その他は停滞したまま、あるいは倒産の憂き目に遭っているというのに。これは長期停滞が招いた現象で、寡占化が進んでいる証左だ。その頂点にいる企業が恩恵を受ける形になっている。他の記事でも述べてきたが、トリクルダウンが起こらない証拠でもある。優遇された企業は優遇されただけに終わり、寡占化圧力が高まっただけだ。全体的に賃金は停滞したままであることからも、政策の失敗は「失われた〇年」の頃から既に判明していた。だが、やり方を変えなかったのだ。むしろ消費増税と法人減税をやってきたのだから、より一層、経済が浮上できない構造が強化されたと見るべきである。
 旧来のやり方、特に構造改革路線は完全に失敗に終わったことは日本がこの三十年もかけて証明したため、これに関わる政策立案者や御用学者は全員首にしなければならない。なぜならば、自分可愛さに自論を押し通すことをやめようとしないからだ。これを承認した政治家も責任を負うべきである。これを許していては、自分可愛さに他者のせい、特に企業や国民の努力不足という言説はなくならないだろう。政治次第でこのような社会になるのだから非常に恐ろしい。

 

精神論で社会は良くならない

 失政によって貧困化した者を指し、努力したら何とかなる!上手くいく!という言葉で慰めても、余計に傷口を広げるだけだ。彼・彼女らは働いて精神が疲弊しており、努力もしているのだから。追い打ちをかける言葉に、努力不足だ!転職したら良い!と言って、社会が成り立つために働いている人を批判する。アントン・チェーホフ曰く、

 

 幸福な人間が良い気分でいられるのは、不幸な人々が自己の重荷を黙々と担ってくれているからに過ぎない

 

 本来はこの黙々と働いてくれる人の所得を上げる経済政策をすべきなのだ。なぜ、彼・彼女らを低賃金労働に甘んじさせるのか、人としての良心があれば政治で何とかしようと思うものではないのか。労働者を消耗品のように扱う悪循環が生じているのは、政府の失政以外の何者でもない。これは経済学以前の教養の話だ。明らかにこれが足りない者が政治家になっており、一部官僚や御用学者達が日本をダメにしている。
 日本経済を立て直すには長期計画を立て、企業が人材と設備投資をしやすくすることだ。それには税制や構造改革で改悪された構造の見直しは必須事項だ。

 

 



 

経済同好会新聞 第448号 「日本経済の悪癖」

日本経済の悪癖

日本経済の悪癖

日本経済の悪癖

誤り続ける経済の分析

 真実と虚偽を織り交ぜて話すことで、大衆扇動を行う話がある。経済は常にこれがつきまとっており、例えば、コロナ禍において政府による自粛要請により、経済活動が極めて鈍くなった時のこと。これは企業にダメージを与えるため、政府は補助金を用意しているが、これをもって企業の財政依存はダメだとする理不尽な話だ。この場合、企業には何の落ち度もない。むしろ政府が要請したため、その穴埋めに財政出動することは正しい。予算の規模は横に置くとして、企業は補助金を受け取る正当な理由が明確であり、財政に依存しているわけではない。このように虚偽を混ぜることによって、企業に過失があるように誘導し、財政支出を絞ろうと試みる某財団系学者がいることは残念だ。
 驚くべきことに、日本経済は三十年近くも停滞しており、需要も供給も衰えている。それは経済政策の過ちや、度重なる消費増税が原因なのだから、追い打ちをかけるようにコロナ禍という流れも踏まえてやらないといけない。しかも、補助金というよりは貸付金であって、企業は人材にも設備にも投資する余地もなく返済し続けなければならない。バブル崩壊で借金を抱えた企業や個人はどうなったかを理解していれば、どうなるかは自明であろう。
 経済の浮揚には財政拡大は必須であり、勢いがつくまでは政府の後押しは必要不可欠だ。量的緩和政策だけでは無理なことは、日本が既にこの数十年で証明している。ゼロ金利政策でインフレ期待が上がらないのも、長期停滞を招いたからに他ならない。この長期停滞の原因を精確な分析しないまま、やれ増税だとやりはじめる悪癖は、死ぬまで治らないのではないか。

 

悪癖は続くよどこまでも

 まず、財政健全化ありきという悪癖がある。そうなると、「上手くいってるところだけにお金をかけろ!」となり、多くの機会損失が生じるだろう。例えるなら、これまで頑張ってきた研究者の資金を断ち、成功した名のある研究者のみ資金を投じるという話になる。何度も述べるが、我が国は三十年近くも停滞している。財政赤字ばかり気にしていると、政府が国家に投資することで国民生活を豊かにし、税収を増やすことを忘れてしまう。財政を黒字化したい場合は、財政赤字を増やして経済に勢いをつける政策をやるか、強制的に税負担を増やす以外はない。目先の財政規律にとらわれ、累積赤字が増えることばかり気にしていれば、経済の停滞、すなわち、支出不足による不完全燃焼を起こし続けた三十年がまた更に継続されていく。
  問題は早期に解決することでダメージを最小限に抑えることが肝要だ。しかし、この初歩的な基本をとにかく構造改革だとか、インバウンドだ!自由貿易だ!と言って逃避してやって来なかった。そうしておいて、財政に依存するなとはどの口が言うのか。これは経済学とは別のところで誤っている。日本経済が三十年も停滞するわけだ。。むしろ、未だに増税しなければならないと言っているではないか。彼らは一切過去を顧みていないことは明らかだ。
 自らの過ちを他者に転嫁し、他者の過ちは自己責任と切り捨てる。政治に関わる連中がこうであれば、良くなるわけがない。まるでカルトが言い訳をして難を逃れようとするそれだ。

 

 



経済同好会新聞 第447号 「昭和のオイルショック」

昭和のオイルショック

昭和のオイルショック

昭和のオイルショック

所得が上がり続けていた時代に直撃


 1974年から1975年に起きた昭和の第一次オイルショック、その前後のインフレ率は上記グラフの通りだ。それ以前は所得倍増計画と高度経済成長期によって実質の成長率は年平均で10%以上、物価上昇率も高かったが、それに余りあるほどの成長によって所得も上がり続けた時代だった。しかし、オイルショ ック到来により成長は止まる。原油高はグラフが示すように高インフレになり、電力の使用制限も出ている。1979年には第二次オイルショックが到来。石油資源に乏しい我が国は、これらを機に省エネ法を制定。
 現在は石油輸入企業に補助金を渡し価格を抑え込んでいるが、それでも以前の水準には満たないため、ガソリンにかかる税を見直す声は根強い。だが、日本政府は元より法人税は下げるが、その他は全く下げようとしないため、スタグフレーションを止める気はないようだ。むしろ、景気は回復基調にあると誤魔化すことからも、減税は頑としてやらない意志表示をしている。野党第一党も同様の意志があることは前号で述べた通り。