「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第36号 「災害国の緊縮財政は自殺行為 築き上げてきたインフラ放置」

災害国の緊縮財政は自殺行為 築き上げてきたインフラ放置

災害国の緊縮財政は自殺行為 築き上げてきたインフラ放置

 数々の震災を経験してきた日本。建築・土木技術の発展は毎年のように起きる災害を経験してきたからこそ、その重要性は認識しておかなければいけないはず。ところが、失われた20年では、緊縮財政から「無駄の削減」の号令で、公共事業の予算を減らしていき公務員数をカットしてきた経緯がある。公共事業以外にも、様々な分野でも同様のことが起きており、保健所、病床、研究機関等も削減の対象とされてきた。コロナウイルスの対応に苦慮するのも当然の帰結だ。

病床数の推移

病床数の推移

平時には無駄に見えても
有事には有益

 緊縮財政の弊害は端的に「人が死ぬ」「国家の毀損」だ。災害大国である日本にハードインフラが役立つことは論を俟たない。

 だからこそ、建築・土木は必要不可欠であり、常に技術習得と継承が重要なプロセスになる。消防署が常に必要である理屈と全く同じだ。このような必要不可欠な分野は多くある。しかし、緊縮財政によって多くの分野が予算を削られ弱体化している。もはや異常であり緊急事態だ。

 無駄だ無駄だと乗せられてきた国民は、何が必要かを再認識すべきだ。何もかも失ってからでは遅い。

 政府は経済悪化を毎年のように台風のせいにするが、であれば、なぜ台風災害予算をつけないのか。この不自然さは何なのか。理由は簡単。財務省に忖度し、「緊縮財政」をやめないからだ。

 災害が起きようと大型の予算をつけない国は日本だけではないのか。現在進行中のコロナ問題にしろ、とにかく補償することに躊躇う。
 政府は国民の生命より、財務省を選んだのだ。