歴史は繰り返した
状況違えど、やることは同じ
センメルヴェイス反射は、通説にそぐわない新事実を拒絶する傾向、常識から説明できない事実を受け入れがたい傾向のことを指す。 この用語は、オーストリアのウィーン総合病院産科に勤務していた医師センメルヴェイス・イグナーツが産褥熱、今日で言う接触感染の可能性に気づき、その予防法として医師のカルキを使用した手洗いを提唱するものの、存命中はその方法論が理解されず、大きな排斥を受け不遇な人生のまま生涯を終えた史実に由来する。(ウィキペディア)
医師がカルキ手洗いをしてから助産を行うことで、妊婦を死なせずに済む。このセンメルヴェイスの発見は当時の医師達を狼狽させただろう。なぜなら、医師自らの過失で妊婦を死なせていたと認めることになり、この動揺はセンメルヴェイスを攻撃し批判することになったであろうから。
繰り返される悲劇
センメルヴェイスの発見があったからこそ、産褥熱で死亡する妊婦は減り、後には皆無になっていったのだろう。この発見が理解されるまでは妊婦は死に続け、悲劇そのものだったに違いないのだ。
このケースと全く同じ現象が日本で起きている。それは緊縮財政であり、この誤った政策で国民は死に、企業は不必要に倒産の憂き目に遭っている。これだけではなく、多方面の分野に予算の小出しや削減をしているため、継承不足や衰退を招いている。インフラ劣化、災害に脆い、安全保障を怠る等、原因は緊縮財政であることは明白だ。
各種データや事実をもって緊縮財政の不備を指摘すると、センメルヴェイスの時と同様、これを嘲笑したようにありもしないデッチ上げで攻撃したり、財務省は政府の財政支出を予測すると、事前にメディアを通じて「財政破綻」すると煽ったり、主流派と呼ばれる経済学者達も一斉に財政規律等と緊縮財政の正当性を主張してくる。驚くべきことに、政治家までもがこれに同調しているのだ。
財政規律は人災
財務省プロパガンダである緊縮財政により、国民も財政規律が正しいことだと疑わない。政治家は世論を見て自らの立ち位置を決めているため、余計に国家の衰退に歯止めがかからない。人命よりも、財政規律という取ってつけたルールの方を優先しているのだ。
当新聞でも何度も取り上げてきたように、日本に財政問題はない。実体経済を毀損しない限りは、政府は支出のために予算をいくらかけても問題ない。災害が起これば予算をつけ、安全保障に問題が出れば予算をかける。
重税も緊縮財政の一環であり、これがあるために日本はデフレという苦境から脱却出来ずにいるのだ(前号に関連記事)。
「国家百年の計」とう言うが、政治が緊縮財政であるため、これではまるで「国家百年の刑」ではないのか。重税という罰金刑をずっと負わされているに等しいことから、あながち間違った表現ではないだろう。
経済学者の傲慢さ
主流派と呼ばれる経済学者の中には、実体経済を無視した机上の空論を展開する者がいる。経済の実体は国民の営みそのものであり、そこには培われてきたノウハウや地域性等があり、人間心理は机上で説明出来ないことだらけである。それを空論の方に合わせよと言うのである。人間国宝に指図するくらい傲慢だ。
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