減る所得、増える反緊縮
左翼も保守もお花畑になってしまった理由
日本型経済システムは好景気を生み、多くを富ませた。少々調子に乗り過ぎた感はあったが、正社員が圧倒的に多い時代だった。日本ならではの組織運営なり、長期的取引慣行が優れていた時代は外国からすると脅威に映ったかもしれない。それだけ日本人の文化や性格に合致したシステムだったと言える。企業経営者の中には従業員もその家族も守るという考え方をしており、切り捨てるという発想がなかった。能力に見劣りがあっても面倒を見ようという覚悟のようなものが身に付いていたのだろう。
ところが、1991年から1993年のバブル不景気を通じ、日本型経済システムを改革する動きが活発になり、アメリカ型システムを取り込む形で新自由主義の思想が加速的に蔓延するきっかけとなった。この改革は規制緩和と自由競争を徹底するもので、経済界は好景気を再び取り戻そうと考えていただろうが、蓋を開けばグローバル化が推進されただけで、内需大国である日本に得られるものがないどころか、大きく毀損されてしまい現在に至る。
ナショナリズムはグローバル化によって薄められ、結局はグローバル化という台風に企業も日本人の思想もひっかき回されてしまう形となった。
保守層がネオリベ(新自由主義者)を警戒するのは、こういった経緯があるからであり、目の敵にして批判しているわけではない。アメリカの保守層は新自由主義の思想をしており、それにはアメリカの背景にある歴史や慣習を知らなければ見誤ってしまうだろう。なんでもかんでもアメリカに倣い、システムや思想を輸入すれば上手く行くわけではないのだ。事実、この数十年で日本は新自由主義を勘違いし、日本の慣習のあれもダメ、これもダメと粗探しをしていく内に、ナショナリズムを否定することが目的になってしまったのだ。守るべきを守らず、富むものを富ませた結果、貧困と格差が拡大してしまった。
戦後の左翼と保守
昔、戦争の体験から左翼は政府に力を持たせてはダメだとし、保守は一貫としてナショナリズムを是とし対立軸の関係にありバランスを取ろうとしていたが、新自由主義の到来により多くの保守が変節してしまった
左翼は昔から政府に権力を持たせないために緊縮財政を是としていたが、保守までもが規制緩和や国境のない時代へ、つまり、企業の自由競争を推しているため緊縮財政と親和性が高い。
以前より、日本の敗戦は集団主義のせいだと誤った総括をしており、バブル崩壊もこのせいだとしている。
つまり、日本の経済型システムは集団主義のような体制で成り立っていたたため、これを否定しまうのだ。問題はそこではなく、バブル崩壊で転んだ経済のことは、経済で分析しなければならない。日本がつまづくごとに敗戦の事例から分析する癖がついている以上は、緊縮財政に目が向かないのは当然のことだろう。
現在の左翼と保守は対立しているようで、緊縮財政で同じ方を向いている。これの意味するところは左翼も保守も揃ってお花畑であり、もはや、左翼でも保守でも何でもなく新自由主義に偏った集団とでも言うべきだろうか。
有事の今、与野党はナショナリズムを放り出し、新自由主義と覚悟なき偽善的個人主義に日本の没落を見るのである。しかし、一握りである保守層の声は間違いなく国民に浸透しつつある。若手世代をはじめとした国会議員や在野議員も、政治が機能していないと理解している。こんな新聞が出てくるまでの世の中になったのだ。がんばろう。