「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第172号「緊縮財政の末路と現在」

緊縮財政の末路と現在

緊縮財政の末路と現在

緊縮財政の末路と現在

国民の生命を粗末にする者達

 当新聞で掲載した橋本龍太郎元総理大臣の言葉をもう一度見てみたい。

私は1997年から98年にかけて緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も自殺した。本当に申し訳なかった。

 この緊縮財政は未だ続いており、「失われた二十年」とも呼ばれた元凶の一つでもある。緊縮財政の中身と言えば、


・予算の支出削減
・予算の付け替え
・課税(消費税等)

 

これらがある。これら政策は「経済を冷やす」ためのものであり、デフレとゼロ成長を行ったり来たりする日本ではやってはいけないのだ。事実、この数十年は時間が止まったように日本経済は停滞したままだ。その間、貧困・格差が開き、衰退・継承不足、出生数が激減した。
 「失われた二十年」の元凶のもう一つは「構造改革」による規制緩和だ。竹中平蔵パソナ会長の派遣企業がやたら増えたのも、小泉政権時に竹中氏が規制緩和したからだ。
 派遣される社員は非正規社員になるが、これも経済を冷やす要因だ。更に、竹中氏はプライマリーバランス黒字化目標を財政健全化の指標として設置した。なんと、これを竹中氏に提案したのは高橋洋一氏だ(本人談)。この指標は財務省の指針として強力なツールになっており、「人の命より財政規律」になっているのだ。そのためには人がどれだけ死のうと、理屈をつけて支出削減と増税を死守しようとする。
 国民・国家毀損は間違いなく、「お金不足」が招いている。彼らはもっともらしい理屈をつけ、自らの思想を満たすために国民の犠牲も厭(いと)わないのだ。

 

今から百年後に継承される物語

 (令和時代のお話)
 昔、昔、ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでおったそうな。おじいさんは資本家の企業へ、しばかれに行きました。


 おじいさんどころか、おばあさんも現役世代もだ。緊縮財政と構造改革の行き着いた先が現在の貧困化である。
 氷河期世代の子供達は引きこもり、その親である高齢者が働かざるを得ない事情もある。緊縮財政は経済を冷やすのみならず、人の尊厳を奪い、苦難な生活を強いる人を生み出すのだ。

 経済的事由から自殺者が出たりするのも、「お金は命に直結する」からだ。自殺は精神的に追い詰められたことでするが、生活が困難で救済がないと分かれば絶望するだろう。

 生活保護申請者が増えるのも緊縮財政が原因だ。これはコロナ禍の前の話である。現在は察して余りあるだろう。
 政治家は何をしている。国民を追い詰める政権閣僚達に徒党を組んで問い詰めるべきだ。国民・企業を救う気があるのか白黒はっきりさせた方がいい。党議拘束という理不尽なものに縛れている場合ではない。これでは政治家になった意味がないではないか。ただの議席確保要因になっているだけじゃないか。