経済同好会新聞 第182号「他人の犠牲に無頓着な国家」
他人の犠牲に無頓着な国家
精神論の蔓延、精神疾患・自殺者増加の原因に
「本当に困っている人を助ける」。こういった言説により、本当に困っている人を助けられないで来たこの1年。セーフティネットとして生活保護を受けられるが、実態は受けられない人の方が多いようだ。ある人は所持金千円を切ってからまた来てくださいと突き返されたこともあったという。生活保護者を叩いてきた人達の言動を見て、生活保護をためらう人もいるだろう。
本当に困っている人達は、以前は困っていなかった人達という事実を理解しなければならない。安全圏にいた人達が「本当に困っている人」になったのであって、これからも増えていく。それを知った人達は、政府に対して国民を救えと訴えているが、政府の動きは緩慢で小出しで様子しか見ない。それどころか、感染拡大を許してきた元凶が補償を渋るという理不尽さは、国民の足元を見て政治をしているからに他ならない。このままでは、経済的・コロナの犠牲者は増えるばかりだ。追い詰められた国民は精神を蝕まれ、自殺する人も出てくる。
コロナ禍で弱者が加速的に増えているが、これはコロナ以前に起きていた問題なのだ。
腐敗と歪み
いじめにおいて「いじめられる側に問題がある」という言説もあるほど、歪んだ社会が認められる。この理屈では、「泥棒に入られた側に問題がある」ということになる。一方的に悪いのはいじめた人間であり泥棒である。こういった当たり前のように分かることでも、有名人がいじめられる側に問題があると言えば、それに右へ倣えをする人達は一定数いるのだ。コロナは風邪論やPCR検査抑制論に然り。
経済方面でも同様のことが長らく起きている。未だに誤った経済観を採用する財務省や一部経済学者・財政学者達が原因で政治家がそれを鵜呑みにし、日本の衰退が止まらない。政治家は国民の安全を守ることは憲法で定められており、この当たり前のことが出来ていない。憲法違反を犯してまで、財務省や御用学者を鵜呑みにするということは、それだけ政治家の劣化が著しく政治家以前の話なのだ。
三権分立を政府が機能させていれば、ここまで酷い自公明政権の腐敗は起きていなかったろう。このツケは国民に重くのしかかっている。
努力不足と根性
努力と根性というような精神論は、時として鼓舞される。それは精神的な余裕のある人の論理であって、人の顔も違えば考え方も心の持ち方も多種多様だ。
つまり、努力と根性だけではダメだということだ。経験者はそれで良しと思うだろうが、決定的に欠ける点は「多種多様であるが故の不確実性」を加味していないところだ。これと同様に、主流になっている経済学もこの点が欠けているため、独善的な学問になっている。独善的になれば現実とのかい離に説明が困難になるため、彼らは一部データを切り取り、ワニの口ガー!破綻ガー!と現実逃避に走る。
しかも、消費増税をしろと提案しているのも彼らなのだ。責任をとらせるべきだ。