「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第269号 「安定財源は誰のために」

安定財源は誰のために

安定財源は誰のために

安定財源は誰のために

景気 安定させるべきものとは

 この数十年、経済停滞とデフレを繰り返してきた日本。停滞とデフレは経済の病気であって、手当てをしながら回復させ元気にすることが必要だ。当新聞で何度も書いてきたことだが、日本経済の停滞は意図的にコントロールされてきた(参考・第265号)。
 コントロールされているものとしては、法人税率の低さがある。世界でこれを問題視し、IMFでも改善することを提言するに至ったほどだ。それ以前から法人税率については疑問視する声は根強くあった。
 消費税が安定財源であるという議論も、我が国おいてはコントロールされてきたものになる。税金を徴収する側にとって安定的であっても、徴収される側にとっては不安定だ。それでもなお、一律に徴収することを辞さないできたのが、これまでの日本政府である。全額を社会保障に使われるわけでもなく、8割は借款に費やされてきたのだ。プライマリーバランス黒字化目標は税金の徴収を目的化しているため、何が何でも徴収しようとする力が働く。つまり、これは弱者に容赦ないことを意味する。彼らの人命軽視がよく理解できるのである。
 安定させるべきは国民の生活であって、重たい税金を課すことではない。これは政治・経済の知識以前に、人間として当たり前の思考を有しているかどうかの話である。であるため、日本政府はスタートラインにすら立てていないと何度も指摘してきたのだ。

 

大矛盾も現実逃避

 コロナ禍によって緊急事態宣言がなされた際、企業や労働者に制限を課すため、補償が必要になると書いてきた。端的に「自粛要請と補償はセット」である。
 ところが、未だに補償はせず、公務員の減少からか審査を著しく厳しくしているためか、持続化給付金の振り込みが遅いのだ。そのため、お店を畳んでしまうところがどれほど出ていることか。国民へ制限を課すのであれば、それ相応の原状回復に相当する手当が必要であることは論理的に考えて当たり前のことだ。政府がやっているのは、わき見運転をしたことが原因で対向車に衝突し、100対0で政府が悪いと判定されても、補償をしない悪質な振る舞いをしているに等しい。出る言葉と言えば、「ご迷惑をおかけしますが、自助努力でなんとか乗り切ってください」と来る。言葉は丁寧でも、中身は補償を踏み倒すに等しい行為だ。
 政府の立場とは一体何なのか。自らの政策が国民生活を不安定にさせ、その上で消費税で安定財源とは大きな矛盾に満ち満ちている。発想が転倒しているのだ。経済的貧困は政府がもたらした人災であり、マクロ経済では不景気時は政府のテコ入れは欠かせない。わざわざ経済の自動安定装置を破壊し、税収を増やす行為は悪人か金本位制の戦時中くらいしか思いつかないだろう。そう、日本政府は悪質な税制改革を放置し、国民にそれを当然のこととして受けいれさせているのだ。経済学者も頼りなく、一緒になって増税の提言をする始末だ。彼らに足りないもは学問の更新は論をまたないが、人間は不確実性の生き物である厳然たる事実を心底腹に落とすことである。
 マクロモデルをいじくったところで、貧困が解決せず格差拡大を許しているのであれば、それは害悪でしかない。安定させるべきは財政ではなく、国民経済に尽きる。