「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第305号 「全てのネックは財源論」

全てのネックは財源論

全てのネックは財源論

全てのネックは財源論

不景気・感染対策は同時に

 不景気時の財政政策は、国民の消費性向を上げることでなければならない。政治家は国民が政府を信頼し、消費を増やすことを目的にすべきなのだ。消費の増加は企業の商品が売れ、眠っている在庫が日の目を見ることでもある。物が売れて行くにしたがって企業の投資が進み、雇用も生まれる。需要と供給の追いかけっこをするのだ。無論、財政政策には減税も含まれ、低所得者から中間層の消費を促すものである。
 さて、コロナ禍においては感染者を減らさなければならず、活発な経済活動はそのまま人命に影響を与えるため、控えるべきである。先述のものと矛盾するが、人命を守るためには仕方がない。では、消費者も企業も安心して経済活動を停止し、感染対策に打ち込むためにはどうするか。これも当新聞では幾度も述べてきたことではあるが、企業には休業補償(固定費補償)で損失を補償し、これまで通りに従業員に給料を支払う。これで人の移動が減少するため、そのまま感染対策になる。加えて、コロナが日本に流入した当初も議論されていたが、感染者の把握や隔離で収束させることだ。感染者の把握にはPCR検査を用いることは必然である。これは台湾やニュージーランドと同様のことをするということであるが、日本政府はこのどれもやっていない。

 

国民の善意を利用する為政者

 前段で述べたことに対し、「我々の税金がー!」と必ず言う者が現れる。日本は管理通貨制であり、財政の均衡をとる必要はない。大昔のような金や銀を根拠にした金本位制はとうの昔にやめ、現金紙幣や預金(銀行口座内のデータ)が我々の間で流通するお金である。現代のお金は金や銀のような物質的な根拠に依存していないのだ。そのため、大昔のように税金を集めて財源にする必要がなくなったのである。つまり、政府は税を財源にせず新規でお金を発行することを毎年やっており、分かりやすいのは安倍政権時で行われた特別定額給付金だ。徴税することなく、10万円を申請者の口座に振り込んだのだ。
 ところが、毎年のように国の借金は国民一人あたり何百万円になったと各メディアが垂れ流し、国民は常に洗脳された状態だ。この状態を利用し、身を切る改革やら痛みの分かち合い等とする為政者や財政学者が存在する。大阪は給付も貸付の手続きも全国でも最下位で遅く、コロナ対策もイソジンやら雨合羽で当初賑わした素人政治を行う大阪維新の会に属する府知事や市長がいるところである。もう忘れたのか。
 地方の救済や発展を促すのであれば、減らされた地方交付税交付金を政府に増額しろと要求することが為政者としての役割であり、身を切る改革等と革新極左のような振る舞いはやめろという話である。維新のバックには、かの中抜きで有名な竹中平蔵パソナ会長が控えているが、日本経済は竹中と小泉元総理が原因で大きく後退し、停滞と衰退の道筋をつけた国賊である。
 維新の会は身を切る改革と言い、利権のためには支持者の善意を利用する。IRやカジノがなくとも大阪は潤っていたのである。まずは道路等のインフラ整備や府民の所得を上げることに心血を注いではどうだ。古き良き大阪を復活させてこそ、大阪愛ではないのか。
 痛みの分かち合いも身を切る改革も同じ類のものであり、国民の生活を蔑にするものである。